「第33回FNSドキュメンタリー大賞」が2024年12月11日に発表された。大賞に選ばれたのは石川県珠洲市で作られている焼き物「珠洲焼」の作家二人に密着した石川テレビ放送の『珠洲の窯漢』(すずのかまおとこ)。民放onlineでは、ディレクターを務めた石川テレビ放送の濱口真子さんに、同番組への想いを寄稿いただきました(関連記事はこちら、編集広報部)。
窯が崩れ、作品が割れる。何度も振り出しに戻されても、彼らは珠洲焼を作り続けます。珠洲の土と珠洲の窯でしか生まれない焼き物と人生を歩む二人の作家がいます。
二人の作家との出会い
取材の発端は2022年6月。珠洲で最大震度6弱の地震に襲われたときでした。発生翌日の避難所で出会ったのが篠原敬(しのはら・たかし)さんです(冒頭写真=2022年の窯焚きの様子)。当時は作家だとはもちろん知らず、珠洲焼すらほとんど知らないまま、避難者の一人として取材をしました。私自身、被災地の取材は初めてで、絶望の中にいる被災者の現状を伝えなければと意気込んでいたことをよく覚えています。しかし、篠原さんの言葉に衝撃を受けました。「起きたことは受け入れるしかない」。私自身が勝手に作り上げていた被災者像に気づかされました。それまでほとんど知らなかった珠洲焼に興味を持ち始めたのは、こうした篠原さんの考え方にまず惹かれたからだと思います。
その後出会ったのが田端和樹夫(たばた・わきお)さんです。穏やかな雰囲気を持ちながらも、芯の強さを感じさせる人物です。仕事に対しても手を抜くことは一切ありません。灰を調合し、黒灰色の珠洲焼に色を重ねる独自の技法を確立し、数々の賞を受賞してきました。普段は「仕事やからしょうがなくやっているんや」と茶化す田端さんですが、一度だけ、ろくろを回しているときに「こうやって作っているときが精神的にも静かになって一番いい、楽しい」と話してくれました。その姿はまるで無邪気に土遊びをしている子どものようにも見えました。珠洲焼がすごく好きなんだなと感じられた瞬間でした。田端さんの取材は、会話の中から純粋な本音を探すことが楽しかったです。
<田端さんの作品㊧と制作に励む田端さん(2023年)㊨>
そんな二人の作風はまったく異なります。同じ地で同じ素材を使っても、それぞれの個性が表れるのは不思議であり、魅力的でした。あらためてこうした文化は、作り手の想いとともに形を変えながら受け継がれていくものなのだと実感しました。
自然の猛威
珠洲では2023年にも最大震度6強の地震が発生しました。篠原さんは使えなくなった窯を全て崩し、一から作り直しました。田端さんはというと、一度は廃業も考えましたが、珠洲焼を続ける決断をしました。町も少しずつ復興へと歩みを進めていました。そんな中発生した2024年元日の能登半島地震。言葉を選ばずに言えば、そこは「惨状」でした。篠原さんは数日後に再建した窯で作品を焼く予定でした。田端さんの窯元は、屋根から崩れ落ちました。日々作陶をしていた穏やかで静かなあの場所はなくなりました。
震災はこれまでの人々の歩みをいとも簡単に振り出しに戻したのです。時間を費やし、努力を積み重ねてきたものが、こんなにも簡単に崩れるのか。取材をしている私ですら、こんな理不尽なことがあるのかと、やり場のない悲しみを感じました。地震発生後二人にお会いしたときは、なんと言葉をかければいいのかわからず、何も言えず、何も聞けませんでした。
<2024年元旦に発生した地震で割れた珠洲焼㊧、同珠洲市内の様子㊨>
地震に壊され、自分で壊し、そして再生する
そんな中でも彼らは私が想像している以上に淡々とその現状を受け入れていました。篠原さんは避難生活を強いられました。しかし割れずに残った作品を携えて東京の展示会に出向いたり、ひっきりなしに訪れる各社の取材にも丁寧に応じたりと、能登に住む一人として、珠洲焼作家の一人として発信を続けていました。田端さんはひしゃげた窯元の建物で自ら重機を動かし、解体していました。自然の脅威に翻弄されながらも、珠洲焼を人生の一部として捉えている彼らの胸の中には、静かに、そしてしっかりと珠洲焼への情熱があるように思えました。
「地震を受け入れ、前へ進む」。この番組には、そんなキャッチフレーズはあまり似合わない気がしますし、復興物語とも言えないと感じています。この町で進まざるを得ないから進む。生業ができなくなったから、できるようにする。ただそれだけのことなのかもしれません。しかし、その姿勢にこそ、人間の本質的な強さが表れているのだと思います。
これからの能登
能登半島地震の発生から1年以上がたちました。全国的に見れば報道も少なくなり、能登を思い出す機会も減ったと思います。私自身にも言えることです。それでも、被災地の人々の生活は続いていきます。これは能登に限らず、どんな災害や困難な状況でも同じです。時間がたつにつれ、遠くの出来事は風化していくものですが、そこに生きる人々の営みは決して止まることはありません。珠洲焼の窯が壊れるたび、作品が割れるたびにそれを作り直すように、人々の暮らしもまた再構築されていきます。それは決して派手なものではなく、日々の営みの中で、少しずつ積み重ねられていくものです。だからこそ、私たちはその過程を見守り、伝え続ける必要があるのだと今は感じています。また、この番組を通じて、遠くの出来事を自分ごととして考えるきっかけを持ってもらえる時間になることを願います。
最後に、私たちはこれからもローカル局として、小さな声をすくい上げ、能登の復興を見届けていきます。