『小山薫堂 東京会議』(土、24・00―24・30)の放送がスタートしたのは、2010年1月9日になります。"隔週新作"という、これまで地上波で番組制作をしていた私たちには、なじみのないスタイルでした。「継続性」をどう考えればいいかという点を話し合ったのを覚えています。冒頭写真は、左から小宮山雄飛さん、小山薫堂さん、辛酸なめ子さん、奥は梶本圭・BSフジ編成プロデューサーです。
会議の過程を見せる番組
企画の成り立ちは、番組の別れから。当時、小山薫堂さんが構成で、私が演出というコンビで番組を放送していたのですが、その番組の終わりが始まりです。放送業界でよくある「次になんか面白いことをやりましょうよ」という言葉から転がって、2人でちょくちょく会議をするようになり、できあがった企画が「会議の過程を見せる番組」になりました。
その頃、小山さんは構成、脚本以外にも仕事の手を広げられていました。放送にこだわらず、いろいろな業種の会議に参加されていましたので、それぞれの会議がいかに面白く特徴的であるかという点で、「会議」に注目していたことによります。
例えば、幻冬舎(出版社)で新刊の発行部数を決める会議です。たくさん刷り、売りたい担当者と、実際にどの程度売れるかをマーケティングによって見極めたい会社、さらには時運、はやり廃りの風を敏感に嗅ぎ取る見城徹社長。この三者三様の会議を例にしても、聞いているだけで見てみたい「会議」が多数存在することに面白さを見いだし、番組にしても面白いと思いました。
番組を立ち上げて個人、家庭、会社に向けて「会議募集」をしました。実に数多く、さまざまな会議依頼を受け、「人の会議に参加する」「自分たちで会議をする」という2本の柱で番組は進んでいきました。
写真、食、機体の塗り替え――
番組開始から約13年。番組内にいろいろな得意ジャンルを持った会議メンバーが、準レギュラーという形で在籍しています。中でも活躍がめざましいのが、小山薫堂さん、ハービー・山口さん、松任谷正隆さんの「東京会議写真部」(=写真㊦、左から)です。
これにはいろいろな企画の応募が多く、与えられたテーマを最終的にどんな作品に仕上げるのか......。会議を皮切りに、写真を撮って応募者の期待に応えます。例えば次の
・東京湾岸地区をアートの街にしたい「ARTBAY TOKYO×東京会議写真部」
・東急渋谷本店終了期の壁面広告「東急百貨店 本店×東京会議写真部」
企画など多数にわたります。
そしてもう一つの大きな柱、それは「食」です。地域起こしから始まり、素材の活用法、会議弁当製作、企業案件――とこれも数多くの依頼があります。例えば、シウマイの崎陽軒が福井県とコラボして弁当を作る際のプロデュース(=写真㊦)。番組オリジナルの東京土産開発など多数の企画がありました。
さらに、忘れられない企画が「天草エアラインの認知度アップと機体塗り替え」。熊本県天草を中心に運行している天草エアラインを、皆さんに知ってもらうために機体塗り替え会議を行いました。その結果、一般募集で日本全国の子どもからプロデザイナーまで約800通のデザイン画を集めることができました。一般にありそうなものではなく、とてもかわいく皆さんに親しまれる機体デザインへと姿を変え、大好評を得ました。
<採用されたデザイン>
第333回の内容も会議で決める
番組開始から13年かけてたどり着いた大きな節目が、第333回です。一体何をしようかと番組でも会議を重ね、さまざまな意見が出てきたのですが、「面白いけど予算がない」「面白いけど放送時間もたりない」ということで、決定打に欠けるまま時間だけは過ぎていく状況でした。「333」という数字から、高さ333mの東京タワーでできないかというアイデアはありました。やりたかったことは、今までの番組で生まれた物や人をいくつかピックアップして、さらに大きく発展してもらいたいということです。
そこである日、小山さんが当たって砕けろ精神で「会議にBSフジの亀山千広社長をお招きしよう」ということで出演を依頼。日程調整を経て、参加いただけることになりました。333回記念の放送で何をするか考える会議を開催。最初の議題として放送枠の拡大、放送時間の移動は可能なのか? というまさに禁じ手のような会議でした。小山さん、松任谷さんなどの出演陣に囲まれる形での強引な会議で、亀山社長もついには枠の拡大、移動ともに了承。こうして、第333回スペシャルは、4月16日(日)17・30から2時間半、生放送で行いました。
<東京タワーから生放送した第333回>
このようにして13年かけて333回を終え、現在336回(執筆時)を迎えています。今後の目標としては555回を考えています。
「会議は日本の資産だ」を合言葉に、これからもより良い会議をお届けしたいと思っています。