【放送人 この言葉、あの言葉①】~「一緒に不安になりましょう」(星野源) 

丹羽 美之
【放送人 この言葉、あの言葉①】~「一緒に不安になりましょう」(星野源) 

面白い番組、優れた番組の背後には魅力的な作り手や演じ手がいます。彼らの残した印象的な言葉は番組制作の極意を伝えるとともに、一種の演出論やメディア論、社会論とも言えます。新連載【放送人 この言葉、あの言葉】はこれら珠玉の言葉の数々を、東京大学でメディア論の教鞭を執る丹羽美之さんの視点で選んでいただき、毎回ひとつずつ紹介していきます。なお、丹羽さんには、民放onlineの前身である隔月誌『民放』に「テレビ人、この言葉、あの言葉」として2017年5月号~20年7月号(最終号)まで13回連載していただきました。4年ぶりにリニューアルしての待望の再開です(今後は3カ月に1回のペースで掲載します)。第1回目は、今年1月2日深夜のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』で、前日の能登半島地震を受けての星野源さんの言葉を取り上げます。(編集広報部)


星野源のラジオ愛は深い。ヒットソングを次々に生み出す音楽家として、また『逃げるは恥だが役に立つ』(TBSテレビ、2016年)や『MIU404』(同、20年)など人気のテレビドラマに出演する俳優として、さらには数多くのエッセイを発表する文筆家として、メディアやジャンルを問わず多方面で活躍する星野だが、実はもうひとつ、ラジオ・パーソナリティとしての顔ももつ。2016年からニッポン放送の深夜ラジオ『星野源のオールナイトニッポン』でパーソナリティを担当しており、ラジオには人一倍の思い入れがあることで知られる。

 『星野源のオールナイトニッポン』緊急生放送

令和6年能登半島地震の翌日にオンエアされた『星野源のオールナイトニッポン』緊急生放送(202412日深夜)は、そんな彼のラジオ愛にあふれた番組だった。もともと正月向けのこの日の放送は、前年末に収録したものを流すことになっていた。しかし、元日に発生した能登半島地震を受けて、パーソナリティの星野が急遽生放送に切り替えることを提案した。星野も番組スタッフも奇跡的に全員が揃ったことから、正月休み返上でいつもどおりの生放送が行われることになったという。番組は、星野からリスナーへの次のような言葉ではじまる。

今日、被災地の方、今も避難されている方からのメール、たくさん読むと思います。すごいたくさんメールいただいて、これはぜひ読みたいなと思うメール、たくさんありました。それを僕読みながら、やっぱりすごく怖くなったし、ニュースで見ている感覚と全然違う感覚の言葉っていうものが自分の中に入ってきて、一気にリアリティをですね、もちろん全然それでもわかってないんだと思うんですけど、それでもやっぱり、ずっと不安だったし、この2日間、不安だったんですけど、さらにそれ以上の、やっぱり怖さだったり、心の痛みとか苦しみってのを感じたので、聴いてて不安になったりする可能性もあります。あると思います。でも、俺、それでいいと思います。一緒に不安になりましょう。今日は一緒に時間を過ごすっていうのが目的だと思います。

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<1月2日のニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』放送風景/左が星野源さん>

オンエア当時、最大震度7の大地震に襲われた被災地や避難先では、混乱した状況が続いていた。余震も多く、誰もが不安で孤独な夜を過ごしていたに違いない。テレビのニュースを見て、次々に流れてくる悲惨な映像に心を痛めた人も多かっただろう。そんな中、星野は「不安にならないで」と慰めるのでもなく、「元気を出して」と励ますのでもなく、「一緒に不安になりましょう」とリスナーに呼びかけた。番組が目指したのは、ラジオを使って、リスナー同士が不安な気持ちを互いに吐き出し、共有できる時間を作り出すことだった。

 くだらないの中に

とはいえ、番組はけっして悲壮感に覆われたわけではない。むしろ「普段どおりやってほしい」というリスナーからの要望に応えて、星野はあえていつもどおりの進行に徹した。1曲目に流された曲は、リクエストの多かった、元プロ野球選手・阪神タイガースのトーマス・オマリーが歌う「オマリーの六甲おろし」。この番組ではおなじみの曲であり、リスナーからは「めっちゃ笑った」「泣き笑いした」という感想が寄せられた。その後も、メールで届いた下世話な話、年末の『NHK紅白歌合戦』の裏話など、くだらない部分を交えながら、番組はできるだけ普段どおりに進められた。

と同時に、リスナーからは抑えていた不安を吐露する便りも相次いだ。「不安な私の気持ちを吐き出させてください。余震が多く、眠れません」「テレビでは災害情報が出続け、地震が来るたび心配に」「自分の不安という感情に気づかないふりをしていた。不安な気持ちになる自分を認めてくれたように感じた。怖い、不安だ、辛いというネガティブな感情を誰かと共有できることって安心につながる」「少し楽になった。震災後やっと泣けた。みんなで腕を組んで聴いているような感覚」といった声が、次々に届いた。「一緒に不安になりましょう」という星野の言葉に、救われたリスナーも多かったのではないだろうか。

星野自身もかつてラジオに救われたリスナーの一人だった。小学生の頃からラジオを愛聴していた星野は、AMラジオから聴こえてくるパーソナリティの面白いおしゃべり、FMラジオから流れてくる世界中の音楽を聴いて多感な時期を過ごした。そこで育まれたラジオへの愛情は自身の番組内でもたびたび語られている。『星野源のオールナイトニッポン』のパーソナリティとして、第54回ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を受賞した際には、ラジオは「生活に寄り添うメディア」であり、「思春期に命を救ってもらった。ラジオは命が救えるメディアだと思っている」と語っている。

くだらない日常の中で、本音がふと現れることがある。くだらない日常が奪われる時、心の声は置き去りにされがちだ。生活に寄り添うラジオには、人々が抱え込んだ不安や孤独を、声を介してつなぎ合わせる力がある。その日、星野が最後に流したのは、自身の1作目のシングル曲「くだらないの中に」だった。「髪の毛の匂いを嗅ぎあって/くさいなあってふざけあったり/くだらないの中に愛が/人は笑うように生きる」という歌い出しではじまるこの曲に、星野は「ラジオは命が救える」という希望を託したのではなかったか。くだらないの中にラジオとリスナーに対する愛が詰まった放送だった。

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