2024年から続いているコメ価格の値上がりは2025年になっても収まらず、政府備蓄米の放出などの対策が打たれるなど、"令和のコメ騒動"と呼ばれるに至った。そこで、どのようにして現在の状況が生まれたのか、また、コメどころの放送局はどのように報じているのか――リポートとともに報じる視点を中心にこの騒動を考えたい(まとめページはこちらから)。
1回目は、秋田放送で報道に携わる菅原朗仁氏に同局のニュースの紹介を交えながら、生産者への取材を通じて考えたコメ作りをめぐる課題への向き合い方をまとめていただいた。(編集広報部)
誰がコメをつくるのか
私が生まれ育ったのは、秋田県にあった湖を干拓して、コメ作りの"モデル農村"として誕生した大潟村です。実家はコメ作りをしていましたが、私は継がず、よってコメ作りの主体的な経験もなく、その大変さも身をもっては知りません。
その大潟村を、私が働く秋田放送は半世紀を超す長い期間にわたり取材し続けています。入社して知る、故郷の農家の姿も多くありました。そして、流れゆく時代の中で変わる農政を、今度は取材を通して見ることとなりました。
私の記憶に残るコメ作りの原風景は、春の田植えです。授業の一環で手伝うこともありました。真っ平らな干拓地には視界を遮る高いものはなく、ずっと見渡せる一面田んぼの世界。そのさらにずっと先には残雪の山々も見えて、今も鮮明に思い出せる風景です。そして、秋の収穫に期待して一心に苗を植える両親はじめ大潟村の人々の姿が心に残っています。今思えば当時、大人たちにはいろいろと葛藤があったのだと思いますが、当然、そんなことは知る由もなく。とにかく、また新たな1年が始まったと、子どもながらに感じた季節感が思い起こされます。相当な無責任さですが......。
さて、コメ農家を継がなかった者が言うのもなんですが、今、秋田県内で取材をするうえで最も重要な課題と考えているのは、担い手の問題です。
この先、誰が秋田でコメを、日本の主食であるコメを作っていくのか――。秋田県は日本最速で少子高齢化が進んでいます。農業を主に普段の仕事にしている人の平均年齢は67.7歳(2020年、農林水産省)。若い世代が県外にドンドン出て行っている現状を踏まえると、農業従事者の高齢化に歯止めをかけるのは厳しい状況です。
現場から聞こえる声は――
知り合いのコメ農家や取材する記者と会話したところ、次のような現場の声が聞こえてきました。
・子どもたちに継がないか、などと言える環境にはない
・代々の土地だとしても そこに縛られてギリギリの農業経営に未来はあるのか
・経営の安定は大事な要素 たくさん収穫できてたくさん売れたとしても単年だけだと......
・コメも野菜も、なんでも安くないとだめなのか 適正な価格ってないの?
・いったん耕作放棄した土地が元に戻るのか
・増産? 大規模化? どんなイメージなの?
恐らく今までは、収入が減っても、多少の赤字になっても、コメを買ってくれる人がいる限りはガマンガマン、といった具合に続けてきた面もあるかと思います。でも、そのガマンも限界に近づいている、つまり、もうコメ作りは自分の代まで......と思っている農家も潜在的にかなりいるのではないでしょうか。
"令和のコメ騒動"を受けてでてきた対策のキーワードに「増産」がありましたが、その実現すら怪しくなります。大前提となる「大規模化」、農地を集約できたとしても誰がそこでコメを作るのか。さらに、田んぼは大潟村のように一カ所に集約されているのか。それともあちこちに点在しているのか。同じ大規模化でも、集約のあり方によっては作業の効率にも大きく影響し、担い手が不足する中では最大限の効果は得られない可能性もあります。耕作放棄地といった今はコメ作りをしていない土地の扱いも問題になってくるかと思います。
コメ騒動の何を伝えるのか
そしてもう一つ。今後のコメ作りのあり方、担い手確保にも関わる重要な指標が今、クローズアップされているコメの"価格"だと思います。
スーパーの棚からコメが消え、コメはどこに行ったのか? どこかにあるのか? と大騒ぎになり、その後緊急的な措置として備蓄米の放出が決まり、いつ入荷するのか、いくらで売っているのかと、連日、ニュースになっていたのは記憶に新しいところです。こうした中で、秋田放送が伝えたニュースをいくつかご紹介します。
5月29日のニュース。前日に小泉進次郎農相が政府備蓄米放出について「熱すぎるマーケットに水を差さないといけない」と発言して、その価格を1キロ1,800円程度と説明。それを受けて、秋田県内各地でコメ農家の声を拾いました。
一家総出で田植えを行っていた家族にコメの価格について聞くと「なんかマジックにあっているような感じ」と戸惑いの声。コメの価格が高くなっても農家が決して楽にはならない現状を踏まえて「農家の声に全然力強いのが出てこない。聞こえてくるのは政治家ばっかし」とも。
県北部の農業法人では、人手不足の解消に、隙間バイトのアプリを活用しています。そこにアルバイトに来ていた女性は「今、コメ価格が騒がれていますけど、(コメが)すごい苦労されて出来上がっているものなんだと分かった」と話してくれました。
法人の代表は「持続可能な農業になるためには二極化になるしかない。一つは自分たちが食べる分、近所に分けるくらいの家庭菜園的なもの。それはそれでいいと思う。ただ、ビジネスとしてやる農家は伸びてくれないと。日本の食糧安全保障も含めて安定しませんから。そこをどう行政が支援していくかではないか」と考えていることを報じました。
参議院選挙に入ると、大物政治家が応援に入ります。7月4日、小泉農相が秋田入り。演説時間の多くをコメ対策の話に費やしました。「おコメから消費者が離れないようにするためにも安定した価格に1回冷やさなければ。生産者の皆さんにとっても喜べる状況にはならないという思いがあるから備蓄米を放出しているんです」。さらにコメ価格高騰で民間業者の輸入米が増えているとの現状も訴えたうえで「備蓄米の放出は国産米の棚=シェアを奪われないようにするための緊急的な措置だ」と理解を求めました。
演説会場にいたJA青年部の一人は「コメの値段、市場に介入してきているのはどうなのかなと思う。コメの安い時に誰も助けてくれなかったのに、なぜ高くなるとこんなにも私たちは苦しい思いをしなければならないのかなと」と、組織として長年支持してきた政党への不満を口にしました。
7月14日には石破茂総理も秋田入りし「秋田からあるべき農業政策を確立していく」と訴えましたが......。演説会の前にセッティングされた地域農家との懇談の場では「今、農業者は特に、コメ農家は明日の、未来あるコメ生産に向けて本気で戦っています。石破総理の言葉をあえて拝借するならば、なめられてたまるか。ってことです」と厳しい言葉を浴びていました。
<秋田放送ニュース映像:①5月29日 一家総出の田植えの家族、②5月29日 県北部の農業法人、③7月4日 参院選の応援に入った小泉農相、④7月14日 参院選の応援に入った石破総理>
稲刈りも始まった9月19日のニュースでは、店頭に並んだ新米価格を取り上げました。全国でも新米価格の高騰が報じられていましたが、秋田県産のあきたこまちも5キロで4,946円と昨年のおよそ1.4倍の価格に......。
消費者は「どうせ食べなきゃいけないんだから高くてもね。しょうがないなって感じで買い求めました」と話す人もいれば、「10キロで9,000円(税別)、高すぎじゃん」と言う人も。中には昨年収穫された2024年産のコメを選ぶ人もいました。「特別栽培米です。新米ではないです。ちょっと値段を見て高かったのでこっちにしました」。
自分たちも消費者の一人なので、その声や考えを全く無視することはありませんが、秋田放送の取材は生産者の目線を大事にしてきたと言えると思います。こうすべき・こうでなければならないと言い切ることはなかなかできるものではありませんが、これからも自分たちの視点は分かりやすくしっかり盛り込みたいですし、視聴者と一緒に考えていきたいテーマになればと思っています。
<秋田放送ニュース映像:9月19日 新米が店頭に>
コメ価格高騰で見えたもの
さて、今、大きな関心事となっている"価格"。その取り上げ方を見てみますと、東京発のニュースではスーパー等での「販売価格」。一方、コメどころ秋田県で関心が高いのは、JAや民間の集荷業者が示す、いわゆる「買取価格」です。今年は、各地のJAで概算金(JAなどの集荷業者が生産者の出荷の際に支払う仮渡金)を大幅にアップしたことが大きなニュースになっています。
この"価格"フィーバーではあらためて、消費者の心理と生産者の危機感が見えた気がします。
消費者の心理とは、普段食べるおコメは「いくらなら買うのか、買えるのか」ということです。新米が出回り始め、さっそく「高くて買えない」と言う声がニュースになっています。物価高の中、賃金も上がらず、毎日のことにかける費用はできるだけ安く、という思いはみな同じかと思います。
一方、生産者の危機感とは「安すぎては営農に影響する」というものです。営農継続に向けた安定収入はとても重要です。作ったものが売れるのは生産者にとってはこの上ない喜びかと思いますが、安すぎれば営農に影響し、高すぎればコメ離れが進むと心配になり、ちょうど良い、になかなか着地しません。苦しい経営が分かっていて新たにコメ作りをはじめようと思う人はどれだけいるでしょうか。担い手の確保にも関わってくる要素です。多くのコメ農家にとって適正な価格の形成は大事な論点だと思います。
そして政治の存在です。消費者と生産者と大きく二つに分けて論じたとしても、実際には、生活環境、耕作地の立地や規模、専業か兼業か法人かの経営形態、コメをどうやって販売しているのか、従事している人たちの年齢などなど、その環境はさまざま、まさに十人十色です。
この先、人口が減り、コメ作りの担い手も、コメを消費する人も減っていく流れの中で、コメは日本の主食であり続けるのか。主食として必要であるならば、どんな未来に向けて政策を打ち出していくのか。攻めるのか守るのか。自立を求めるのか管理を強めるのか。海外戦略はどうするのか。政治の動きにもしっかりと目を向けていかなければなりません。
策がないと言われるかもしれませんが、秋田放送の先輩たちがつないできたように、私たちはこれからも何度でも現場に行って、現場の声を拾って、現場のリアルを映し出し、そこから透けて見える問題・課題をあぶりだし、"なぜ?"に対する最適解を追求していくしかないんだと思います。
このような機会をいただき、多くの方と会話した中で、忘れられないコメントが二つあります。一つは、あるコメ農家が発した「家業から産業へ」という思い。もう一つが、元コメ農家が口にした「百姓(農家)は生かさず殺さず」。徳川幕府が治めた江戸時代の農業政策を表す言葉です。
"令和のコメ騒動"を契機に、日本にとって「農業とは」「主食とは」「コメとは」を見つめ直していく必要があると考えています。
※秋田放送のニュースなどはこちらからご覧いただけます。