特集【"令和のコメ騒動"を報じる視点⑤】ドラマ『お米のなみだ』が現実に? エンタメで農家の力になりたい

あべ 美佳
特集【"令和のコメ騒動"を報じる視点⑤】ドラマ『お米のなみだ』が現実に? エンタメで農家の力になりたい

2024年から続いているコメ価格の値上がりは2025年になっても収まらず、政府備蓄米の放出などの対策が打たれるなど、"令和のコメ騒動"と呼ばれるに至った。そこで、どのようにして現在の状況が生まれたのか、また、コメどころの放送局はどのように報じているのか――リポートとともに報じる視点を中心にこの騒動を考えたい(まとめページはこちらから)。
第5回(最終回)は2008年放送のドラマ『お米のなみだ』(NHK)の脚本を担当した作家・脚本家のあべ美佳さんにドラマ制作時の思いと現在のコメ騒動に直面して考えたことを執筆いただきました。(編集広報部)


正直、今回のコメ騒動は「よし、いよいよ来たな」と思った。おコメについて誰もが真剣に考え直す機会が来たと。今度こそ、おコメにかけられたさまざまな"魔法"が解けるときだ。さまざまな魔法とは、さまざまな思い込み......ある種の呪いとも言い直すことができる。具体的に言おう。「コメは余っている」「コメだけはフツウにいつも手に入る」「コメ農家は清貧、弱者である」「コメ農家は政府の助けなくしては生活できない」「コメは安いのが当たり前」等々。一連の騒動ですでにいくつかの魔法は解けた。さぁ、次の段階へ進もう!

「第一次産業はもはや産業ではなく、人の"生き死に"に直結するもっとも大事な仕事である」

こう教えてくれたのは民俗学者の結城登美雄先生だ。結城先生との出会いは2008年にオンエアされたNHK仙台放送局開局80周年記念ドラマ『お米のなみだ』。私は脚本家として、結城先生はアドバイザーとして、この作品に参加した。

目指したのは視聴者を優しく脅すドラマだった...

『お米のなみだ』の企画書の1行目には「東北のコメ農家がもう都会の消費者に自分たちのコメを売らないといったらどうなるだろう?」と書いてあった。プロデューサー陣はドラマを作るのは初めてで、いつもは『プロジェクトX』などを制作している方々。仙台に転勤してきて東北のコメ農家をたくさん取材し「なんてお人好しな人たちなんだろう」と感じたそうだ。やれ安くしろ、美味しくしろ、作付けを減らせ、農薬を使うな......、あらゆる方向から勝手なことを言われ、ほとんど利益にもならず、それでも田んぼを守る姿を見て、ここまでできるのはどうしてなのか分からない、と彼らは言った。その答えを山形の開拓農家に生まれた私ならどう示すのか、問われた気がした。

「毎日あたり前のようにご飯を食べている視聴者を優しく脅すドラマにしたいと思っています」その言葉を聞き、私はシンプルに「この人たちの視点は面白い!」と思った。そして、昔、酔っぱらった父が言っていた言葉を思い出した。

「なんかあったら最後に勝つのは俺たち百姓だ」

有事の際は、食糧を作り出せる者・大地に根差して生きている者が一番強い......という意味だろう。中学を出てからずっと田んぼに立ち、農政に振り回され続けてきた父の腹の底から出た本音。有事なんて来ないと思っているからこそ、言える言葉でもあった。

ドラマ制作当時、いや現在も、東北のコメ農家は都会の台所を支えている。そんな、お人好しの彼らが本気で反旗を翻したら世の中は一体どうなってしまうのか? 物語の一歩はそんな想像から始まった。

オンエアからもうすぐ20年。まさか、ドラマの内容が現実になってしまう日が来るなんて。

ドラマを見ていない方に少しだけ内容をお伝えする。主人公は商社に勤める女性。ラニーニャ現象による世界規模の異常気象が起こるという情報をいち早くキャッチしたとある商社が、秋には世界的なコメ争奪戦になると予測し、他社に先駆けて賭けに出る。いつも取引している平場の大きな田んぼは高温不稔でおそらく全滅する。なので、比較的影響が少ないと思われる東北以北の中山間地の田んぼを一枚でも多く青田買いするよう動いたのだ。主人公が割り振られたエリアは、宮城県のとある中山間地。彼女とは因縁のある土地だった。その土地の農家は、目の前に札束を積んでもコメを売ろうとしない。なぜならその地域には"作り手"と"食べ手"の特殊なつながりがあって――。

ヒントは「鳴子の米プロジェクト」に

ドラマを作るうえでヒントになった実在の取り組みがある。宮城県の「鳴子の米プロジェクト」だ。大規模化などは難しい農政に見放された中山間地の田んぼを代々受け継ぐ"作り手たち"と、そのおコメを買い支える"食べ手"が直接つながる取り組みで、特筆すべきは事前予約システムと、2006年の発足当時、一俵(60キロ)24,000円という相場の2倍近い価格。その価格は生産者側からしたら相当の高値だが、スーパーで売られているコメは5キロ2,000円前後だったことを考えると消費者側からしたら特に高い金額ではない。"作り手"は待ってくれている人がいるので安心して丹精できるし、"食べ手"も折に触れ田んぼを見学したり手伝ったりしながら安心して自分の口に入るものを待つことができる。互いに誇りをもって支え合う素晴らしい取り組みだ。

取材当時、お茶碗一杯のごはんが約20円だった。それは、イチゴ一粒、ペットボトルの水5分の1、イカの煮物一切れと同じ金額。それが高いと感じるか、安いと感じるか。

「お茶碗一杯が、20円から24円になったらコメ農家は暮らしていけるようになるんだ。一杯につき4円。俺たちはコメ農家のため、この田園風景を守るためにも、4円払うことにした」

阿藤快さん演じる、地元の温泉宿の主人のセリフである。

この取り組みは決して農家のためだけではない。耕作放棄地が増え、荒れ地だらけになった景色の悪いところには観光客だって来なくなる。自分たちが買い支え、食べ支えることは、地域みんなのためなのだと胸を張るシーンは、取材して実際に聞いた声だった。

2006年に始まった鳴子の米プロジェクトは今なお続き、作付け面積もファンも順調に増えている。もちろん今年のおコメも完売! 昔からの応援団はコメ騒動の影響など皆無だ。

あべ美佳氏⑦稲刈り交流会2025.jpg

<12株=お茶碗3杯分の稲穂だけ刈り残し、お酒をお供えして田んぼの神様に感謝(2025年「鳴子の米プロジェクト」より)>

ところで、身近なところでもコメ騒動の影響を受けなかった人がいる。私がお世話になっている税理士さんだ。埼玉に住む彼はだいぶ前から、私の実家からコメを買ってくれている。最初は義理で注文してくれたのだと思う。重たいおコメをスーパーに買いに行かなくていいのは便利だったようで、以来、2カ月に1度の割合でコメを送ってもらう契約をしたらしい。おかげで今回のコメ騒動も何の影響もなかったと喜んでいた。あべ家の田んぼを継いだわが弟は、コメ騒動の中、あちこちから来る高値の注文を断り、定期購入の顧客と家族の分のコメを取り置いてくれた。家族の中にはもちろん、遠くで暮らす姉ふたりの家族の分も入っている。こんなときぐらい儲けてほしいという気持ちもあったが、正直、頼むから売らないでという気持ちのほうが強かった。感謝してもしきれない。弟よ、ありがとう!

変わるべきは消費者

さて。今までの話の中に、これからのコメ問題のヒントがあると私は考える。変わるべきは"食べ手"。つまり消費者なのだ。自分が食べるおコメは自分で確保する。そういう時代だということを胸に刻む時が来ている。おコメのことは命の問題。農政の問題でも、産業の問題でもない。命のことを政府に任せて良いはずもなく、ましてや政治家に文句を言っている場合でもない。

自分の命=食糧は自分で守る。自分で作れないなら作れる人と"直で"つながり、助けてもらう。私のように実家が農家じゃなくても、本気で探せばどこかにご縁があるはずだ。親戚、友人知人、SNS......あらゆる手を使って命を一緒に育める農家さんを探し、つながる努力をし、どちらか一方が得するような仕組みではなく、互いに敬意をもって支え合う。個人単位が心配なら、仲間同士や法人単位でもいい。そうやって交流していくことが、これからの時代の基本になると考える。

大規模な農政の仕組みはそれこそ、誰か頭の良い人にお任せして、私はなるべく小さな農家、一家族、一個人、そういう単位で命の源である食糧......おコメのことを考えたい。

農政にも、行政にも、商社にも、JAにも、誰にも振り回されない"食べ手と作り手"の直接的なつながりを作ることが、これからの時代を生き抜くために必要だ。

意識の高い"食べ手"が、おコメにかけられた呪いから解放され、農家と共に田んぼを守っているんだという誇りを持てたら日本は変わる。はじめは小さな"つながり"でも、最小単位のソレが、どんどん、どんどん増えれば、確実にムーブメントが起きる。結果的に中山間地の田んぼは守られ、美しい原風景も残るだろう。それこそが、どんな政策より強いものになり、真に大きな変化=革命になると私は信じている。

その手助けを、私はエンタメでやらせてもらいたい。いまだ呪いにかかったままの消費者を優しく脅す物語を作り、コメ農家の力になりたいと強く願う。

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