ニュース取材・番組制作に携わる者にとって、日本民間放送連盟賞は憧れのコンクールです。この栄えある賞で、特にテレビエンターテインメント部門で番組内容が認められた――これは、イーちゃん(小長谷唯織/いおり)の家族が認められたことを意味します。涙が止まりませんでした。全盲のイーちゃんが幸せをつかむまでの道のりは長く、険しく、イーちゃん自身も、弟の息吹(いぶき)君も、家族も、取材する私たちも、何度も何度もくじけそうになりました。でも「苦労した分だけ幸せは必ずやってくる」と互いが信じ、この瞬間を多くの人に届けたいと願ったからこそ、この番組は生まれたんだと思います。
1998年、静岡盲学校(現・静岡県立静岡視覚特別支援学校)100周年の記念式典で私の目の前を駆け抜けていったイーちゃん(8歳)。その笑顔は花が咲いたようで思わず声をかけました。ひとつ質問すれば10答えが返ってくる聡明な子で、話していると私自身元気になりました。「この子の家族に会ってみたい」これがすべての始まりです。
「全盲の姉と重度障がいの弟」みなさんは率直にどう思いますか。障がい=かわいそう、大変、暗い、できることなら関わりたくない。これが本音ではないでしょうか。でもイーちゃん家族の強さと明るさは"障がい"という概念を変えてくれるかもしれない、障がい者にモザイクをかける日が終わるかもしれない、と出会ったその日に直感しました。
1999年、視覚障がいの世界・盲学校教育を伝える55分番組『イーちゃんの白い杖-100年目の盲学校-』を制作。通常は番組が終われば、一旦取材も終わりますが、唯織と息吹、これからどう成長するのか、生きやすい社会になるのか「見届けたい」という思いを消すことはできませんでした。日々発生する事件事故・災害・選挙――ニュース取材が私の本業ですから、イーちゃん家族の取材は休みの日。番組制作費がないため、ニュースの企画として放送することで追い続けました。
いじめ、夢の挫折、恩師との別れ、突然の解雇。いくつもの壁にぶつかり、笑顔が消えたイーちゃん。その姿を撮影するのは私も苦しく、何度やめようと思ったか分かりません。言い合いになったこともありますが、盲学校でもいじめはある、健常者も障がい者も悩みは同じなんだと伝える必要がある、イーちゃんはいつの日か必ず笑顔を取り戻すと信じ、見守る道を選択しました。取材テープ・ディスクは700本を超えます。
この間、2010年に姉と弟の絆を描いた55分番組『いおりといぶき-私たちが生まれた意味-』を制作。2016年の重度障がい者殺傷事件を機に映画化を決め、2023年、3本目のテレビ番組を制作・放送しました。インクルーシブ教育、重度障がい者の慢性的な施設不足、出生前診断、就職難。障がい者が乗り越えなければならない社会の壁をみつけ、解決する手段を考えたいと25年無我夢中でした。
33歳になったイーちゃんは言います。「悩んでいる姿を撮影されるのは嫌でした。どうしてそこまでする必要があるのか分かりませんでした。橋本さん(同番組制作の監督)のことは好きだけど、カメラを回す橋本さんは嫌いで......でも、私を見捨てず見守ってくれたこと、いまは感謝しています。これからも末永くお付き合いをお願いします」と。その笑顔は自信に満ちていました。
そして、イーちゃんの母は言います。「私たちは決して"かわいそうな家族"じゃない。私たちなりに毎日毎日を楽しく生きています。息吹も31歳。同級生は仕事をして家庭を持って自立していると思うけど、息吹はいつまでも私に抱っこされ、そばにいてくれる。これは私だけの特権です。唯織も結婚し『旦那さんと一緒に息吹を守る』と言ってくれるので、私たち夫婦は幸せ者です」と。唯織と息吹、障がいを持って生まれたからこそ家族をひとつにしました。障がいがあろうがなかろうが、誰にも生まれてきた意味があると教えてくれました。
『イーちゃんの白い杖』は、障がい者が主人公の番組ですが、どこか笑えて、ちょっぴり泣けて、元気になれるエンタメ番組です。全国のみなさんに、世界のみなさんに末永く見てもらえるよう、これからもイーちゃん家族とともに歩み続けます。
特別表彰部門放送と公共性の最優秀
イーちゃんの白い杖 25年継続取材と全国発信プロジェクトの受賞のことばはこちら。