グランプリが発表された瞬間、観客席にいた私は不覚にも「まじか!」と声をあげてしまいました。コンテストに出品する以上、受賞を望まないわけはないのですが、この番組で目指したのは、視聴した人が「差別と戦争」という視点で、今世界で起きている紛争を見つめ、意見を交わしてもらうこと。取材に協力してくださった方々、この番組を評価し、光を当ててくださった審査委員の皆さま、そして「地方の時代」映像祭という意見交換の場を提供してくださっている関係者の皆さまに、制作者一同、深く感謝しています。
テレビ報道に関わって30年。私は番組を制作する過程で二つのことを心掛けています。「戦争の芽を摘む報道」と「未来を伝えるテレビ」です。前者に込めた思いは、昨年の「地方の時代」映像祭で開催されたシンポジウムでも発言させていただきましたが、始まってしまった戦争をテレビの力で止めることは難しい。であればせめて、戦争の回避につながる報道を心掛けたい、ということ。また後者は、過去の事例と現在起きている事象をひとつの時間軸に乗せて描くことで、視聴者が未来を予測する材料を提供できないか、という試みです。特に「戦争の芽を摘む報道」は、戦後生まれの民間放送が果たすべき責務だと思っています。
「台湾危機説」を背景に"南西シフト"が敷かれ、先島諸島の要塞化が進められていくのを見て私は、戦闘より先に"戦場"が作り出されているように感じています。防衛費の増額でより実戦的になり、アメリカ軍と融合した自衛隊。この先、日本が戦争の当事者になるために必要な要素で、残されたものは何か。私は"他国民や他民族に対する憎悪"ではないかと考えるようになりました。"戦争の芽を摘む"ためには、憎悪の増幅を抑えなければならない。日本には、他民族に対する憎悪が暴発し、多くの人命を奪った歴史があるからです。
関東大震災の直後、被災地で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が集団で襲撃してくる」などの噂が流れ、それを信じた日本人が、「朝鮮人だ」というだけの理由で多くの人を殺害しました。丸腰の人間の腹を竹槍で刺す。消火活動に使用する"鳶口(とびぐち)"で脳天を突く。むごい方法で手を下したのは、多くが一般の市民だった。大地震によるパニックや群集心理だけが虐殺の理由だろうか。朝鮮人をターゲットにして「状況によっては殺しても構わない」と確信させる"爆薬"が民心に仕込まれていたのではないか。そんな推察を持って取材を始めました。
「木本事件」に焦点を当てたのは、風媒社の劉永昇さんの助言がきっかけでした。劉さんとは、私が名古屋テレビ放送(メ~テレ)に入社した2005年直後に知り合い、その後もさまざまな機会で時折お目にかかっていました。劉さんは『冤罪をほどく』(秦融著)や『無窮花(ムグンファ)の哀しみ』(伊藤孝司著)などを手掛け、常に社会的弱者の目線から制度や政治の矛盾を突く編集者。原発事故の取材のため福島に何度も足を運ぶ行動派です。"関東大震災100年"に向けて執筆中だった劉さんに「東海3県(メ~テレの放送エリア)で朝鮮人虐殺の事例はありますか?」と尋ねると「木本事件ですね」と即答されました。劉さんの説明で、1926(大正15)年に三重県の木本町(きのもとちょう・現熊野市)で、「朝鮮人が町に火を放つ」という噂を信じた町民が武器を手に集団で朝鮮人を襲い、2人を虐殺したことを知りました。なぜ、関東大震災の3年後に、同様の構図で、しかも地震も起きていない"平時"に、関東から遠く離れた三重県で朝鮮人虐殺が起きたのか。私の頭の中にいくつもの疑問が湧き、取材を始めたい旨を劉さんに告げ、協力をお願いしました。
<取材に協力してくれた風媒社の劉永昇さん>
2023年9月1日に名古屋で森達也監督の映画『福田村事件』が公開されるのに合わせ、ローカルのニュース情報番組『アップ!』に木本事件の企画を提案。劉さんとともに熊野市の現場を歩き、13分ほどの特集を放送しました。その後、三重県駐在記者の岡本祥一ディレクターにも加わってもらい、テレメンタリー『ほとぼり~1926 木本事件を追う~』(2023年12月23日放送)を経て本作の制作となりました。
遠い過去の出来事をテーマにした番組を制作する時、企画の段階でよく耳にするのが「絵がない」という指摘です。木本事件が起きたのは約100年前。事件を経験した人に話を聞くことは期待できません。「絵がない」ことへの不安は、現場を歩く中で解消していきました。理由のひとつは、事件の目撃者である松島繁治さんが残した地図が見つかったこと。和紙に墨で描かれた地図が、取材班を事件発生時の木本町に誘ってくれました。また、木本町には100年前の街の佇まいが色濃く残り、ほぼ当時のまま残っている建物が複数見つかったことも事件の経緯を伝える一助になりました。
<目撃者が残した木本町の地図>
取材の開始から約10カ月間で番組を構成できたのは、歴史家の金靜美さんをはじめ、市井の研究者たちが地道に調査を続けたことで明らかになった木本事件の"史実"に、取材班がアプローチできたからです。調査に関わった方々に取材への協力をお願いしたところ、すべての資料の引用を二つ返事で承諾してくださいました。調査の結果を受け継ぎ、さらに取材を進めた番組を視聴者に届けることが、制作者としての"恩返し"と心得ています。
虐殺の背景にあった朝鮮人差別は権力によって作られた差別、いわば「官製差別」です。意図的に作られた差別なら、解消するための手段が見つかるかもしれない。そんな期待を私は抱いています。木本事件から99年。加害の歴史を伝えることが蔑ろにされる時勢にあって、今、熊野市の内外で「事件と向き合うべき」という機運が生まれつつあります。今はまだまだ"微風"ですが、いずれ"力強い風"となることを願い、私たちは取材を続けていきます。
<足立住職と劉さん㊧、犠牲者の碑>
※「地方の時代」映像祭グランプリ作品に追加取材を加えた『メ~テレドキュメント 掌で空は隠せない~木本事件の99年後~』を2025年1月12日(日)24時45分からメ~テレにて放送します。なお、「Locipo」(外部サイトに遷移します)にて見逃し配信を行います。