【村上圭子の「持続可能な地域メディアへ」】⑦ 被災地と向き合い続ける覚悟~石川県ローカル民放テレビ4局訪問記

村上 圭子
【村上圭子の「持続可能な地域メディアへ」】⑦ 被災地と向き合い続ける覚悟~石川県ローカル民放テレビ4局訪問記

メディア研究者の村上圭子さんによる連載です。テーマは「ローカル局」。村上さんは、NHK放送文化研究所メディア研究部に在籍時から放送政策、地域メディア動向、災害情報伝達について発信してきました。ローカル局が直面している厳しい現実のなかで新たな挑戦をする局、人への取材を中心に、地域メディアの持続可能性を考えていきます(まとめページはこちら)。(編集広報部)


はじめに

202411日に能登半島で地震が起きてから2年が過ぎた。今年の元日には、石川県のローカル局各局でさまざまな特集番組が制作された。その内容は民放onlineが各局別にまとめているのでご参照いただきたい。筆者は2026年1月下旬に、石川テレビ放送、テレビ金沢、北陸朝日放送、北陸放送の4局を訪問し、地震後から継続的に取り組んでいる番組や事業、今後取り組みたいと考えていることなどを伺った。

地域事業に関する取材で2025年7月に静岡県の4局を訪ねた時にも感じたことであるが、今回もあらためて、地域に複数の局があるという「多元性」は、地域でさまざまな価値を提供する「多様性」につながっていると実感した。そして、4局に共通して感じたのは被災地と向き合い続ける覚悟であり、それはまさに、地域に根差すローカル局の「地域性」を体現するものであった。

筆者は本連載で、総務省で開催中の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(以下、在り方検)」の議論についてもその都度リポートしている(最新記事はこちらから)。そこでは、人口の少ない県に民放テレビ局が4局ある地区の窮状や、「12波」などのマスメディア集中排除原則の緩和策、「多元性・多様性・地域性」といういわゆる放送三原則の形骸化などが議論されている。人口減少とメディア環境変化の中では避けては通れない議論であり、局の経営が持続していかなければ、地域メディア機能の維持や地域情報の確保は困難であるという議論も理解できる。そういう意味では、石川県はもともと人口が多くない県であることに加えて、地震によって人口も急激に流出している。その中で、ローカルテレビ局が4局存在するという状況は、在り方検の議論が想定する、最も厳しい放送対象地域の1つであることは間違いない。現在、各局が提供しているような地域メディア機能や地域情報を、最低でも維持、できれば拡大していくためには、放送のエコシステムをどのように再構築していくべきか、放送制度をどのように再設計していくべきか、霞が関での議論だけでなく、現場目線で考えていく必要があると痛感した。

本稿では、地震後に各局が力を入れている取り組みについて、お話を伺った人たちの被災地への思いもあわせて紹介していく。

石川テレビ放送 能登人の「"待つ"つらさ」と共に歩む

石川テレビ放送では、常務取締役の米澤利彦さんと、報道制作局報道制作部担当部長でアナウンサーの稲垣真一さんにお話を伺った。2人に共通していたのは、2007年に起きた能登半島地震の際に十分な取り組みができていたのか、と自らに問い直す姿勢であった。

2007年当時、米澤さんは制作部長だった。「今回の地震で大きな被害を受けたのは生活基盤が弱い地域が多いが、2007年当時から、そうした地域では少子高齢化の課題や耐震基準の問題、医療機関のあり方などが指摘されていた。われわれメディアは、地域に対しては災害に強いまちづくりなどの啓発活動を、自治体や国に対しては制度を変えるための報道をしていたら、もう少し被害を防げたのかもしれない」と語った。その上で、今は、被災地の報道メディアの使命として、大きく2つの点に力を入れているという。1つ目は、時間が経過するほど複雑になっていく被災地の課題を訴え続け、社会に働きかけ、制度などを動かしていくこと。2つ目は、被災した人たちを継続して勇気づけていくことである。

この2つ目にあたるのが、稲垣さんが担当する「能登人を訪ねて」(外部サイトに遷移します、以下同じ。)というコーナーである。平日の夕方の報道情報番組『石川さんパレット』(16時45分~19時)で毎週木曜日に放送している約10分のコーナーで、地震発生から3カ月後の20244月に開始し、20262月末現在で90回を数える。米農家、商店や食堂の経営者、お寺の住職、子育て中の夫婦など、多様な市井の"能登人"を稲垣さんが訪ねるスタイルだ。公式YouTubeチャンネルでは過去の回も全て公開している。

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【左から常務取締役の米澤利彦さん/「能登人を訪ねて」(出典:石川テレビ放送ウェブサイト)/同コーナーを提案・担当する稲垣真一さん】

コーナーの提案者は稲垣さんである。稲垣さんは地震当日、スタジオで被災し、そのままアナウンサーとして緊急放送を担当。その直後、誰かが継続的に被災地を見続けていかなければならない、と上司に訴えたという。そう考えた理由を伺うと、米澤さんと同様、2007年の地震の時の話になった。「2007年の地震の時は、直後に現地に入り、被災した80代半ばと60代半ばの母娘2人暮らしの取材をした。家に居候みたいにさせてもらいながら取材を続け、いろいろなことを学ばせてもらったが、自分は当時、ドキュメンタリーを制作するには能力不足だった。今回の地震は、2007年の時より被害が拡大することはすぐに分かった。今回こそはしっかり伝えなければならないと思った」という。ちなみに、当時に取材した母娘のうち、母は2020年に亡くなったが、娘は母とほぼ同じ齢となり、今回の地震でも被災し、今は仮設住宅に暮らしているという。当時お世話になった恩返しを少しでもしたいという思いもある、と稲垣さん。ただ、「被災した人に対して、腹を割って本音で話をしてもらうのは、相手にものすごく負担をかけること。だから、その人の人生をちょっとでも引き受ける覚悟がないといけない。そうした意気込みで続けていきたいが、どこまでできるか葛藤もある」という。

稲垣さんは、被災地の2年目とは「"待つ"つらさ」であったと語る。仮の住まいや仮の店舗でひとまずの生活は始まったが、今後の展望や町の未来は見えない。これからも多くの"能登人"の待つつらさに、悩みながらも誠実に耳を傾け続けていく稲垣さんの姿が目に浮かんだ。

石川テレビ放送ではこの他、富山テレビ放送と共同で「北陸応援おせちプロジェクト」を立ち上げるなど、事業でも被災地を応援する取り組みを実施している。ドキュメンタリー制作部・部長の五百旗頭幸男さんは、穴水町を舞台に制作した映画『能登デモクラシー』のその後を描いたドキュメンタリー番組『穴水ラプソディー』を、昨年12月末に放送した。また、地震発生後、L字放送を視聴者がdボタンでオン・オフができる仕組みを構築したが、さらに開発を進めて、L字放送用に入力したデータをそのままウェブでも表示できる仕組みを作った。視聴者にQRコードを読み込んでもらうことで、ウェブでもL字情報を入手できるようになったという。

テレビ金沢 映像で積み重ねる"小さな希望"

テレビ金沢では、報道制作局長の蔵宏太朗さんにお話を伺った。同社制作番組には、能登に関連するさまざまなコーナーがある。平日夕方のニュース・情報ワイド番組『となりのテレ金ちゃん』(1553分~19時)では、「能登のきらめき[1]」「のとだより」「藤井貴彦のいま、ここから[2]」「松原健之の出張!のとコン[3]」が、土曜日の『news every.サタデー』(17時~1730分)には「能登のともしび」がある。これらの大半は、アーカイブとしてYouTube公式チャンネルで公開されている。以下、蔵さんのお話を中心に「のとだより」と「能登のともしび」を紹介する。

のとだより」は、能登半島地震後ほどなく始まった企画である。最初は主に避難所から、今は商店街や道の駅など、人が集う場所に訪問し、井戸端会議のような雰囲気で会話しながら、スケッチブックに誰かに伝えたい思いなどを書いてもらうという5分弱のコーナーだ。蔵さんは、「能登の人たちは、被災地に取材に行くとお茶やお菓子を出して『よう来てくれた』と言ってくれる、優しくて温かい人が多い。そして、とても我慢強い面もある。そんな皆さんにできるだけ胸の内を語ってもらいたい、そして、地震後の能登で人のつながりがどうなっているのかも教えてほしい。そう思ってこの企画を考えた」という。私も、取材で何度か能登半島を訪問し、能登の人たちの優しさや芯の強さを常々感じていたので、うなずきながら蔵さんの話を伺った。また、このコーナーを担当し続けているのは、実家が輪島市で酒屋を営み、自らも被災したというディレクターである。「能登の人であり、被災者でもあるので、同じ目線で自然と会話が生まれる」と蔵さん。取材者である前に同じ地域の住民である地域メディアだからこそできる企画だと感じた。

能登のともしび」は1分ほどのカメラマン企画である。こちらも地震後ほどなく始まり、初回は202419日であった。当時、報道制作局次長だった蔵さんが提案した。「被災地はつらくてつらくてどうしようもない状態で、伝えていて無力感しかなかった。そんな中、少しずつでも小さな希望を探し、それを映像で紡いでいこう」と考えたという。実は蔵さんは、プライベートで音楽をやっており、自分の能登への思いをメロディにしてピアノで弾き、その音源を編集室に持ち込んだ。「編集室から漏れ聞こえてくるピアノの音色を聞いて、"避難所の横で子どもが雪だるまを作っていたよ"とか、"ウクライナの人がボランティアに来てくれていたよ"など、多くのスタッフが映像を持ってきてくれた。このコーナーを作ってから、被災地の悲惨なところにばかり目を向けるのではなく、人の笑顔や息遣いのある場面に気づくようになった。取材者の被災地への眼差しが変わったと思う」。「能登のともしび」には今も、地震直後に蔵さんが作ったメロディが流れている。時間の経過とともに、メロディラインは変えずに少し編曲を加えて、曲調を明るめに変えているという。

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【上から時計回りに「能登のともしび」©テレビ金沢"東日本と能登" 災害FMが結ぶ縁 宮城・女川町の女性陣が炊き出し(2026年2月14日)/「のとだより」出典:テレビ金沢ウェブサイト/「のとだより」を提案した蔵宏太朗さん】

テレビ金沢ではこの他、日本テレビ系列としての取り組みも数多く行っている。2025年の『24時間テレビ』では、復興支援事業として、能登町のやなぎだ植物公園で芝生の苗を植える「みんなの芝生広場プロジェクト」が行われ、2024年夏の同番組は、七尾市の能登食祭市場がメインの両国国技館に次ぐ第2会場となり、『笑点』も行われた。また、同系列では今年11日、地震発生時間にあわせた『震災報道特番』が放送され、輪島市と七尾市から中継した。『NNNドキュメント』でも、昨年に続き今年も1月に、同社制作番組が放送された(『いつになれば 地震から2年 能登の現在地』)。

北陸朝日放送 19のありがとうを届ける

北陸朝日放送では、編成局長の金子美奈さんにお話を伺った。北陸朝日放送は、地震前から地域とのつながりを生かした多様な事業を行ってきた。ここでは、「石川ふるさとCM大賞」と、それを発展させる形で誕生した復興応援企画「石川19のありがとう」を紹介する。

ふるさとCM大賞は、主にテレビ朝日系列のローカル局で行われている事業で、地元局が市町村(以下、自治体)の地域活性化と自治体PRのスキルアップに寄与することを目的としているものである。具体的には、各自治体に30秒程度の動画CMを作成してもらい、それを評価するイベントを開催、イベントの様子を放送するとともに、副賞としてCM枠を提供する局もある。北陸朝日放送は2002年から20年以上、毎年、県内の全ての自治体に参加してもらう形で取り組んできた。

地震が発生した後、北陸朝日放送は2024年度も例年通り開催するのかどうかの判断に迫られた。金子さんは、「もし開催するなら意義を見直すところまで原点回帰しないと、全ての自治体には納得して参加してもらえない」と考えたという。地震発生から2カ月半後の2024316日には、北陸新幹線が石川県全線で開通した。同じ石川県内でも、被災してPRどころではないという能登の自治体と、新幹線開通という悲願達成のタイミングで大いにPRをしたいと考えている自治体とで、状況は大きく異なっていた。東北の事例や専門家の意見を参考に議論を重ねた末、被災地であるからこそ発信を止めてはいけない、ということと、自治体間で事情が異なっているからこそ、石川県の全自治体が1つになって行うべきではないか、となって開催を決断した。

テーマは「石川19のありがとう」に設定した。金子さんたちは1つ1つの自治体を回って参加を呼びかけ、人手が足りない被災地の自治体には、協力してくれる大学や専門学校を探し、マッチングも行った。学生たちにも、被災地を知るきっかけになると考えたからだ。そして、全ての自治体に伴走する形で取り組みを進め、202411月、無事、全自治体が参加する形でイベントが行われた。グランプリは決めず、講評だけ行った。

イベント終了後、担当した金子さんたちは、自治体が制作した19作品をリレー形式で1つにつないで、石川県からのメッセージとして番組化したらどうかと考えた。まず自社放送枠として、20254月から11月まで、毎月最終土曜日の午前11時からの15分枠を確保した。「編成局長の権限を行使しました。この枠以外にも、深夜などに放送できる時間があれば放送していった」と金子さん。地上波での放送と並行して、地元企業、系列局、これまで取材でお世話になった団体などに呼びかけ、放送やサイネージなどで上映してもらえるよう協力を依頼した。最初に応じてくれたのは金沢市の企業の社員食堂だった。その後、金沢の目抜き通りの大企業のビルや各市町舎のロビーのサイネージ、輪島市の仮設住宅の集会場などに展開していった。地震の記憶を風化させたくない、という思いを理解し、東日本大震災の被災地である宮城県の東日本放送など、各地の系列局も協力してくれた。ちなみに東日本放送は、能登半島地震後、宮城県の震災の経験や教訓を能登半島地震の被災者に伝えようと、特設サイト「宮城から能登へ」を開設し、ウェブサイト上で互い連携している。

2025年度は、昨年11月にイベントを開催し、その様子は12月に放送された。テーマは「ふるさとLOVE」。グランプリは、復興への思いをエキストラ150人以上と共に表現した輪島市だった。 

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【左上から時計回りに編成局長の金子美奈さん/第24回石川ふるさとCM大賞グランプリは輪島市「わじま すきねんちゃ。。。」/ふるさとCM大賞のテーマ「石川19のありがとう」(出典:北陸朝日放送ウェブサイト)】

この他、北陸朝日放送では、地域のイノベーション人材を発掘・育成し、新たな価値創造を実現し、日本全体のイノベーションエコシステムを形成することを目指す経済産業省の取り組み、「AKATSUKIプロジェクト」に挑戦し、「ミライツクル~デジタル技術を活用した北陸地域のミライ社会実現プロジェクト~」を実施。約6カ月かけて、大学の教員やICTのエキスパートと共に、被災地の復興などの課題解決に向けた事業創出やプロダクト開発を行う人材育成を手がけた。また、特集番組としては、2025年末に制作した『震災と人間2025~「地図にない村」の未来~(詳細はこちら)』の他、地震と豪雨の複合被害を受けた輪島市町野町の被災当事者3人が思いを語り合うドキュメンタリー『能登豪雨から1年 輪島に生きる「故郷・町野よ」』を制作している。

北陸放送 報道機関として伝え続ける使命

北陸放送では、代表取締役社長の島田喜広さん、報道制作局報道部長の大西宏和さん、ラジオ局ラジオ開発部長の岩見雅彦さんにお話を伺った。3人それぞれの被災地、被災者への思いや考え方があった。取り組みと共に紹介する。

ラジオ番組の制作で大事にしていることについて、岩見さんは「被災して痛みを感じている人たちに寄り添うこと、そして、仮設住宅などに住んでいて孤独を感じている人たちに語りかけること」だと語った。最近の取り組みとして、今年の元日の追悼式の特集番組で、黙禱を1分間そのまま無音で放送したことをあげた。昨年は、黙禱開始から20秒くらいでアナウンサーがコメントをしていた。映像があるテレビと異なり、ラジオで無音を1分間伝えるのはかなりの勇気が必要である。しかし、聴いている被災者の気持ちに立つという意思表示をしようと決断したという。

また、岩見さんは被災して能登を離れた人たちに対する意識も強く持っていた。石川県の今年11日時点の人口推計によると、奥能登4市町(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)の人口は、202411日と比べて14.1%減少している。岩見さんは、「能登を離れた人たちの中には、子どもの通学のことなどやむを得ない事情があった人が少なくない。どうしても能登で生きる人たちに焦点があたりがちだが、能登に思いを残して離れた人たちにも寄り添い、県全体、そして全国に被災地の現状を伝え続けることが自分たちの役割だ」と語った。

能登について伝え続けているラジオ番組としては、昼のワイド番組『ノコトラジオ』(火~金、13時~16時)の毎週火曜日に「ノトノコトノハ」というコーナーがある。元アナウンサーの西尾知亜紀さんがディレクター兼リポーターとして奮闘している。

テレビ報道については、昨年10月に開始した、新しい報道番組『INSIGHT VOICE(インサイト・ボイス)』(毎月最終金・25時45分~2615分)を中心に紹介する。

お話を伺った大西さんが、この番組の提案者であった。大西さんは、番組タイトルに込めた趣旨を「何が正義と考えるかは人それぞれ違う。でも、語っている人の声の奥にあるものを感じ取ってもらい、何かを得てもらえるような番組にしたい」と語った。ローカル局の中でも、不定期にドキュメンタリーを制作し、放送する局は少なくないが、あえてレギュラー枠にしたという。これについては、番組経験の少ない若手を中心に番組制作の底上げを図る、そして、地域との関係性を構築して継続取材ができる体制を作る、という明確なねらいがあった。

番組はこれまで3回放送しているが、1回目は輪島塗職人、2回目は穴水町の区長、3回目は被災地で復興ビジネスを志す起業家と、いずれも能登半島地震に関する内容である。TVerにも配信し、ドキュメンタリーシリーズとしては再生数と視聴継続の両指標で高い支持を受け、アクセスも全国からまんべんなくあったという(TVerの配信はこちら〔最新話を配信〕。アーカイブはYouTube公式チャンネルで配信中)。

大西さんは、能登がこれから歩んでいく道は、日本各地で人口流出・減少に悩む地域のロールモデルになると考えている。そうした観点で注目している地区として、七尾市の和倉温泉地区と珠洲市の真浦地区をあげた。和倉温泉については、地震後の観光まちづくりをどのように目指し、合意形成を図っていくのか、真浦地区については、緊急時にエネルギーを自給自足できる現在進行形の新たな地域づくり[4]がどこまで実現していくのか。被災地・能登から日本の未来に向けた問題提起を描く、そんなローカル局の自社制作番組を期待したい。

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【左から報道番組『INSIGHT VOICE』(出典:北陸放送ウェブサイト)/同番組を立ち上げた報道部長の大西宏和さん/社長の島田喜広さん/ラジオ開発部長の岩見雅彦さん】

最後に、社長の島田さんの話を紹介しておく。島田さんは、能登半島地震は、「そもそも放送局とは何のために存在するのか、国から免許を受けている公共的使命とは何かを考え直す機会だった」と振り返る。そして、「報道機関である以上、被災地がどんな悲惨な状況にあっても、被災者に正面から取材をし、それを放送することこそが使命である。被災者が最もつらいのは、いつか自分たちが忘れ去られてしまう、記憶が風化してしまうことだ。だからこそ、われわれはどんなに悲惨な状況であっても記録することをあきらめてはならない」と続けた。中でも印象に残ったのが、「寄り添うことは見守ることではない」という言葉であった。メディアの使命は伝えることにある。被災地での取材経験も多い筆者自身にも強く心に刺さる言葉であった。

もう1つ、島田さんの言葉で印象に残ったものがある。それは「情から理へのシフト」である。「被災地を扱う番組は『情』に訴えるドキュメントになりがちである。もちろん、1人の人生、1つの地区にフォーカスし、関係性を大事にしながら継続して取材することは重要である。一方で、被災地を俯瞰で見ることも忘れてはならない。データを駆使して現状を分析し、人口が流出する中で能登は今後どうなっていくのかを『理』」で考えることがこれからは必要ではないか」という趣旨の話であった。現場を走り回る取材者個人が、その両方の視点を持つことは難しいかもしれないが、組織としてどのようなバランスで「情」と「理」を組み合わせていくのか、2年を過ぎた被災地の地域メディア全てが、自覚しなければなければならない問いであると感じた。

おわりに

今回の原稿では、4局の取り組みを紹介すること以上に、被災地の地域メディアで働く人たちが、被災地や被災者に向き合う思いに重きを置いて紹介した。その眼差しや葛藤、そして覚悟は、被災地の外から取材や調査を続ける筆者にとっても多くの学びがあった。多忙な中、快くご協力いただいた4局にあらためて感謝したい。

今回の取材で、能登は「虹の産地」であることを初めて知った。被災地や被災者の心に架かる虹を探しに、筆者もまた近々、能登を訪ねたいと思う。


[1] 2014年から3年にわたり、里山里海の美しい風景や文化を紹介してきた「能登のきらめき」を、アーカイブとして放送。「能登半島地震で一変してしまった多くの風景...。再び豊かで美しい光景が広がることを願い、きらめいていた能登の景色をもう一度シリーズでお伝えしていきます」としている
[2]news zero』の藤井貴彦キャスターが、毎月被災地を中心に石川をたずねる企画
[3] 「金沢望郷歌」を歌う歌手で、長らく番組レギュラーで出演していた松原健之さんが、デビュー20周年の2025年から、能登への応援の思いを込めて各地でミニコンサートを行う模様を紹介する企画
https://www.youtube.com/watch?v=BVK-091TO8Y&list=PLiSRThCr-9GuF27DoJstaKWhNqLd0y30H
[4] 「希望あふれるプロジェクト」能登半島地震の被災地でエネルギーを自給自足できるモデルルームが完成 | TBS NEWS DIG

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