2018年5月から「民間放送」紙上で続いてきた、放送の未来を第一線の放送人に語っていただく当リレー連載。今回登場するのは、自身の趣味を起点とした番組を新人時代に立ち上げ、テレビ東京に出向した経験も持つテレビせとうちの宮田絵利さん。
私はテレビが好きです。朝起きて、帰宅して、一番にテレビを点けます。目当ての番組がなくても、寝るまでずっと点けています。笑い声や音楽で一気に部屋が明るくなる、涙が出るような感動を与えてくれる、地震などの災害や暗いニュースの時も誰かがそこにいるという安心感が生まれる......。私はテレビのそういったところに魅力を感じます。そんな現役テレビっ子でもある私のモットーは、入社当時から変わらず「視聴者に一番近いテレビマン」です。10年以上この世界に身を置き、さまざまな部署を経験してきて、良くも悪くも業界に染まっていく中、これだけはブレずに唱え続けています。
新入社員の頃、営業部にいながらどうしても出る側になりたかった私(この時点で「ん?」となるのは置いておいて)は、マンガ・アニメ好きを活かして『にじどこ~2次元の入り口はどこですか?~』という番組を立ち上げました。企画・プロデューサー・MCを右も左も分かっていない新人が1人で担当し、コアなオタク層に向けて作るマニアックな番組です。
<2013年の『にじどこ』単独イベントには筆者もコスプレ姿で登場(前列右から3番目)>
私が制作する上で一番大切にしていたのが"双方向性"です。双方向性というと聞こえはいいですが、どうしたら面白いテレビを作れるかを考えたときに、「実際に見るのは視聴者だから視聴者に聞けばいい」という単純な発想でした。「オタクのオタクによるオタクのための番組」と銘打って、Twitterや生配信で番組企画を視聴者と一緒に決め、実際に地上波で放送するという番組作りがその代表例です。
ローカル番組で声優のインタビューが流れる、漫画家に取材をする、真剣にコスプレをやる......今でこそ当たり前に放送されている内容ですが、当時(2012年~)の地上波では珍しく、視聴者のニッチな要望が実際に形になるのが面白いと、口コミで放送エリア外にも広まっていきました。
また、番組放送時には必ずTwitterで撮影の裏話を発信したり視聴者の質問に答えたり、リアルタイムで副音声的な取り組みをして度々トレンド入りするなど、月1回のローカル深夜番組では珍しい成果がたくさんありました。視聴者の目線、声を大切にするということを常に意識した結果だと思います。この経験を機に、「視聴者に近い感覚」は絶対になくしてはいけないと確信しました。それと同時に、作り手の熱量は見ている人に必ず伝わるということも実感しました。
テレ東に出向
"ファン心理"分かる強みを活かす
この番組を通して本当にたくさんのご縁にも恵まれました。2019年からテレビ東京に出向することになったのもその一つです。最初に配属されたビジネス開発部では、VTuber「相内ユウカ」のプロジェクトを担当しました。ユウカは、現在『モーニングサテライト』メインキャスターの相内優香アナウンサーがいわゆる"中の人"を務める破天荒なVTuberアナウンサーです。そのマネージャーという立ち位置で、スケジュール管理から取材依頼(受ける側)の対応、書籍やグッズの制作、イベントなど、何でも屋状態で携わらせていただきました(笑)。
どれも初めての経験でしたし、相内アナをはじめ、このプロジェクトメンバーが先輩も後輩も優秀な方ばかりだったので、毎日とても刺激的でした。最初はそんな方々の中で「ついていけるだろうか......」という不安が大きかったのですが、「ファン心理が分かる」というのが私の強みであり、求められていることだと気付いてからは、これまでの経験が自信につながりました。
その後、イベント事業部に異動になり、池袋に新設した商業ビル「Mixalive TOKYO」のプロジェクトを担当することになりました。「オタクの街=秋葉原」と思う方が多いかもしれないのですが、池袋は女性のオタクが集まる街なのです。これまた、私がオタク=ファン心理が分かるということで、このプロジェクトのプロデューサーだった上司からお声かけいただいたのですが、「宮田のセンスは勉強して身につくものじゃないし、話していてわくわくする」というようなことを仰っていただけたのはすごく嬉しかったです。
主に「Mixa-」を周知するため、池袋を盛り上げる番組『田村淳が豊島区池袋』の番組プロデューサーを担当したり、オタク女子に向けた「池袋KAWAIIプロジェクト」を企画しました。好きなことに打ち込んでいる人って、本当に楽しそうでキラキラしていますよね。「池袋KAWAIIプロジェクト」では、そんなオタク女子の推し活がもっと楽しくなるサービスやイベントを展開していこうと考えていました。産休のタイミングと重なってしまい、残念ながら構想で終わってしまった企画もたくさんあったので、いつか形を変えて実現したいと思っています。
<『田村淳が豊島区池袋』でも自ら番組に出演(写真㊧)>
「Mixa-」プロジェクトを担当した際、個人的にとても驚き感動した出来事が2つありました。1つは、一緒に「Mixa-」を運営している他社の方が『にじどこ』の視聴者で、私を見ていてエンタメの世界を目指したと話してくださったこと。まさか東京で視聴者の方にお会いして、一緒に仕事をする未来が待っているとは......と、とても驚きました。
もう1つは、私がテレビ東京にいることを知った『にじどこ』視聴者だった女の子からSNSにDMが届きました。『にじどこ』放送時に高校生だった彼女は、番組を機に夢だった声優を目指すことを決意して上京、その年の春から事務所に所属となり、翌年放送のアニメに出演することが決まったという嬉しい内容でした。「次は宮田さんと一緒に仕事をするという夢に向かって頑張ります」と締められており、言葉にならない感動で涙が止まりませんでした。
私はテレビの仕事が大好きです。誰かを楽しませることができる、感動を与えることができる、寄り添うことができる。そんなテレビを作る仕事が大好きです。若い頃とは違い、売上を立てなければならないとか、黒でも白と言わなければならないときもあるなど、「大人の事情」も十分理解しています。それでもやっぱり譲ってはいけないものはあると思います。私にとってのそれが「視聴者に一番近いテレビマン」です。
テレビに代わる情報源や娯楽はたくさんあり、コンプライアンスの配慮や「大人の事情」も増える一方で、テレビを作る環境はどんどん窮屈になっていると思います。そのため、厳しい条件をクリアすることが目的となってしまい、テレビ本来の面白さや役割を私たち作り手が見失っていることが増えたと感じます。それがずっと続いて「テレビ局都合の番組作り→見る人がいなければ視聴率は上がらない→視聴率がなければスポンサーはつかない」の負のサイクルにつながっている――。「テレビ離れ」は中から起こっているのかもしれません。
ある漫画のセリフに「大人は何でも難しく考えすぎだよ」という言葉があるのですが、私は迷ったときや悩んだときによくこの言葉を思い出します。少なからずテレビに魅せられて仕事にまでしているテレビの"中の人"の私たちが、テレビの何が好きだったか? テレビの何が魅力だったか? それを思い返すだけで、変わるものはあると思います。
皆さん、テレビが好きですか?