「onlineレビュー」は編集担当が注目した新刊書籍、映画、ライブ、ステージなどをいち早く読者のみなさんと共有するシリーズ企画です。今回は、2026年2月3日まで東京都多摩市のKDDI MUSEUMで開催中の企画展「放送のウラに通信アリ展」(事前予約制)を民放online記者が紹介します。
1925年3月22日、ラジオ放送が電波に乗った。現在のNHKの前身である社団法人東京放送局が、港区の愛宕山放送局局舎から発した一声が、日本の放送史の幕開けとなった。それから100年、2025年は「放送100年」として位置付けられる。
この節目に、放送の裏側で通信が果たしてきた役割に光を当てる企画展「放送のウラに通信アリ展」が開催中だ。会場は多摩センターのKDDI MUSEUM。放送と通信の共進化を示す貴重な資料が並ぶ同展を、10月31日に訪れた。
放送開始前夜の高まる期待
『民間放送十年史』をひもとくと、放送開始のわずか数年前、日本ではすでにラジオへの期待が高まっていたことがわかる。世界初の放送局がアメリカで誕生したのは1920年。そのニュースは日本にも届き、1922年には新聞社によるラジオ放送の公開実験が行われている。遠くの出来事を瞬時に知ることができる――その革新性は、当時の人々にとって驚異で、ラジオは未来の象徴だったと推測できる。
国産第1号鉱石ラジオの復刻版
展示室に入ると、まず目に飛び込んでくるのが「国産第1号鉱石ラジオ」の復刻版だ。これは1925年4月、シャープ創業者の早川徳次郎が組み立てに成功した国産ラジオ機を、シャープ社友会が放送100年を記念して部品から再現したものだ。ラジオ放送開始の翌月に、国産ラジオ機の製造に踏み切る部分も、当時の期待の高さをうかがい知ることができる。
興味深いのは、このラジオで実際に電波を受信し、録音した架空番組を聞ける体験コーナーだ。筆者も試してみたが、音は驚くほどクリア。ただし鉱石ラジオは音量が小さく、レシーバーが必須なため複数人で同時に聞くのは難しい。そのため、やがて真空管式ラジオへと置き換わられていく。展示にはラッパ型スピーカーを備えた真空管式受信機も並び、技術の進歩を実感できる。
日本のラジオ放送は、開始から驚異的なスピードで生活に浸透した。『民間放送十年史』によれば、放送開始翌年の1926年末には東京放送局エリアで普及率7.22%を記録。ラジオ雑誌も百種類以上刊行されていたという。
<復刻した国産第1号鉱石ラジオ 電源なしでラジオを聴くことができる>
通信が支えた「遠くの現場」
企画展の核心は、放送の舞台裏で通信が果たした役割だ。ベルリンオリンピック(1936年)、湾岸危機(1990年)、そして2022年FIFAワールドカップ・カタール大会まで、海外中継を可能にした通信技術の進化や海外向けの短波放送についてパネルで紹介している。
中でも目を引くのは、1963年に実現した初の日米衛星中継だ。国際電信電話株式会社(KDD、現KDDI)とNHKが窓口となり、日米間を衛星で結び、NHKをはじめ全民放が同時にテレビ放送するという試みだった。しかし、その歴史的瞬間に飛び込んできたのは、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の悲報。映像は日本のお茶の間に届けられ、放送史に刻まれる出来事となった。
この衛星中継は移動衛星を利用しており、1回の中継時間は約20分。次の中継は衛星が地球を一周して戻るまで2~4時間待たねばならないという制約があった。こうした技術的背景は、常設展内の「宇宙への挑戦 ―衛星通信―」で詳しく紹介されており、あわせて見学する価値がある。
パネル展示には、ケネディ暗殺を伝えた日本語アナウンスの一節も引用されている。「この電波にのせて、まことに悲しむべきニュースをお伝えしなければなりません」――この言葉を発したのは、毎日放送の前田治郎特派員だ。これらの報道に関連して、毎日放送は、第12回民放大会賞(日本民間放送連盟賞の前身)テレビ報道活動賞揚部門最優秀を受賞している。
ワンセグ、そして5Gへ
展示はさらに、翌年の1964年東京オリンピックでの海外中継に関する資料へと続く。そこから時代は一気に進み、ワンセグ搭載の携帯電話やスマートフォン、そして最新の5G SA(Stand Alone)ネットワークスライシングによる映像中継技術の紹介へ。放送と通信が互いに進化を促し合いながら、私たちの生活を変えてきたことが一望できる。
放送開始から100年。KDDI MUSEUMの企画展は、その歴史を「技術の物語」として体感できる場だ。遠くの出来事を、時差なく、より鮮明に――その挑戦は、これからも続くだろう。次の100年、私たちはどんな世界を、どんな方法で共有しているだろうか。
<手前がテレビ放送を受信中のワンセグ、奥は5G通信端末がついたカメラ>
