2025年4月24日、日本記者クラブ賞が発表され、三重テレビ放送の「ハンセン病問題取材班」が特別賞を受賞しました(既報)。2001年から20年以上にわたって岡山県の療養所に通い、ドキュメンタリーの制作だけでなく、書籍の出版や自治体・市民団体との協業など多岐にわたります。こうした差別と偏見を取り除くための地道で多角的な活動が高く評価されました。そこで、同取材班の代表を務める小川秀幸編成局長に寄稿いただきました(冒頭画像は5月29日に東京都内で開かれた贈賞式であいさつする小川さん)。(編集広報部)
今回、このような大きな賞をいただき、三重テレビ放送として大変光栄に感じています。ハンセン病療養所がある地域を含め各社の報道には遠く及ばないと認識しつつも、二十年余の取材で抱いた思いを、ささやかながら記しておきたいと思います。
「ドキュメンタリーを作りたかった」
報道の仕事(※当社は報道制作局)に就いたきっかけは、かつて「黒田軍団」とよばれたジャーナリスト・黒田清さんと大谷昭宏さんに憧れたことと、「ドキュメンタリーが作りたかった」からです。就職活動中に、広島の民放が原爆をテーマに制作したドキュメンタリーを見て感銘を受け、こんな番組を作って世に問いかけたいと思いました。
幸い地元の三重テレビ放送に入社することができ、35年間、報道と番組制作に携わってきました。制作関係では、クイズ番組や住民ディレクター、さまざまな特番中継に関わり、報道では、芦浜原発計画や県の行政改革、戦争と平和の問題などを取材。そのひとつがハンセン病問題だったのですが、"移り変わる"取材テーマから、"継続的な"テーマになっていきました。
らい予防法違憲国家賠償請求訴訟の原告勝訴判決(2001年/熊本地裁)を機に、三重県庁の元ハンセン病担当官と元患者の絆を取材したのですが、その後もさまざまな情報が入ってくるようになったのです。
国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)で暮らす三重県出身男性の63年ぶりの帰郷や、県が主催する里帰り事業の半世紀到達、戦争とハンセン病、家族の問題、感染症と差別......いずれも三重県ゆかりの話題だったことから、当社で取り上げたい、いや、取材しなければならない、との思いに駆られ、その積み重ねが二十年を越えました。かたい言葉を使うなら、使命感とでもいうのでしょうか。
<長島愛生園と園内の旧収容所>
とはいえ、最初からスムーズに進んだわけではありません。国賠訴訟判決の年、長島愛生園で暮らす三重県出身者の代表(=県人会長)のKさん(当時67歳/男性)に取材を申し込んだのですが、すぐには受けいれてくれませんでした。社会にはびこる偏見を考えれば、当然のことでした。
そこで手紙を書きました。「今までハンセン病問題に何ら取り組んでこなかったことを反省している。これからさまざまな差別がなくなるよう努めていきたい」という内容だったと記憶しています。何回かやり取りがあった後、Kさんから「取材に来てください」という返事をいただいたのですが、その時の気持ちは「うれしかった」というよりも「しっかりやらねば」という責任感のようなものにシフトしていました。
病は療養所の外に?
この問題に関わって、むなしさを感じた局面も数々。県から委託を受けて「ふるさとビデオ」のようなものを作ったことがありました。ハンセン病療養所で暮らす三重県出身者からアンケートをとり、三重の観光名所や入所者の思い出深い場所(学校や公園、中にはお墓も)を撮影し、BGMをつけてまとめたものです。配布先は、全国の療養所の三重県出身者。つまり、偏見差別や高齢化により故郷に帰れない人たちに、映像で"里帰り"してもらおうという趣旨でした。当社が受託した事業ではあるものの、隔離政策の犠牲者、しかも三重の大先輩がこんな形でしか故郷と接点を持てないことに割り切れないものを感じました。
そして、元患者のほか、家族の苦しみにも触れました。具体的な記述は控えますが、入所者と家族の絆を取材した際、放送を見た周囲の反応により家族がつらい目に遭ってしまったのです。差別をなくそうと思って制作した番組が、逆に当事者を苦しませてしまった......「世間」の厳しさと、報道の無力さを感じました。ハンセン病に対する偏見は、以前からほとんど変わっていなかったのです。2016年に制作した番組『大ちゃんと為さん~あるまちの風景』では、こんなナレーションコメントをつけました。「島(長島)の中にもう病はありません。病は島の外にあるのかもしれません」
伝えたい"当たり前のこと"
ハンセン病を伝えることは、他の差別を考えることにもつながりました。戦争とハンセン病をテーマにした番組『いのちの"格差"~戦争に翻弄された病 ハンセン病~』(2008年)では、国の役に立たないとみなされた患者らが翻弄された歴史に触れたうえで、身体に障害のある県内の男性が抱いた、生産性優先社会への危惧を重ね合わせました。
コロナ禍では「ハンセン病の教訓」が生かされていないことが明白に。取材に応じてくれた徳田靖之弁護士の言葉が印象的でした。徳田さんは、新型コロナウイルスの感染急拡大と反比例するように差別事象が減ってきたとし、「差別は結局、自分にはね返ってくる......そのことに皆が気づいたのではないか。自分ごととして考えることが重要」という認識を示しました。
感染症に限らず、障害の有無や国籍、出自による差別は現代でも見られ、ヘイトスピーチを行ったり、被差別部落に関する情報をネットで公開するなど、以前は考えられなかったようなことが、今では"普通"になってきています。当たり前のことですが、自分の身に置き換えて考える必要性を伝えていくべきだと痛感しました。
ハンセン病や平和の問題を取材する中で、当たり前のことをもうひとつ感じました。それは、人生は一回しかないということ。例えば、電化製品を買いに行って不良品だった場合、購入店で交換してくれますが、人生はそうはいかないのです。
<長島愛生園で三重県出身者を取材する筆者>
「18歳で戦死したので、(生きるはずだった)残りの30年を返してほしい」「ハンセン病にかかって幼少期から差別に苦しんだので一からやり直したい」と言っても、当然ながらできないのです。戦禍や差別でたった一回の人生が台無しになってしまう......「不運」という言葉で片づけられていいはずはありません。
ハンセン病元患者の多くは言います、「ハンセン病に対するものだけでなく、あらゆる差別がなくなってほしい」と。私たちにできることは、過ちを繰り返してきた歴史を直視することと、アンテナを常に高くし同じ轍を踏まないことではないでしょうか。
「子どもはあったかいぞ」
長島には、もう50回以上はお邪魔したでしょうか。最もお世話になったのが、前述のKさんでした。最初に訪問した時からカメラを抱えていた私に「カメラは、ちと具合悪いな」と言いながらも、私を軽自動車の助手席に乗せて多くの三重県出身者に会わせてくれました。おそらく、事前に「三重からテレビ局のもんが来るから協力したって(=してあげて)」と言ってくれていたのだと思います。
その夜は、三重県出身者を集めて歓迎の席を持ってくれましたし、Kさんの部屋で(私の出身地である)伊賀の肉ですき焼きをした経験も数知れず。Kさんの言葉で忘れられないものがあります。ひとつは、私に息子が生まれた時。「子どもはあったかいぞ。ギューッと抱きしめてやり」。ハンセン病にかかった人は、法律等により子どもを持つことができませんでした。でも私は幸いにも子どもに恵まれた、そのことを大事に思って子どもを大切に育ててあげなさい......そんなメッセージだと受け止め、涙が出てきました。私にとって普通のことは、Kさんたちにとって特別なこと、かなわないことだったのです。
<Kさんは言います「生きものは差別などしない」>
もうひとつは「私らのこと、忘れんといて(忘れないで)ください」。Kさん夫妻からいただいたお手紙の末尾に書かれていた言葉です。こんなに率直な言葉を、しかも私に送ってくれたことがうれしく、それを機に、長島に通い続けたいという思いが強くなりました。
よく「なぜ、療養所がない三重の放送局が伝えているの?」と聞かれます。一時退所したものの隠すことに疲れて園に戻ってきたり、母親が同じ病気だったり、個人的に帰郷を果たしたり、趣味がかなりの腕前であったり......長島愛生園や邑久光明園(おく こうみょうえん)で暮らす三重県出身者には多様な背景とエピソードがあり、取材対象として魅力を感じたことがひとつ。
加えて、多くの困難を乗り越えてきた皆さんの強さと明るさに触れ続けたかった......。そして、後になって考えれば、療養所のない県の者が取材するからこそ、療養所に"来た"のではなく"行った"立場で、そして故郷を同じくする者の視点で取材できたのではないか、それによって、若干なりとも入所者の故郷への思いに近づけたのではないかという気がしています。
励ましと協力を受けて
独立放送局各社の存在も大きかったです。独立局の報道部長や局長が集まる会議に参加させてもらった際、災害の教訓を何としても伝えたいと奮闘する局があったり、エリア内で起こった大きな事件を継続的に取材し番組化する局があったり......。そんな熱い思いに触れ、当社も「人や予算がない」ということを言い訳にせず、使命感を持って取り組んでいく尊さを教えられました。
最後に、当社の番組に対し意見を求めた際、的確なご助言や感想をくださった制作者の皆さまにお礼を申しあげたいと思います。自分の中では、"ハンセン病"というテーマをいただいて(ドキュメンタリー制作という)自己実現をさせてもらったに過ぎないとの思いも強く、感謝しかありません。今春から編成局に移りましたが、引き続き、この問題に関わっていきたいと考えています。島のみなさんのことを「忘れない」ためにも。
《編集広報部からのお知らせ》
三重テレビ放送は今回の日本記者クラブ賞特別賞の受賞を機に、ハンセン病に対する差別解消に向けたこれまでの取り組みや関連番組をまとめたコーナーをウェブサイトに開設しました。こちらからご覧いただけます(外部サイトに遷移します)。