「おかげ」などとは口が裂けても言えない。しかし、全世界を揺るがしたコロナの影響で、番組『やったぜ!じいちゃん』が生まれたことは間違いない。
会社に届いた一通の手紙。「私の父、舟橋一男は生まれてすぐ脳性まひで障がい者となり、話すことも歩くこともままなりません。50年前、そんな父をCBCテレビが番組にしてくれました。内容は、父とその友人、障がい者4人だけで北陸の温泉へ旅行する様子を描いたものです。当時は、家族に障がい者がいること自体を隠してしまうような時代。そんな中で障がい者だけのグループ旅行は、世間的には非常識なことだったと思います。しかし、父たちの旅をテレビで取り上げてもらったことで、全国の障がい児を持つ親御さんたちから『大変勇気づけられた』などと、大きな反響があったようです。子どもの頃、20歳までは生きられないと診断された父ですが、73歳の今も元気に幸せに暮らしております。結婚し、2人の娘をもうけ、今では孫もおります。このたび、その父の思い出の北陸の温泉へと、50年ぶりに家族旅行で出かけることにしました。ついては、CBCさん、もう一度撮影に来てくれませんか?」
素晴らしいネタ提供である。50年前の番組映像も(音声は紛失していたが)すぐに見つかった。普段であるならば...普段であるならば...さっさと旅行に同行して、50年前の映像を家族にお見せして感想を頂戴し、一丁上がりの美談で簡単な取材のはずである。しかし...しかし...苦心がここから始まった。世はコロナ禍真っただ中。緊急事態宣言などと言っている時に、明らかに基礎疾患のあるお年寄りの家族旅行をテレビ局が撮影に行っていいのか......。楽しい家族旅行は大変良い話だが、同行取材となると話は別。二の足を踏まざるを得ない状況だった。
しかし、このお話を見逃すのはあまりにもったいない。そう考えて娘さん2人と連絡を取り、話し合った。結果的に同行取材を最小限の人数(1人)で、旅館の従業員の方々と同じぐらい離れたところから撮影するということで、ご家族の快諾を得て番組撮影がスタートした。
番組をご覧になった方のご批評。「まるでホームビデオのような撮影」「画面が揺れている」など。当然である。一人きりで小さなカメラで撮っているのである。ちなみに50年前の『やったぜ!かあちゃん』(これが50年前の番組タイトル。今回はこれにちなんでタイトルを決めた)の撮影の際には、7、8人の大人数の撮影隊だったとか。
50年前の『やったぜ!かあちゃん』を撮影したのは、私が入社した時に巨匠と呼ばれ、尊敬され、恐れられていた雨宮貞夫カメラマン。駆け出しの私では口もきけないほど雲の上の人だったが、その頃、ちょっとかじったカメラ研修で教えてもらったことがある。「シロウトはズームに頼るな! 足で寄れ! そうすれば多少はマシだ」。しかし......コロナ禍。足で寄って取材対象に近づくことはできない。結果、「絶対やるな」と言われた素人がズームに頼った撮影に終始することになってしまった。加えて、ご家族に集まってもらって、50年前の映像をお見せするのもなかなか難しい。「コロナのバカ野郎! コロナさえ無ければ......」と何度つぶやいたことか。
「おかげ」などとは口が裂けても言えない。しかし、コロナの影響で良いこともあった。比較的ゆっくりと番組撮影に取り組めた。舟橋さんご夫妻、2人の娘さん、娘さんのご主人、孫の悠人くんと、しっかりコミュニケーションが取れたことで、番組のアウトラインをきっちり固めることができた。『やったぜ!かあちゃん』では、一男さんのお母さん・雪子さんが、たとえ障がいであっても積極的に世の中に出るべきだと背中を押した、という話を聞けた。『やったぜ!じいちゃん』のタイトルを決めたのはこの頃。そして、ようやくコロナが小休止したタイミングを見計らって、ご家族に50年前の映像を見ていただき、番組が完成した。俳優・塩見三省さんの力のこもったナレーションにも大変感謝している。
準グランプリなどという望外の栄誉は私にとっては身に余る幸甚。しかし、舟橋一男さん、奥さんの瑞枝さん、そしてご家族の皆さんは、この素晴らしい栄誉を頂戴する価値が十分にあると思っている。そして、天国の"かあちゃん"雪子さん、雨宮カメラマンにも......。やはり、最後にひとこと言いたい。
「やったぜ!」