【インタビュー 大久保好男・元日本テレビ社長】放送事業の将来像は自分たちで考える <テレビ70年企画>

編集広報部
【インタビュー 大久保好男・元日本テレビ社長】放送事業の将来像は自分たちで考える <テレビ70年企画>

テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星13社へと発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。

ここでは、これまで日本の放送界をけん引し、発展させてこられた主要な方々の声を聞き、"オーラルヒストリー"として記録し後世に伝えていくとともに、これから放送界で活躍していく若い人たちに放送の持つ可能性を感じてもらう目的で、インタビューを掲載します。今回登場いただくのは、2018年から22年まで民放連会長を務められた 大久保好男・元日本テレビ社長です。


――はじめにテレビとの思い出をお聞かせください
私は1950年生まれなので、テレビがスタートしたときはちょうど3歳です。小学校の高学年の頃には『シャボン玉ホリデー』(61年-72年および76-77年、日本テレビ)が始まっていましたし、64年の東京オリンピックは中学2年でしたので、小学生、中学生の頃はよくテレビを見ていました。中でも、一番思い出に残っているのはプロレス中継です。当時、力道山が活躍していて、空手チョップを武器に外国人レスラーをばったばったと倒していくのを見て、すごいな、かっこいいなと思っていました。まさかあれが「興行」で全部本当の戦いではなかったということは、子どもの頃には全く分からなかったので、その後、からくりがわかってからは見方は変わりました(笑)。中学では野球部に入ったので忙しく、夜は受験勉強もあり、高校時代も通じてあまりテレビは見なかったですね。

大学を卒業して読売新聞に入社してからは、朝のニュース番組、情報番組、昼のNHK、そして夕方から夜のニュースなどは仕事柄よく見ていました。記者クラブの中でテレビはずっとつけっ放しになっていて、それを見ながら仕事をしていました。だから今でも、テレビがついたままで仕事をしたり原稿を書いたりするのは全く苦にならないですね。

――新聞からテレビの世界に移られてからはどうですか
ドラマやバラエティ番組のことはよく分からず日本テレビに来たので、最初は皆さんに教えてもらうことから始めました。テレビが持つ新聞と違う面白さは、テレビに来てすぐ気がつきました。新聞は文章で伝えているけれど、映像があるとインパクトが全然違う。だからニュース価値も違っていて、新聞が扱わないような記事でも、映像があるとテレビは大きく扱うことがあり、ニュースの価値観も相当違いがあると感じました。

――テレビ放送が始まって70年。ここまで成長したことをどうお考えですか
長く続く産業というのは、それだけ国民の生活に密着していて、不可欠なものであるということだと思います。テレビが国民のニーズに応え、支持されてきたことの表れなのでしょう。テレビという産業にとっての商品は番組ですから、それが国民の支持を得て広告媒体としての価値が生まれ、それを理解した広告主が媒体として使う。そのような構造ですね。
さらに、放送事業者全体が技術の進歩に適切に対応してきたこと、そして放送の社会的役割を理解して、法制度として民放が位置づけられている地位を守り続けてきたこともあります。それは、政治の側も民放の公共的役割を理解し、ある種の特別な役割、地位を与えてきたということだろうと思います。

――2018年の政府の「放送制度改革」の動きの際には、民放連副会長として対応されました
放送は影響力が大きいので、政治権力は常に放送を自分たちの思いどおりにしたいという欲求を持っています。問題があると感じた番組があればいろんな理由をつけて放送に介入してきたり、規制してくるということが常にあるわけです。具体的には行政指導であったり、スポンサーに広告を出さないよう働きかけるなどですが、政治家がさまざまな形で番組内容に介入してくること自体が非常に問題であり、民放事業者はそれに対抗し、そういった圧力を排除しようと努力してきました。

しかし、2018年の安倍晋三首相(当時)の放送制度改革というのは、そういうレベルの介入ではなかったのです。放送法で制度として定めている放送のある種の特別な地位を奪い去って、コンテンツに対する規制がないインターネットやSNSと放送を同列に扱おうという考えでした。つまり、放送内容についての規律を持っている放送、特に民放は要らないということを堂々と掲げた構想だったと思います。そういう意味で、それまでの放送に対する政治権力の介入とは全くレベルが違っていました。

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改革の表向きの理由は、放送産業の活性化、つまり産業振興という名目でした。しかし本音のところは、民放の番組の中に当時の安倍政権に対する批判的なものがあって、それに対して安倍首相がかなり不満を持っていたということだと思います。放送法4条は政治的公平などを定めていますが、安倍首相は放送法4条があるのに政権批判が一方的になされていると不満でした。守られていない放送法4条のような規制は外してあげるから、ネットと同じように自由にしていいですよと。その代わり、法制度上の特別な地位もなくして、ネットと同列にしたらいいんじゃないですか、そのために放送についても大改革をしますよという考えだったと思います。

具体的には4条のほか、番組審議機関の設置を定めている6条、93条の外資規制、それからマスメディア集中排除原則も廃止対象としていました。放送特有の規制は全て撤廃するということです。これが行われると、キー局、ローカル局を問わず民放事業者は国内外の大きな資本に買収される可能性が高くなると思います。

それと同時に、この改革案の中で問題だと思ったのは、地上波で流すコンテンツの中にインターネットで流れているようなコンテンツもどんどんのせて、放送とネットのコンテンツの違いをなくすという考え方でした。そのためにはソフトとハードの分離、今でも選択的に分離できる制度になっていますが、それを法律上徹底させて、ハード会社はテレビ局制作のコンテンツだけでなくネット事業者のコンテンツも自由に流せるようにする。ある種強制的に、法制度として実施するという改革でしたので、これは大変なことになると感じました。

当時、私は民放連会長が内定している副会長(18年6月8日に会長就任)という立場でしたが、「この改革案は民放のビジネスモデルを完全に変えてしまうことになりますよ」という声が総務省関係者や国会議員から頻繁に届くようになりました。どこまでやるつもりなのかと思っていましたが、18年3月9日に安倍首相に実際に会って話をしたら、本当にそう考えていることがわかりました。これには私も衝撃を受けましたし、何とかしなければいけないと強く思いました。

民放連の次期会長として、会員である民放事業者を廃業に追い込んではいけない。事業として成り立つようにすることは前提ではありますが、それ以上に民放がこれまで果たしてきた役割を簡単になくしてはいけない、ということを非常に強く思いました。日本の戦後の民主主義を言論の面で支えてきたのはプロのジャーナリストたちで、その一つは新聞、もう一つはNHKも加えた放送事業者です。放送が担ってきた大きな役割の中で、民放がなくなりNHKだけになってしまうような状況になれば、それはもう民主主義の基盤が完全に崩れてしまうだろうと考えました。民放事業者が潰れては困るということは当然ですが、それ以上に私たちがなくなってしまったら、この日本の民主主義は一体どうなるのか。この改革案は潰さなければいけないと考えました。当時は"安倍一強"と言われている時代。見通しは立ちませんでしたが、キー局のメディア担当の方々と相談したり、民放連でいろんな人たちと意見交換をして、とにかくこの改革案だけは阻止しようと動いたのです。

ただし、改革案の発端になっているのは技術の進歩です。インターネットの台頭により通信と放送が融合していく時代で、伝送路としての違いがもう気にならなくなっている。そういう流れの中でテレビが大きな岐路に立っているわけだから、それを何とかしなければならない。安倍改革案はネットと放送を同列に扱ってしまうという間違った方向の改革案でしたが、放送と通信の融合の中でテレビはどうあるべきかは、私たち自身が考えなければいけない課題です。そこで「当面の改革案を阻止する活動」と「放送事業の将来像は自分たちで考える」、この2つを目的にした対策会議(「放送の価値向上・未来像に関する検討推進会議」)を井上会長(当時)の了承を得て設置し、活動を始めました。

結果として改革案は阻止できましたが、これは民放事業者が反対表明して動いたことに加え、新聞が共同戦線を張ってくれたことが大きかった。私たちには免許事業という大きな枠がありますが、監督官庁がない新聞は自由に声を上げることができるし、一緒に民主主義の礎を担ってきたという観点から応援してくれるのではないかと考え、日本テレビの担当役員らが全国紙各社に民放の主張を説明して回った。各紙とも理解してくれて、改革案に批判的な社説や記事が多く出たこともあり、この動きは止まったのだろうと思っています。1月10日発行の「日本記者クラブ会報」にもこのいきさつを書いていますので、参考にしてください。

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<民放連会長就任記者会見(2018年6月8日)>

――放送の役割を主張する際には、視聴者・リスナーからの信頼が大切です。そのために設置した放送倫理・番組向上機構(BPO)が設立20年を迎えました
第二次世界大戦を経て1950年に放送法ができたとき、放送については自主・自律が基本で番組に介入することはない、というのが政府の基本的な姿勢だったのです。それが何故壊れていくかというと、放送事業者が国民に理解されない、支持されない、そういった批判を浴びるような番組を作ってしまったからです。そのことが引き金になって政治の側から行政当局は放置していいのかと迫られ、その結果、行政指導されることになってしまった。その根拠は何かというと、放送法4条です。ここに「放送事業者は政治的公平など4項目のコンテンツの基準を守れと書いてあるじゃないか」ということになった。本来は倫理規程であり、これを理由にして行政指導はできないとの解釈がなされてきましたが、批判されるようなコンテンツを作ったことによって足元をすくわれ、隙を突かれて行政が圧力をかけ、コンテンツに介入してくるという歴史があって、次第に行政指導が定着してしまったのです。

だから、行政指導そのものが容認できないと言い続けるのはもちろんですが、同時に対象となっている番組が国民・視聴者の理解を得られるのか、ということも問題になってくる。自主・自律をきちんと守り通そうと思うなら、政府や行政、あるいは与野党に付けこまれるようなコンテンツを作らないことです。隙を見せないこと、これが第一だと思いますね。まず、自分たちの規律をきちんとしなくてはならない。

しかし、人間がやることだし、制作する人もどんどん入れ替わるので、仮に教訓を得たとしても伝承されず、結局また起きてしまう。そうであれば、起きてしまうことに対してどうするか。放送界は自浄作用を持っている、だから放送局に任せておいていいんだ、と思ってもらわなくてはならない。この自浄作用のために各局の番組審議会があり、第三者機関のBPOがある。ここがしっかりと機能していることを示せば、後を絶たない番組をめぐる不祥事があっても、放送局への国民の信頼は揺るがないと思うのです。そういう意味では、BPOは私たちが自主・自律や表現の自由を守るための「砦(とりで)」であるわけです。BPOにはしっかり機能してもらって、放送局はBPOの決定を尊重する。そのことが一般の国民・視聴者に理解されるようでないといけません。

私が日本テレビの社長・会長を務めたときにも、いくつか危機的な場面がありました。そのとき考えたのは、テレビとはいったい、どういうメディアなのかということです。少なくとも、表現の自由や報道の自由など、そういう自由をきちんと自ら守っていくことを忘れてはいけない。テレビも大きなメディアとなったのですから、世の中のため、国民・視聴者の生活を豊かにするため、そして平和を守り国民の生命・財産を守るため、そういうメディアとしての最大の使命に対し、自分たちがやろうとしていることや判断することが貢献しているのか。そんなことを考えました。放送って何だろうという原点を危機的な状況のときに思い出し、それを踏まえて判断しないと、大きな間違いを犯してしまうのではないかと思います。

BPOはきちんと機能していると考えていますが、それでも政治家などからは「放送業界の"お手盛り"機関じゃないか」と言われます。信頼を高めるためにも、委員会の人選の透明性の一層の確保や事務局の強化なども考える必要があるのではないでしょうか。

――放送が果たす公共的な役割について、民放とNHKの違いは
民放とNHKの公共的役割に違いがあるかというと、あまりないんじゃないかと思います。確かに、財源に違いはあります。NHKは受信料です。民放は広告が付かなければいけないので国会中継などは難しいでしょう。そういう意味ではNHKとの違いはありますが、民放もさまざまな方法で公共的役割を果たしています。日本テレビの例で言えば、これまでに46回実施している『24時間テレビ』は、募金等を通じて集まったお金を福祉や災害復旧などいろんな形で社会還元しています。同様に、全国の民放各局では、それぞれ工夫して社会貢献活動をしていると思います。

もちろん、各局はニュースや情報を伝え、ジャーナリズム機能を発揮することで社会貢献・公共的役割を果たしています。スポンサーの意向で報道内容が変わるなどということはあり得ませんからね。それに加えて、技術的な話になりますが、字幕・解説放送なども実施しています。NHKとは違うけれど、民放事業者として公共的な役割についての考え方はしっかりと守られていると思います。そのうえで、権力に対する監視という機能を果たすことが公共的役割の最も重要な要素ではないでしょうか。

――新規事業の開拓や収益構造の変革は、キー局とローカル局では状況が違うと思います。地方局の存在意義や系列内の連携も含め、放送の将来像をどのようにお考えですか
今、放送事業は構造的変化に見舞われていて、ローカル局もキー局もその状況は変わりません。また、どこかの系列の業績が伸びればどこかが落ち込むという"ゼロサムゲーム"ではなく、業界全体が落ち込む"非ゼロサムゲーム"となっているので、非常に厳しい状況です。

これから先を考えると、技術革新が進みテレビを買い替えるときは大半がネットにつながる"コネクテッドテレビ"になっていくでしょう。テレビ受像機はテレビ局が独占的に使用するものではなくて、テレビもインターネットの動画も見られるという、パソコンに代わるような"モニター"になっていくことが想定される。そうなればなるほど、テレビの視聴率や視聴者数を従来のような水準で維持することはできなくなるでしょう。当分の間、先が見えない低落傾向が続くという感じがします。そういう意味では、放送というマーケットが大幅に、そして急激に変わる時期に今は差しかかっているんじゃないかと思います。

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経営学には「コダック・モーメント」という言葉があります。米国のコダック社はフィルムで世界最大の事業者だったけれど、市場の変化に対応できなくて、2012年に破産法の申請を行った。もしかしたら、コロナ後のテレビ業界は「コダック・モーメント」になってはいないだろうか。コロナ禍の3年間で、動画を見るという行為のデジタル化が急速に進んだという印象があります。これは相当しっかりと受け止めなければなりません。そういう状況にキー局もローカル局もあるわけですから、じゃあ、そこからどうするかという話になりますが、はっきり言えば、キー局、準キー局、ローカル局、それぞれのレベルで自分たちの新しい収入源を探していくことが大事だと思います。

良いコンテンツを作ることは大切ですが、良いコンテンツを作れば必ず視聴者が戻ってきて、経営が好転するという考えに固執するのは危険です。それでは生き残れない。さっき言ったように、これは"ゼロサムゲーム"じゃなく、"非ゼロサムゲーム"です。マーケット全体の需要がなくなっているんだから、良いコンテンツを作ったとしても、シェアが増えていくことで他局より落ち込むスピードが少し遅くなるという程度の話でしょう。

だから、経営を多角化して放送外収入を増やさなければなりません。それを一生懸命やる。そして、それで自分たちの会社を支えられるだけのもう一つの柱ができるまでは、取りあえず今の放送事業でしっかり稼いで、現状を維持する必要がある。まずは放送事業という本業をしっかりやることが重要なのです。それによって、新しい事業展開のための時間と資源を確保する。ただし、それは業界全体が上向くということではない。そのことを経営者はよく自覚しておかなければならないと思います。

――民放とNHKの二元体制について、どうお考えですか
二元体制論というのは、放送業界の中での民放とNHKの"競争と協調"、つまり連携と棲み分けという話です。ハード面の共同利用などは進めた方がいい。しかし、もっと問題なのは、NHKも民放も放送という存在自体がインターネットに挑戦されているという現状です。そのことに民放とNHKが一緒になってどう立ち向かうか、闘っていくかという議論を、さらに一歩進めてやったほうがいい。

若者が放送から離れていく中で、民放だけでなくNHKもジリ貧になっている。ネットに視聴者を奪われていることを考えれば、NHKも民放も変わりないのです。ネットに対してNHKと民放がどう立ち向かうかということを一緒になって考えて、一緒になって新しい制度を作る時代だと思います。

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<2018年民放大会(㊨は上田良一NHK会長)>

民放とNHKがお互いにこの後どうなるかわからなくなっているのに、それぞれが生き延びようという二元体制の考え方はそのままでいいのか。競争と協調はやっていけばいいし、棲み分けもきちんとやって、連携の部分を決めていくというのは必要です。しかし、NHKも受信料収入が減少する状況で、民放への支援もできなくなると思います。だから、もっと広い視野で考えれば、放送業界全体がネットに挑戦されて、視聴者を奪われている中でどう反撃していくかを考えるのが民放とNHKの役割じゃないかと思います。もっと民放とNHKがネットコンテンツの著作権の問題などに声をあげて、政府に新しい制度を作るように迫っていくべきでしょう。

私たちはいつも「放送の自由」や「表現の自由」などと言っているのに、ネットへの規制を強めろと言うのは嫌なのですが、"野放し状態"になっていることが結果として放送事業にも悪影響を与えているし、世の中を悪くしている面もあるのではないでしょうか。新聞と放送にはそれぞれ「倫理基本綱領」がありますが、ネットにはありません。そこがネットと放送との大きな違いですし、ネットと向き合うときの立脚点にしていかなくてはならないと思います。放送とネットを融合しようという"安倍元首相の改革案"のようなものが出てきたら、ネットに倫理はないから好き勝手なことをやっていて、その被害が国民に及んでくるということを強く言うべきでしょう。ネットは通信だというかもしれないが、もはや放送とほぼ変わらないだけの伝送路を持ち、影響力があるのに、倫理規定がないとはどういうことなんだと言うべきです。「フェイクニュースに広告を出す企業は社会的に問題だ」という世論がないと闘えないでしょう。その点については放送業界全体として厳しい意見を言ったほうがいいと思います。

NHKとの関係については二元体制をどうするかという議論も必要ですが、目の前に放送とインターネットのせめぎ合いが起きているのですから、それに対してしっかり連携して、放送が果たしている公共的役割がなくなっては困るということを世の中にきちんと提示することが喫緊の課題です。そうすることは、広告主企業に対して理解を求めていくことにもつながるのではないでしょうか。

――これからの放送界を担う後輩たちへの提言、エールを
放送は媒体としては非常に大きな、圧倒的な力を持っていると思うので、しばらくの間はそんなに揺らぐことはないだろうと考えています。

しかし、将来的にどうなるかはわかりません。放送に携わる人には良い番組を作ってもらいたいけれど、一番言いたいのは、会社の資源をうまく使って自分の夢を実現する、そういう場として放送の事業に携わってもらいたいということです。会社がお金を出してくれて、作りたい番組を作ることができる。放送局というのはどの地域でも有名企業ですから、名刺を出せば誰でも会ってくれる。さらに、自分の作った番組をみんなに見てもらうことができるという、そういう表現の手段を持っている事業体なのです。直接番組を制作しない人たちも、そういった番組を支援することができるのです。また、制作会社など放送に関わる仕事をする人たちも同様です。放送事業というのは、ある種の夢を実現するにはもってこいの仕事ですから、ぜひ会社の資源、予算や名刺などを使って自分の夢を実現してもらいたい。コストカットだけが経営戦略という会社に将来はないでしょう。

だから、経営陣は番組制作費のカットなんていうことはあまりやらないでもらいたい。制作会社を含め、番組作りに携わっている現場の人たちが伸び伸びと思いきって良い番組を作れるように、環境、報酬、待遇、そういったものを経営陣が整えて後押しすれば、もっともっといい職場になると思います。

(2023年12月12日、日本テレビ本社にて/聞き手=民放連専務理事・堀木卓也、構成=「民放online」編集長・古賀靖典

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