元NHKディレクターの渡辺考さんによる新連載をはじめます。名付けて【渡辺考の沖縄通信】。放送をはじめとするメディアが報じた出来事などを取り上げながら"今"を俯瞰する視座を提供します......と書くと堅苦しくなりますが、沖縄で暮らす渡辺さんならではの視点による時評を肩肘張らずに執筆いただきます。琉球の風を感じていただければ何よりです。(編集広報部)
まもなく、沖縄に暮らし始めて4年になる。願いかなって来た南の島だが、これほどまで大きな存在になるとは思ってもみなかった。人生を揺さぶり、方向付けるなど予測してはいなかった......。
年の瀬に、ぼくは大きな節目を迎えようとしていた。34年間、勤めてきたNHKを辞することにしたのだ。
子どもの頃からずっと、何よりも大好きなテレビ。その制作は、天職だと思うし、これ以外の仕事につく自分を想像するだけでゾッとする。では、定年までわずかだけどまだ時間が残されているなか、なんで慣れ親しんだ職場にわかれを告げることにしたのか。
大きな理由が、ズバリ、沖縄。
さほど大きくない日本の、いってみれば、ひとつの島にすぎないかもしれない。でも、その小島は、ぼくにはとてつもなく広く、深く、その中心には決してたどりつけない迷宮のようでもあった。琉球王国の伝統を引き継いだ豊饒な文化、どこまでも広がる青い海、世界自然遺産にも指定された森、魅惑の離島の数々、そして常に翻弄され、戦に傷ついた歴史......。ぱっと来て切り取って、やった気になって、はい、さようなら、とはいかないのが沖縄だった。そして、なんくるないさあ、の鷹揚さは、能率・効率からほど遠いぼくのキャラにもぴったりフィットしていた。
NHKに在職しながら沖縄を追求し続けることができたらいいのだが、必ず到来するのが転勤だ。ふたたび東京にもどり、沖縄が思い出の一ページになるなど悲しすぎる。行き当たった答えが、沖縄に留まり、これからの人生を沖縄とともに歩もう、というものだった。
「Click Click Click 明日を照らす光......♪」※。『NHK紅白歌合戦』(以下、『紅白』)を何気なく見ていると、ME:Iの疾走感のある歌がタイムマシンのスイッチをONにした。泡のような繁栄に浮かれた時代に、「楽しくなければテレビじゃない」という標語がシンボルの業界に入り、地に足がつかぬ気分で番組に取り組んでいた20代。「Knock Knock......未だ見ぬ未来を散歩し......♪」※。泡がはじけしのちに、何かをもとめ、2年にわたり休職、青年海外協力隊に参加、放送隊員としてミクロネシア・ヤップ島で情報番組立ち上げなどしながらも迷い、復職後、たどりついたのが、ドキュメンタリー番組制作だった。
人を描くことを主眼に、おもに日中戦争の時代、太平洋戦争の時代を見つめ、戦争の不条理に焦点をあててきた。地方勤務もあったが、なぜか九州限定で、福岡では筑豊炭鉱や陸軍特攻隊などに、長崎では原爆に取り組んだ。そして4年前から沖縄で本土復帰、沖縄戦、南米移民、琉球王国文化に向き合ってきた。
さて、この連載では、沖縄に暮らすぼくが、内地からはなかなか見えにくい花鳥風月、出来事、問題をお伝えしながら、メディアの今日も俯瞰できたらと思っている。
沖縄に転勤して居を定めたのは、那覇の中心部だが、住民のつながりがしっかり残っている壺屋だ。古くから続く焼き物の町で、いまも10を超す窯元が「やちむん」づくりをしている。驚かされたのは、伝統への思いの深さだ。信仰心は篤く、ぼくの家のまわりには、9つもの祈りの場、拝所(うがんじゅ)があり、2カ月に1回のペースでみんなでウガン(祈り)をする。もちろん祭りは大事で、秋になると、旗頭と呼ばれる行事があり、いつのまにか、ぼくもそのメンバーのひとりとなっていた。
11月でも海泳ぎを楽しみ、休日ともなると海釣りを満喫、すっかり浮かれた生活を送りながらも、日々感じるのは、安全保障の代償ともいうべき緊張感である。当初より慣れてきてはいるが、ジェット戦闘機が飛び交い、オスプレイが低空飛行しているのが沖縄の日常の空だ。そして、国道を走っているといやおうでも気づかされる米軍基地のひろがり。知り合った米軍属に、基地(キャンプフォスター)に入れてもらったことがあるが、広々とした環境はアメリカそのもので、丘の上から見た宜野湾の町とのギャップにくらくらした。
ぼくのお気に入りスポットが、浦添のカーミージーという海岸だ。遠浅の海がひろがり、泳ぎも、シュノーケルも、釣りも、夕日をぼんやり眺めるのも最高なのだが、この素敵な場所にも米軍の影が忍びよっている。沖合が埋め立てられ、あらたに米軍港ができるのだ。半世紀も前の日米合意が時差をもって施行されるもので、今日ほんとうに必要なのか疑問の声も強い。
<那覇市の北に隣接する浦添市のカーミージー。写真㊨の沈む太陽の横には米軍基地建設のための調査機材が>
元沖縄テレビ放送の平良いずみさんが、先秋発表したドキュメンタリーが『この海は誰のもの』。置き去りにされた地元の人たちの、海への深い思いを描いていた。平良さんはこう語る。「このことが、あまりにも若者たちに知られていない。これから海とともに生きていく新世代に考えてほしい一心で制作しました」。
平良さんは、現在、米軍基地由来の有害物質PFASをめぐるドキュメンタリー映画に取り組み、今夏に公開予定だという。
米軍だけではない。自衛隊の南西シフトが沖縄のニュースで取り上げられない日はない。後輩が、ずっと通い詰めていたのが、日本の最西端、台湾からわずか111キロの与那国島だ。NHKスペシャル『"国境の島"密着500日』でこの島の揺れ動く現状を描いた。陸上自衛隊駐屯地が9年前に置かれて以降、ミサイル部隊の追加配備や駐屯地の拡張など強化策が次々と打ち出されている。軍事施設を抱えている沖縄各地で起きているのが、施設の是非をめぐる住民間の対立だが、この島でも新たな亀裂が深刻なのが悲しい。沖縄本島に暮らすぼくにとっても身近な問題で、勝連半島にも1年前に地対艦ミサイル部隊が配備されたばかりだ。沖縄に暮らすようになって、一気に物事が加速しているような気がする。
このことは、沖縄限定ではないことを、京都で痛感させられた。毎日放送の映像24『ミサイル弾薬庫がやってくる』(2024年12月22日放送)の舞台は、関西文化学術研究都市とニュータウンが広がる精華町にある自衛隊祝園(ほうその)分屯地。ここに弾薬庫が8棟新設されるのだ。格納されるミサイルは、敵基地攻撃能力を持つものだという。地域への説明も十分ではなく、住民の理解は得られていないようだ。つい最近、この町にある国立国会図書館の関西館に文献調査に行ったばかりだが、近くでこんなことが起きているなんて思いもしなかった。京都では舞鶴にも海上自衛隊の弾薬庫が新設されるらしい。息子が京都の大学で運動部の活動に励んでいるのだが、一緒に番組を見ながら、「試合に行くときに、ぼくが爆発に巻き込まれるかも」と呟いていたのが痛みとともに心に残った。そんなことがあっていいわけがない。
沖縄・京都だけでなく、ミサイル弾薬庫は全国で14カ所が候補地となっている。安全保障は、重要であるのは間違いないが、諸外国、そして地域と正面から向き合っての対話なしに軍備計画が先行していることには危惧をおぼえる。沖縄にいるのだから、のほほんとしているだけでなく、この大事な問題にしっかりと向き合っていこうとあらためて思う。
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『紅白』がいよいよ終盤になり、外に出てみると、満天の星がひろがっていた。乃木坂46の「きっかけ」のフレーズがリフレインし、己の心のなかに響いてきた......「決心のきっかけは 理屈ではなくて いつだってこの胸の衝動から始まる♪」。ぼくの前には希望と夢しかない、と思った。
こうして、新年に向かうカウトダウンとともに、旧舞台は幕を閉じ、新たなステージが始まった。
これから、己を見つめながら、沖縄の地からよろず時評を発信していきます。ゆたさるぐとぅ、うにげーさびら(よろしくお願いします)。みなさんに琉球の風をお伝えします。
※いずれもME:I「Click」より