【放送人 この言葉、あの言葉③】~「人は文法通りには話さない」(岡田惠和)

丹羽 美之
【放送人 この言葉、あの言葉③】~「人は文法通りには話さない」(岡田惠和)

面白い番組、優れた番組の背後には魅力的な作り手や演じ手がいます。彼らの残した印象的な言葉は番組制作の極意を伝えるとともに、一種の演出論や映像論、社会論とも言えます。連載【放送人 この言葉、あの言葉】はこれら珠玉の言葉の数々を、東京大学でメディア論の教鞭を執る丹羽美之さんの視点で選んでいただき、毎回ひとつずつ紹介していきます。第3回目は現在、『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビジョン=以下フジテレビ、月、21:00~21:54)が好評放送中の脚本家・岡田惠和さんの「この言葉」です。(編集広報部)


連続ドラマ『最後から二番目の恋』(フジテレビ)は、岡田惠和がオリジナル脚本を手がける、明るくも切ない大人の青春ドラマだ。テレビ局のドラマ・プロデューサーで独身の吉野千明(小泉今日子)と、妻と死別した市役所勤めの長倉和平(中井貴一)が古都・鎌倉を舞台に不器用な恋愛を繰り広げる。2012年に『最後から二番目の恋』、2014年にその続編となる『続・最後から二番目の恋』が放送されると、笑って泣ける珠玉の大人向けドラマとして、大きな話題となった。

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<『続・続・最後から二番目の恋』のポスタービジュアル/ⓒフジテレビ>

2025年放送の『続・続・最後から二番目の恋』は、その待望の続編だ。前作から11年。千明は59歳で還暦間近になり、和平は定年を迎えた後も再任用で働き続けている。これまでも恋に、仕事に、家族に、自分の生き方に悩み続けてきた2人だが、そこに老いという新たな悩みが降りかかる。大人になったからといってすべてがうまくいくわけではない。むしろ心配事はますます増えるばかり。それでもあがきながら、人生をけっこう楽しんでいる2人の姿を見ていると、年を取るのも悪くないなと勇気づけられる。

会話劇としての魅力

しかし、このドラマの魅力はこうしたストーリーだけにあるのではない。それよりもむしろ千明と和平、さらには千明の友人たちや長倉家の個性的な面々が日常の中で繰り広げるコミカルな会話劇にこそ、このドラマの最大の魅力があると言えるだろう。実際、『最後から二番目の恋』シリーズのストーリー展開は、恋愛ドラマとして見れば、あまりに控え目である。激しいストーリー展開で視聴者を引きつけて離さないジェットコースターのようなドラマが増える現代のテレビで、これはかなり挑戦的なことだ。

岡田惠和は会話劇を得意とする脚本家である。1959年生まれの岡田は、1990年に脚本家としてデビューした。これまでに『彼女たちの時代』(1999年、フジテレビ)、『ちゅらさん』(2001年、NHK「連続テレビ小説」)、『ひよっこ』(2017年、同)など、数多くのヒットドラマを手がけてきた。岡田は「会話ならずっと書いていられる」と自身のラジオ番組内でも語っており、対談集の中でセリフを書くことに対する思い入れについて次のように述べている。

物語を説明するのに、作家によっていろいろなタイプがあると思うんです。出来事をどんどん起こして物語を進めていく人もいれば、人がしゃべる言葉の中に、そのキャラクターだったり、歴史だったりを見せていく。僕はそっちのほうが好きだったりするので、だからといって一時間延々としゃべっているわけにはいかないけど、セリフを書く作業は好きですね¹ 。

『最後から二番目の恋』シリーズは、そのような岡田流会話劇の魅力が最大限に発揮されたドラマと言えるだろう。江ノ電・極楽寺駅からの帰り道で、行きつけの居酒屋やバーで、長倉家のいつもの食卓で、千明や和平たちが繰り広げる脱線混じりの何気ない掛け合いが、登場人物たちの人生をいかに彩っていることか。もちろん、時にアドリブを交えながら、そのセリフを生き生きと表現する小泉今日子や中井貴一ら芝居達者の役者たち、その白熱の芝居を余すところなく長回しのカメラで捉える演出スタッフの存在が、この岡田流会話劇を真実味のあるものにしていることも忘れてはならない。

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<『続・続・最後から二番目の恋』/ⓒフジテレビ>

まちがいだらけの人生を抱きしめる

岡田は脚本家になりたての頃に、喫茶店で隣のテーブルの会話を密かに録音したことがあるという。

会話を録音してみるとわかると思いますけれども、人は文法通りには話さない。言いまちがいとか、言いよどんだり、グルグル回ったり、違う話に脱線したり。みなさんもそうだと思いますけれども、人はそんなにきれいに話さない。そこをいじるというか、まちがえさせてやる。正しくないセリフにしてやることがすごくリアリティを与える、ということを、僕は気にしています。その言いまちがい方に、人の癖が出るというか人間性が出るというか......言葉少なくて相手に伝わらないタイプもいれば、説明しすぎて余計わからなくなるタイプもいるし、どんどん話が飛ぶタイプもいるし......そこに人間が在るという感じがする² 。

人はあらかじめ原稿を用意して、書き言葉のように、正しく、美しく話すわけではない。言いまちがえたり、言いよどんだり、違う話に脱線したりするのが普通だろう。その会話がどこに向かって進んでいるのか、本人たちもよくわからないまま話していることもしばしばだ。日常生活の中で人が話す言葉は、けっして正しくもないし、美しくもない。岡田の書く会話劇が魅力的なのは、その正しくないセリフ回しに、登場人物それぞれの人間らしさが生き生きと宿っているからにほかならない。

『最後から二番目の恋』シリーズは、千明や和平や長倉家の面々たちの言いまちがい、言いよどみ、脱線すらも愛おしく描き出す。それはまるで、ドラマの登場人物たちが、大人になっても恋に、仕事に、家族に、自分の生き方に悩み、正解のない人生をあがきながら生きていることを優しく抱きしめるかのようだ。そして、このドラマが私たちを勇気づけるのは、そんなまちがいだらけ、脱線だらけの人生をファンキーに生きる千明や和平の生き方が、ドラマを見ている私たちの人生そのものにどこかで重なるからだろう。


¹ NHK-FM『岡田惠和 今宵、ロックバーで』編『ドラマな人々 岡田惠和とドラマチックな面々』アスペクト、2014年、p.274
² 岡田惠和『TVドラマが好きだった』岩波書店、2005年、p.205

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