2024年から続いているコメ価格の値上がりは2025年になっても収まらず、政府備蓄米の放出などの対策が打たれるなど、"令和のコメ騒動"と呼ばれるに至った。そこで、どのようにして現在の状況が生まれたのか、また、コメどころの放送局はどのように報じているのか――リポートとともに報じる視点を中心にこの騒動を考えたい(まとめページはこちらから)。
第4回は新潟食料農業大学の青山浩子教授になぜコメ価格が高騰したのかについての解説とともに、メディア報道への提言を執筆いただきました。(編集広報部)
いったいだれが米価をつり上げ、流通を滞らせたのか。米価が本格的に上がり始めた2024年夏から、犯人さがしが続いた。「投機筋が参入している」「転売ヤーなど異業種が買い占めているらしい」「多段階の流通構造に問題がある」など。結果的には、流通の問題ではなく、出荷量そのものが需要を満たしていないところに根本理由があった。農水省の幹部が自民党の会合で、「コメは足りていると説明してきたが、見通しを誤った。お詫び申し上げたい」と謝罪したのが2025年8月。騒動が始まって1年間が経過していた。
なぜ、1年もかかったのか。政府をはじめ、コメに関わる関係機関ともに「どうせコメは余っているのだから」という意識が染みついていたからではないか。1970年から始まった減反政策。安倍晋三首相(当時)が2018年に「減反廃止」といったものの、実質的な生産調整はいまなお続いている。55年もの間、生産抑制に没頭するあまり、生産量や出荷量など精緻な数値をとることに緩慢だったと思う。
「余っている」という前提
実は、筆者も責任を負われるべき一人だ。2010年から3年ほど、農水省の「食料・農業・農村政策審議会」の下部組織である食糧部会の委員をつとめた。この部会は、米をはじめとする穀物の需要と供給を踏まえ、翌年産の生産数量目標を設定するために開かれる。委員にはコメの専門家も含まれているが、各界からバランスよく委員構成がされている。筆者も就任以降、複雑怪奇なコメ制度を理解するだけで一苦労だった。必死に資料を理解し、部会で発言をするものの、コメ政策の方向策定に役立っているという自負はないまま、任期を終えた。いたって身近な食であるコメだが、その政策はきわめて複雑だ。多様な立場にある委員の意見を聞く会も必要だが、政策のあり方を議論し、決めていくにはコメ政策に精通し、実際に現業として携わっている委員による別の委員会もあるべきだと感じている。
ところで、実際に流通しているコメもまた、「余っている」を前提に価格が形成されてきた。主食米は主に農家→JA→卸売業者→問屋→小売・外食事業者→消費者というプロセスを経る(図参照)。なお、"令和のコメ騒動"後、コメの需要が高まるとともに、流通経路も以前に比べて多様化している。米価の指標とされる相対取引価格は、JAと卸売業者間の交渉で決まる。交渉とはいえ、生産過剰のもとで主導権は流通、つまり卸売業者の手にあり、農家の「売りたい価格」よりも卸売業者にとって「買える価格」が優先される。値上がり前の5キロあたり2,000円以下という小売価格では、ほとんどの農家にとって赤字だったことは、このことを示している。一連の騒動は、一時的な供給不足が引き起こしたというより、生産過剰を前提にしてきたコメ政策が抱える課題に、正面から手を打ってこなかった延長線上に起きたといえる。
<参考資料:農林水産省食糧部会(2025年9月19日)配布資料「参考資料3 生産・流通・消費の実態把握と需給見通しについて」(令和7年9月)をもとに筆者が再構成>
騒動はいまだ収まらず、2025年産の新米も引き続き高値で推移している。もはや不足は恒常的なものであり、「増産は妥当」と考える人も多くいるはずだ。石破茂首相も小泉進次郎農水大臣(本稿掲載時)も「増産」と言っている。一方、筆者が取材する農家は、増産におおむね否定的だ。なぜなら、「2026年産米は価格がまず下がる」と踏んでいるからだ。
2025年産米はまだ収穫がすべて終わっておらず、豊作・不作を判断するのは時期尚早だ。はっきりしているのは、在庫は確実に積みあがっているということだ。農水省の見込みによると、2026年6月末在庫量が198~229万トンに達するとみている。見込みどおりならば、価格が安定するといわれる適正在庫水準(180~200万トン)を超える可能性が高い。この在庫量、過去10年間で米価が極めて安かった2021年産の在庫量に匹敵する。起こりうる値下げを前に農家は気を引き締めているのだ。
また、増産しようにもできない事情もある。新潟県内の7、8人の稲作農家に増産の意向を尋ねてみたが、「農地は増やせたとしても、乾燥調製施設も増設しなればならず、投資が伴う」「従業員の雇用が難しい」など否定的な農家が大半を占めた。また、離農が激しい中山間地を抱える農家は「増産はおろか現状維持で精いっぱい」と語っていた。
ただ、農家も経営者である。今後の需要動向次第で、費用対効果から判断し、投資を伴う増産をする農家も出てくるだろう。そのためにも、政府が生産から出荷、流通までの量を正確に把握し、公表する仕組みが必要であるし、農家やJAも流通業者と対等に交渉する姿勢が求められる。抜本的な改革が必要だ。
抜本改革とは
では、抜本改革とはどんなものなのか。新潟市にある稲作農家であり、新潟県農業法人協会の坪谷利之会長は「生産調整をやめ、直接支払い制度への移行を」と提案する。生産調整を廃止すれば、主食米を作る農家が増え、生産量が増えれば価格は下がる。消費者も喜び、外食事業者や米菓、酒造業者も歓迎するし、輸出も拡大する。ただ、それでは農家の経営は成り立たないので、直接支払いで補填するという考え方だ。
一方、「直接支払いを含む補助金をなくしたほうがいい。そのほうがよほどか経営意欲がわく」という農家もいる。この農家の試算によると、60キロ当たり20,000円台半ば(小売価格では5キロあたり3,000円台)が維持されれば、補助金に頼らなくても収益を確保できるとみる。「これまで、補助金を含む政策を横目で見ながら機械などへの投資をしてきたが、政策は頻繁に変わる。それより市場動向を自分で見定め、経営のかじを切るほうがまっとうだ」という。ちなみにこの農家は70ヘクタールという大規模農家だ。規模や立地条件によって、農家の考え方もさまざまだが、改革にむけた選択肢を生産現場は準備している。
正面から議論するチャンスを逃さずに
農家の考え方はさまざま――。このことが、"令和のコメ騒動"をめぐるメディアを悩ませたのではないか。今回の各局、各メディアの報道を振り返ると、野菜の値上がり等を取り上げるニュースなどと比べ、消費者と生産者の双方の立場の声を伝えていた。短時間のニュース報道であっても、生産現場に足を向け、農家の声を拾っていた。ただ、農家の声はひとつではない。経営規模や土地条件によって、米価や政策への考え方もそれぞれだ。また、利害関係者との距離が近いという職業柄、自分の本音を大っぴらに披露しない慎重派が多い。このせいか、なんとか農家に口を開いてもらおうと「いくらが農家にとっての適正価格ですか」など価格を問う質問が多かった。この点を残念がる農家もいる。「テレビも新聞も価格のことばかり。米価が落ち着けば、報道は消えていく。消費者の関心が冷めれば、コメ問題は永遠に解決しない」。一方、「これほどコメの国民的関心が集まったことはない」「消費者がコメに目を向けるようになったことは幸い」と前向きな声が生産現場から上がったことも確かだ。
やがて収まるはずという期待から"騒動"と名付けられたのだろう。だがいまだ騒動は収束していない。異常気象が収まる気配はなく、騒動が再来する可能性すらある。政府は2027年に向け、コメ政策を転換すると言っているが、「どうせ余っている」という前提で、見過ごしてきた課題をどう解決するのか。さらに踏み込んで、減反を廃止し、価格形成を含め市場に委ねる体制にシフトするのか、それともこれまでどおり国が関与していくのか。正面から議論できるのは、国民の関心がコメに向いているこのタイミングしかない。千載一遇のチャンスを逃すことなくあらゆる可能性を排除せずに検討されるべきだ。その動きをメディアには継続的に取り上げてほしい。食卓の向こう側には農家がいて、どんな気象条件であっても食料を作り続けている姿を伝え続けていくことが、作り手にとっての最大の糧となる。