【民放連賞ラジオグランプリ受賞記念対談】文化放送・豊澤佑衣さん×NHK『あんぱん』制作統括・倉崎憲さん やなせたかしさんの思いをつなぐ~未来へ新たなともしびを

編集広報部
【民放連賞ラジオグランプリ受賞記念対談】文化放送・豊澤佑衣さん×NHK『あんぱん』制作統括・倉崎憲さん やなせたかしさんの思いをつなぐ~未来へ新たなともしびを

2025年日本民間放送連盟賞(民放連賞)でラジオグランプリとラジオ教養番組最優秀に輝いた文化放送『文化放送開局記念 昭和100年スペシャル「ドンとモーグリとライオンと ~やなせたかし 名作前夜」』(関連記事)。アンパンマンの作者として知られる、やなせたかしさんが手がけた1960年代のラジオドラマ台本をもとに、名作誕生の"前夜"をひもといた番組。このたび民放onlineでは、企画・ディレクターを務めた文化放送・豊澤佑衣さんと、やなせさんがアンパンマンにたどり着くまでの愛と勇気の物語を描いたNHK連続テレビ小説『あんぱん』の制作統括・倉崎憲さんの対談を企画。二人は一体どのようにしてやなせさんやその作品にたどり着いたのか、番組をとおして描きたかった思いとは――。

なお、テレビ・ラジオのグランプリ、準グランプリ受賞作は全国の民放で放送される。放送予定はこちらのページから「全国向け放送の予定」参照。


倉崎 あたらめて、このたびの受賞おめでとうございます。豊澤さんは入社何年目ですか。

豊澤 ありがとうございます。私は2022年に文化放送に入社し、4年目になります。小学校の通学時に親が運転する車の中で、いつもラジオを聴いていて、ある時、ラジオのパーソナリティと稲刈り体験をするイベントを母に誘われました。参加すると、ふだん何げなく食べているお米の収穫がこんなに大変なのかと驚き、このイベント以降、お米を一粒残さず食べる文化が私にできました。こうやって、放送やイベントを通じ文化を伝えていける仕事にあこがれを感じ、放送局を目指しました。

倉崎 私は、NHKに2011年に入局し、ドラマのチーフ・プロデューサーをしてます。ラジオドラマ『世界から猫が消えたなら』、連続テレビ小説(以下、朝ドラ)では『エール』『おかえりモネ』、今回の『あんぱん』では初めて制作統括を務めました。学生時代は世界中を旅しており、原作に関わった書籍がたまたまあるプロデューサーの目に留まり、映画化されました。この映画が世の中に届いた際、その反響の大きさから映像の力を実感し、映像の世界を目指すようになりました。

年表の1行を広げていく

倉崎 豊澤さんが今回の企画に至った、一番最初のきっかけが聞きたいです。

豊澤 最初は本当にたまたまでした。編成部でアーカイブも担当することになってから、何を預けたのかがわからない倉庫の伝票があり、預けている物を取り寄せることになったんです。すると、大きなダンボール106箱、資料が909点届いて。見ていくと、手塚治虫さんがキャスターをされていた番組の放送実績表や、朝ドラ関係では笠置シヅ子さんと淡谷のり子さんのラジオドラマの台本などが見つかりました。その中で、やなせたかし作という台本がいくつか出てきました。やなせさんはアンパンマンのおじさんという印象が強かったので、ラジオをやっていたことにまず驚きました。調べていくとアニメ化もされた絵本『やさしいライオン』のラジオドラマ台本や番組審議会の委員長を務めていたことなど、文化放送はこんなにやなせさんとご縁があったのかと驚きました。せっかく資料を取り寄せたので、このままで終わるのではなく、たくさんの方に知ってほしいなと思ったことが最初のきっかけです。

倉崎 いつ頃だったのですか?

豊澤 2024年の2月だったか、朝ドラ『あんぱん』の発表があった頃......。

倉崎 ちょうど、ヒロイン役の今田美桜さんを発表したタイミングですね。

豊澤 そのとき、企画書をA4一枚で出しました。私にとってやなせさんはお会いしたことはなくて、すごい人というイメージがあります。でも社内の年次が上の先輩からすると、その辺を歩いていたよね、という感じで社内の意識のギャップに驚きました。だからこそ、世間ではアンパンマン以外のやなせさんについて、なおさら知らない方が多いと思うので、それを伝えようと始めました。

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<やなせたかしさん作のラジオ台本の合本。たくさんの資料を文化放送が保管していた>

倉崎 制作する上で一番大変だったこと、難しかったことは、ずばり何ですか。

豊澤 伝えることを絞るのが大変でした。ちょうどオンエアの日が朝ドラ『あんぱん』の初回放送日だったので、放送に向けてやなせさんの人生の全体を伝える番組が世の中にたくさん出る時期でした。そこで、やなせさんの人生の年表では1行で済まされていた部分をどう濃密にぐいっと広げて伝えていくのか、そこからヒット作につながるまでの、まさに名作前夜をどう描くか、という部分に力を入れました。

倉崎 ラジオでこういったテーマを60分やると、堅苦しくなりがちだと思うんですが、とても聴きやすかったです。語り手としてやす子さんを起用したことで、一気に聴きやすくなったのかなと。やわらかい語り、また冒頭の子どもたちへのインタビューも含めて、とても入りやすい間口にされていたなというのが印象的でした。

豊澤 個人的には絶対にやす子さんにお願いしたいと思っていました。知られていないやなせさんのラジオの世界をたくさんの方に伝えたかったので、どんな人でも気軽に聴いていただくため、その入り口として、アンパンマンが大好きとおっしゃっていたやす子さんにお願いしました。また、ナレーションもやなせさんと同じく高知県出身の声優・小野大輔さんにお願いし、ゆかりのある方々でつくりました。

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<ナビゲーターを務めたお笑い芸人のやす子さん>

何を伝えるか―物語を生み出すヒント

倉崎 番組を聴いて、ラジオってやっぱりいいなと思いました。普段は朝ドラの出演者関連の番組を聴きますが、今回、1時間丸ごと番組を聴かせていただいて、ラジオという媒体自体が好きだなとあらためて思いました。豊澤さんは、『あんぱん』を見ていただいていましたか。

豊澤 もちろんです。朝ドラでやなせ夫妻を題材に選んだのは倉崎さんと伺いました。

倉崎 はい、実は202212月に転職のお声がけがあったとき、当時の上司から2025年、放送100年の朝ドラの制作統括をやらないかと提案されて。帰り道、雨の中を傘もささず4時間ぐらい悩んで歩いていたら、やっぱり今の自分がやるべきことは、朝ドラを全うすることなんじゃないかなと思い、そのとき「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられない なんて そんなのは いやだ!」という「アンパンマンのマーチ」の歌詞を無意識に口ずさんでいる自分がいて。この歌詞が自分に突きつけられている気がして、「何のためにNHKにいて、何のために朝ドラをつくるのか」。その時、この歌詞を書いたやなせたかしさんに無性に興味が湧いたんです。

豊澤 そこで、あの歌詞が。

倉崎 翌日、本屋に駆け込んでやなせさん関連の本を30冊ぐらいまとめ買いをしました。やなせさんは、69歳でアンパンマンをヒットさせるまで、百貨店、新聞社、製薬会社にいたこともあったと、僕も含めて世の中のほとんどの方が知らないと思い、俄然興味が湧きました。やなせさんが実際に戦争に行ったとき、一番つらかったことが空腹で、それが後々アンパンマンを生み出す一つの要素にもなっていると知り、放送100年、戦後80年となる2025年の朝ドラの題材になり得るんじゃないかなと。また、やなせさんの自伝を読めば読むほど、やっぱり妻である暢(のぶ)さんの存在がすごく大きい。上京や、百貨店を辞めフリーの漫画家になったときなど、暢さんの言葉やアクションがないと、漫画家やなせたかし、ひいてはアンパンマン自体が生まれていなかったのではないかと思ったとき、やなせさん夫妻の半生を題材に朝ドラにしたいなと思いました。その後、脚本家の中園ミホさんと題材候補をブレストしている際に、中園さんが小学生のときにやなせさんと文通されていたことを知り、これは運命だと思って企画採択にこぎ着けました。

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<さまざまな出会いが重なり生まれた連続テレビ小説『あんぱん』>

豊澤 転職で悩んでいなければ、誕生していなかったのかもしれないですね。

倉崎 もしかするとそうですね。自分の生き方にもやもやと悩んでいて、そんなときに「アンパンマンのマーチ」の深さをあらためて感じました。だからこそ、ドラマの中でも視聴者の皆さんに「どうやって生きるんですか、何のために生きているんですか」と問いかけ、作中でその答えを提示するというより、視聴者の皆さんが問いに思いをはせてくれたらいいなと思いました。それぞれにとっての生きる喜びを見つけてくれたらうれしいな、という思いでつくっていました。

豊澤 私たちも同じような思いでつくっていました。番組をとおしてやなせさんの人生を紹介しながら、最後にリスナーの方へ問いかけるよう、エンディングでオルゴールの音を入れました。

倉崎 先ほど豊澤さんがおっしゃっていた、「やなせさんの年表では1行で済まされている時期を掘り下げた」になるほどと思いました。朝ドラや大河ドラマの制作で、われわれは一番最初に年表を書きます。生まれてから亡くなるまでの年表をつくり、全26週ある朝ドラの場合、生涯を26週に分けるとしたら――と考えていきます。でも、年表では1行で済まされること、あるいは記されないところにも、やなせさんと暢さんの日常があってドラマがあります。そこからどうやって物語を生み出していくのかは、どの作品も毎回悩みどころです。とはいえ、キャラクターを変えてはいけないと思うんです。やなせさんの資料はたくさん残っている一方で、暢さんは少なくて。やなせさんが書かれた自伝、インタビューで出てくる暢さん像を大事にし、足が速かったとか「はちきん」という言葉から、暢さんのキャラクターを立ち上げていきました。物語の後半、暢さんが「何者にもなれんかった」と涙するせりふに対して、特に女性の方々からすごい反響をいただいたんです。この葛藤はみんなにあるものだと思うし、やなせさんと暢さん夫婦の物語をちゃんと丁寧に描きたい思いが届いたんだと感じます。『あんぱん』の一番のこだわりは「逆転しない正義」を全26週かけて描いたことです。これを究極的に体現したのがアンパンマンだと思うので、それと1年以上、向き合っていました。

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<NHKチーフ・プロデューサーの倉崎憲さん>

豊澤 やなせさんの年表の中でラジオは1行で、あまりやりたくなかった仕事かもしれないのですが、その中で少しでもアンパンマンにつながる何かがあったと思うと、うれしく思いました。また、以前いただいた賞の講評で「この番組は制作者を勇気づける番組」という言葉がすごくすてきで。私たちは日々、ビジネスとして締め切りなどに追われながらいろいろなものをつくっている中で、本質を見失ってしまうことがあるというか、大事なことって何なのかがわからなくなる瞬間があると思うんです。けれど、これも何かの名作の前夜かもしれない、そういうふうに思うだけで自分のモチベーションも上がりますし、わくわくして、よりいいものがつくれるのかなと思える。最初は考えてもいなかったことですが。この番組をいろんな人に聴いていただきたいなと思いました。

音がかき立てる想像力

倉崎 「放送100年」というのはラジオ放送が始まって100年ということで、ラジオだからこそできる、ラジオでしかできないことってどう思われていますか。

豊澤 ラジオは、映像がない点で制約が多いなと感じてしまう部分もありますが、映像がないということは、ある種の利点だと思っています。そこから育まれる感性というか想像力は、無限大だと思っていて。今はビジュアルなど表面がすごく大事な時代で、それを見て判断されることってたくさんあると思うんです。けれど、声には人間の本質みたいな部分が乗っていて、そこから想像が広がっていくと思います。もっと声の力や、声に乗る感情とか、そこから連想されるものとか、そういう人間の想像力みたいなものを大切にしたいです。物がたくさん消費されていく時代だからこそ、そういう力をもっと持ってもらえたら、人の気持ちを想像できるようになって、もっと平和な世の中になるのかなって思います。

倉崎 おっしゃるように、ラジオは想像力がかき立てられると思います。私が2年目のときに企画し放送したラジオドラマがありまして。『世界から猫が消えたなら』という妻夫木聡さん主演の50分のラジオドラマが自分が初めて演出した作品です。なぜラジオなのかというと、世界から何かが消えた世界、例えば世界から猫が消えたり、時計が消えたり、スマホが消えたり、これって映像にするとちょっと陳腐じゃないですか。でも、ラジオだとリスナーの想像に委ねられる部分が大きいなと思い、ラジオがぴったりなんじゃないかなと企画したんです。実際に放送して気づいたのが、ラジオしか聴かない人が世の中に一定数いることです。テレビとはまた違った届け方があることに喜びも感じましたし、ラジオっていい意味で自由さもあるというか、もっといい意味でテレビとラジオの境界線がなくなって、どんどん行き来できればいいのになと年々思いを強くしています。逆にラジオではできないというか、映像表現でしかできない、ここが歯がゆいということはありますか。

豊澤 やっぱり一目で伝わるインパクトですかね。あとはラジオってある程度長く聴かないと物事が理解できない。5分聴いたら5分の内容が理解できると思うんですが、テレビはパッと目に映った0.1秒で伝わるものがすごくあると思います。NHKさんだとテレビもラジオもあって、それを両輪で走っていける部分あると思うんですけど、当社はラジオしかありません。ラジオだけでそれを伝えていく難しさは感じます。例えば災害のとき、ラジオで一目でわかる被害状況を伝えるのは難しいけれど、きっとラジオが災害時に求められることは、テレビとは違うと思います。テレビと役割を分けたりすることで、テレビとラジオで力を発揮し合えたらな、と思います。

倉崎 わかります。ラジオはラジオならではの伝えられることがあるし、テレビという映像メディアだからこそ伝えられないものもある。それぞれに良いところがあるなと思います。

文化をつないで新たにつむぐ

倉崎 未来の話をしたいんですが、豊澤さんは今後どういう番組をつくっていきたい、どういうサービスを生み出していきたい、世に届けたいみたいなものはありますか。

豊澤 文化をつなぎ、文化をつくっていける番組をつくりたいです。文化は何げないニュースから生まれることもあるかもしれないし、やなせさんがラジオで紡いだ世界も文化の一つ。今、新しいサービスや新しいものがたくさん出てきて、その中で何を選ぶかという時代になっていますが、ちょっと前を振り返ってみると、すごくすてきで、すばらしくて、心に響くものってたくさんあると思います。戦争がある今の時代にやなせさんの作品を見るとあらためて響くものがあると思うんです。そういった文化を風化させないように、大事な時に、皆さんにあらためてお届けして、そのともしびを絶やさないような番組やものづくりがしたいです。それだけではなくて、新たなともしびを今度は自分がつくって、それをまた誰かが残してつないでいく形で、伝えていける人になりたいです。

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<文化放送・コンテンツ局A&Gデジタル部の豊澤佑衣さん>

倉崎 思いは一緒です。何かお力になれることがあったら、ぜひコラボしましょう。文化をつないでいくことに関して、今回の番組は、アーカイブから発掘された点が大きいですよね。ドラマづくりも同じで、過去の資料をどれだけ発掘できるかが出発点です。NHKにはやなせさんのドキュメンタリーやインタビュー映像など、膨大なアーカイブがあります。大河や朝ドラも、まず関連資料を徹底的に洗い直すところから始まります。スタッフが数十人規模になるので、誰でもアクセスできる場所にアーカイブを置き、作品づくりに臨むべきだと思っています。そして、『あんぱん』で培ったものを未来に残すことも重要です。今回、発掘された資料から番組をつくったことは制作者にとって励みになりますし、それを若い豊澤さんがやったことがすばらしいと思います。

豊澤 今回はたまたま見つけられたけれど、全部がよい状態でちゃんと保存できているわけでは正直ありません。簡単なデータベースはあるんですが、そこにアクセスしても今の私ではわかるものがそんなにはなくて。ただ、先輩と一緒に見ていくと、新しい発見があります。若者だけの力ではきっと見つけられない部分があります。世代間交流みたいなことは、社内はもちろん、全国でもっと広がっていったらうれしいなと思います。

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<㊧、㊨上:やなせさんが同席する収録のようす
㊨下:『現代劇場「潜水艦モーグリ号の冒険」』のやなせさんが制作したイラスト>

倉崎 対談させていただいて、豊澤さんのピュアな思いが伝わって、世の中に対してこうしたい、こうなってほしいみたいな思いをひしひしと感じました。それをちゃんとアウトプットできる枠や、若者を応援する先輩の存在は大事だなと思っています。若い世代にバトンを受け継いでいきたいです。本日はありがとうございました。

豊澤 ありがとうございました。

(編集広報部注) 連続テレビ小説『あんぱん』スピンオフ特集オーディオドラマ『さいごのうた』がNHK-FMで2026年1月3日(22:00~22:50)、NHK-R1で2026年1月13日(21:05~21:55)に放送される。※NHKネットラジオらじる☆らじるおよびradikoでネット同時配信予定


文化放送 コンテンツ局A&Gデジタル部
豊澤 佑衣(とよざわ・ゆい)
1999年東京都生まれ。2022年文化放送入社、編成部で広報・編成・アーカイブライツ管理業務などを担当。現在は番組プロデューサーを務めるほか、ファンコミュニティ事業運営などに携わる。

NHK コンテンツ制作局第3制作センターチーフ・プロデューサー
倉崎 憲(くらさき・けん)
1987年京都府生まれ。2011年NHK入局。これまで携わった作品は連続テレビ小説『あんぱん』『おかえりモネ』『エール』、大河ドラマ『いだてん』『平清盛』、特集ドラマ『ももさんと7人のパパゲーノ』、よるドラ『ここは今から倫理です。』など。

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