2025年3月3日、文化庁主催の第75回芸術選奨が発表され、関西テレビ放送の上田大輔さんが文部科学大臣新人賞を受賞しました(既報)。弁護士からテレビ報道の世界に転身した上田さんは『引き裂かれる家族~検証・揺さぶられっ子症候群』や『さまよう信念 情報源は見殺しにされた』などのドキュメンタリーで「テーマ性、クオリティともに高く、時代から忘れられそうな事実に弁護士であるディレクターならではの視点で切り込んだ」と称えられました。その後、上田さんの活動は第32回坂田記念ジャーナリズム賞(既報)や第62回ギャラクシー賞報道活動部門の優秀賞(既報)にも結実しました。そこで、上田さんにこれまでを振り返っていただきました(冒頭画像は3月11日に東京都内で開かれた贈呈式であべ俊子文部科学大臣から表彰される上田さん)。(編集広報部)
それは突然の連絡でした。会社の代表番号に文化庁から電話がかかってきたのです。
「ゲイジュツセンショウ?」
何度か聞き返してようやく芸術選奨の新人賞内定という朗報であると理解できました。後で知った贈賞理由には、「弁護士ならではの視点で切り込み、独自の作品に仕上げている」とあります。うれしくも、過分な評価に身が引き締まる思いです。この機会に、私なりの取材視点や番組制作の動機を振り返ってみたいと思います。
2009年に企業内弁護士として関西テレビ放送に入社した私は、その7年後、希望して記者になりました。希望した理由は、自分なりに日本の刑事司法の問題を取材してみたかったからです。
「これこそ自分が取り組むべきテーマ!」
最初は戸惑いの連続でした。文章で論理的にまとめる仕事に慣れていたせいか、絵(映像)で考えるという思考の切り替えがうまくできませんでした。若手の記者から「上田さんのブイ(VTR)はシーンがないんですよ!分かります?」とアドバイスをもらっても、「ですよね......」と苦笑い。正直よく分からずにいました。
とにかく映像表現の引き出しを増やそうと、国内外のドキュメンタリーを毎晩見続けました。右往左往の日々が続く中、転機となる取材テーマに出合います。それが「揺さぶられっ子症候群(Shaken Baby Syndrome=SBS) 」でした。
2010年代に入り、乳児を激しく揺さぶったとして親などが逮捕される事件が相次いでいました。逮捕の決め手は虐待専門医の診断でしたが、海外ではすでに診断根拠が不十分との議論があると知りました。
「日本で今、冤罪が次々と生まれているかもしれない......」
乳児の育児中だった私は、他人事とは思えず、背筋が凍る思いがしました。そして、きっと日本の刑事司法の問題が浮かび上がるだろうと直感。「これこそ自分が取り組むべきテーマだ!」と取材を始めました。
取材を続けていくと、一定の症状だけでSBS(虐待)と決めつける医師、"虐待"前提で親子分離を強いる児童相談所、弁護側から新証拠が示されても引き返さない検察、証拠を隠す可能性などおよそ考えられないのに保釈を認めない裁判所の「人質司法」。次々と、虐待冤罪被害の深刻な実態が見えてきました。
実態を知った以上、それを映像で伝えるのがテレビ報道記者の役割です。「絵で考え、絵で伝える」ことにも徐々に慣れていきながら、日々のニュースに加えてSBSに関するドキュメンタリー番組を3本制作しました。その3本目が『ザ・ドキュメント 引き裂かれる家族 検証・揺さぶられっ子症候群』(2023年7月7日放送)です。
SBSを疑われた父親と家族に密着し、取材開始から5年半後、放送に至りました。最初から長期取材を覚悟していたわけではありません。「人権侵害」と呼ぶほかない理不尽な出来事を前に無我夢中で取材を続けていたら、あっという間に時間が経過していました。私にできることは記録することだけ。記者の無力さを痛感し続けた日々でした。
刑事司法から逃げた後ろめたさも......
私は、大学4年の時に無実の人を救いたいと思って弁護士を目指しました。司法試験に落ち続け、30歳手前で合格した時には、"有罪ありき"の刑事司法と闘っていく自信がありませんでした。記者になった理由には、刑事司法から逃げた後ろめたさもあったように思います。記者としては最後まで向き合い続けよう。取材を続けることができたのは、そんな小さな意地がありました。
この4カ月後に制作した番組が『ザ・ドキュメント 逆転裁判官の真意』(2023年11月24日放送)でした。退官前に逆転無罪を連発した福崎伸一郎裁判長の真意を探っていく番組です。刑事裁判で逆転無罪が出ることは滅多にありません。福崎さんはわずか1年半ほどで一審破棄を35件。そのうち7件もの逆転無罪判決を書いていました。それはなぜなのか。その謎を解いていく過程で、日本の刑事裁判の問題が浮かび上がってくるだろうと思いました。調べていくと、福崎さんが担当した過去の判決の中に「最高裁で破棄された」有罪判決がありました。最高裁は、福崎さんの判決を厳しく批判していました。
福崎さんは、エリート刑事裁判官。こちらは法曹界の落ちこぼれ。なのに、「なぜ間違った判決を書いたのか?」という質問をしないといけない。弁護士としてならとても聞けません。 でも、記者としてこの質問をせずには取材を終えられませんでした。何度も逡巡したうえで、意を決して質問を投げかけました。振り返るだけで、今も手に汗がにじんできます。
<福崎元裁判官㊧と筆者㊨~『逆転裁判官の真意』から>
外務省機密漏洩事件と似た構図
その8カ月後に制作したのが『ザ・ドキュメント さまよう信念 情報源は見殺しにされた』(2024年7月12日放送)です。草薙厚子著『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)の中に少年放火事件の供述調書が多数引用されていたことから、検察が著者宅等を2007年に強制捜査。その結果、情報源だった少年の精神鑑定医・崎濱盛三医師が秘密漏示罪に問われた事件を検証した番組です。
この秘密漏示事件から遡ること35年前、構図が似ている例がありました。1972年の沖縄密約(外務省機密漏洩)事件です。表現の自由に関する重要判例として、憲法を勉強した人なら誰もが知っている著名な事件です。私は、この沖縄密約事件の最高裁判決を初めて読んだ時ガッカリしました。長くなるので詳細は割愛しますが、法と倫理を混同し、表現の自由を軽視しているように感じたのです。そして、崎濱医師に対する判決が出た時も同じ感想を持ち、その後も違和感を持ち続けてきました。判決が出た当時、すでに弁護士になっていましたが、私にできることなど何一つありませんでした。それから十数年。記者としてならこの事件と向き合えるかもしれないと思いました。
振り返ると、私の取材動機には「弁護士として向き合えなかった悔恨」がありました。私の好きな作家・探検家の角幡唯介さんの言葉を思い出します。
「(次はこれをやりたいとの)思いつきは、 その人の個人的な歴史の歩みがあって生起する以上、 それを実行することでのみ人生の固有度は高まり、 自分自身になることができるのだ」(「朝日新聞」2020年6月12日付朝刊より)。
私はこの3本のドキュメンタリーを制作したことで、少し自分自身になることができたような気がしています。
《編集広報部からのお知らせ》
▶本文で紹介された作品も視聴できる関西テレビ放送「ザ・ドキュメント」のサイトはこちら(外部サイトに遷移します)。
▶8年にわたる「揺さぶられっ子症候群」取材をまとめたドキュメンタリー映画『揺さぶられる正義』が25年9月20日から全国で公開予定です。詳しくはこちら(外部サイトに遷移します)。