8月23日中央審査【参加/112社=112本】
審査委員長=鏡 明(評論家、元電通顧問、ドリルエグゼクティブ・アドバイザー)
審査員=市川紗椰(モデル、タレント)、城戸久枝(ノンフィクションライター、社会福祉士)、布施英利(美術批評家、東京藝術大学教授)
※下線はグランプリ候補番組
今回のテレビ教養番組の審査にあたって、教養の定義について、何度か問題提起があった。最終審査に残った番組を見ても、そこにはさまざまな形があることは明らかだ。教養、そして教養番組の定義は、結局のところ固定的なものではなく、その時代ごとに変化していくものであるということになるだろう。今回の審査に残った7番組の中で5つがドキュメンタリー的な仕上がりになっていた。そこに現在のテレビ教養番組のあり方の一つが示されていたように思う。
最優秀=ワールド・ハイビジョン・チャンネル/#つなぐひと〜わたし、義肢装具士になりました〜(=写真)
義肢の利用者ではなく、それを作る義肢装具士を取り上げた。その着眼点が素晴らしい。若い義肢装具士が、初めて最初から完成まで義肢を作るという出来事を追っている。その過程で義肢装具士という仕事が、利用者の体の変化に応じて調整を繰り返すことが必要であり、結果としてほぼ一生、利用者とともに生きていく仕事であることを教えてくれる。「糖尿病」と「足の切断」という問題をテーマの一つにしているが、それだけではなく、健常者にとっても、「身体」とは何かということを問いかける深みと広がりを感じさせる。そこに教養番組としてのこの番組の価値があり、最優秀にふさわしいとした。
優秀=山形放送/第2の家〜あなたの再出発、手伝います。〜
居所のない人に再出発までの居場所を提供する活動と、そこにやってくる人たちを取り上げる。再出発が厳しい45歳の男性、大人に絶望している女子高生といったさまざまな人たち、彼らを支えるための「第2の家」を運営する主催者たち。行政の隙間を埋める活動ではあるが、それを声高に語るのではなく、淡々と語っていく。感動の押しつけもない。それがこの番組の長所であり、同時に短所でもある。
優秀=新潟放送/日本人妻 大原芳子さんの場合〜北朝鮮帰国事業と新潟〜
北朝鮮帰国事業の舞台となった新潟らしい番組。一本のラジオのテープから、当時の熱狂ぶりや状況、そして日本から北朝鮮に送り出す側、送り出される日本人妻の苦悩といった人々の心情を描こうとした労作。ラジオ番組からテレビ番組を作り出すのは難しい作業だが、全体としては成功している。ただし、日本人妻たちが北朝鮮に渡ってからの情報があまりにも少ない。それはこの番組の問題ではなく当時の日本のメディア全体の限界であっただろうが、それでも、物足りなさが残った。
優秀=CBCテレビ/盗るな 撮れ 〜罪と少年とケーブルTV〜
罪を犯した少年を正社員として雇ったケーブルテレビ局を、他のテレビ局が取材するという構造が興味深い。テレビ局のスタッフとして努力する少年、両親との関係、そして仲間のスタッフとの関係を追っていく。少年を雇用したプロデューサーが少年以上に前面に出てしまっているが、それもこの番組に深みを付け加えている。少年犯罪が増加する中で、彼らの更生を考えることは重要な問題であり、この番組の意味もそこにある。
優秀=毎日放送/俳句×SDGsの未来教室
俳句とSDGsを組み合わせるというアイデアが新鮮だった。またこの種の啓蒙的な番組では、先生が男性で、生徒が女性や子どもというパターンが多い中で、先生が二人とも女性であるということが、SDGsのジェンダー平等をそのまま示している。聞き手の高校生たちが俳句に興味を持ち、それがSDGsへの興味につながるという構成も優れている。硬い問題をエンターテインメント的に処理している。そこにあざとさも感じるが、新しい教養番組としての可能性も感じさせてくれた。
優秀=山口朝日放送/国近さんの日記 ひきこもり40年、それから・・・
今年は社会から置き去りにされた人たちを取り上げる番組が目立った。その中で一人の老人の社会復帰に向けた努力を、時間をかけて忠実に追いかけたこの番組は、優れた仕事の一つになっていた。われわれが日常的に接しているさまざまなことが、主人公の社会復帰を妨げる大きな壁になっていること、彼を支援するNPOが行政の立ち遅れを指摘する場面、主人公が直面する就労の問題など、考えさせられることが多かった。何よりも主人公が「社会の一員として底辺でもいいから引っかかっていたい」と述べる一言が重い。
優秀=九州朝日放送/軽バンガール 〜私がこの道を進むワケ〜
寝食ができるように改造した自動車(軽バン)で暮らし、自由に生きている若い女性を描いている。ネット上でよく見る企画だが、なぜテレビでそれを取り上げたのか? 主人公の周囲の人々の反応を丁寧に描くところなど独自性を感じさせるが、重要なテーマである「普通」に生きることへの疑問をもっと掘り下げるべきだったのではないか。惜しい。