【渡辺考の沖縄通信】第3回(特別編)映画『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督と語り合う 二人の県知事=チューバー(強者)の魅力と沖縄現代史

【渡辺考の沖縄通信】第3回(特別編)映画『太陽(ティダ)の運命』佐古忠彦監督と語り合う 二人の県知事=チューバー(強者)の魅力と沖縄現代史

ドキュメンタリー映画『太陽(ティダ)の運命』が3月22日に沖縄・那覇市の桜坂劇場で先行公開され、4月19日から東京のユーロスペースほか全国で公開される。沖縄県知事を務めた大田昌秀と翁長雄志両氏に光を当て、知事として何を目指し、何と闘い、何に挫折し、そして何を成したのか。そこから見えるこの国の現在地を問う作品だ。
TBSテレビと琉球放送との共同制作による本作。出発点は2022年、監督を務めたTBSテレビの佐古忠彦さんが取材活動を通じて日ごろから語り合ってきた琉球放送の仲間たちとの議論の中から企画が立ち上がったもの。構想段階から映画を共同制作するのは系列内で恐らく初めてという。 【渡辺考の沖縄通信】第3回は特別編として、佐古忠彦さんと渡辺考さんのお二人に同作について語り合っていただいた。(編集広報部)


渡辺 今回の作品は大変な力作で、いろいろ学ぶことも多かったです。沖縄の本土復帰後の県知事たちの歩みを通して沖縄の歴史を私自身が刻み直すことができて、大変貴重な2時間9分でした。佐古さんはこれまでに瀬長亀次郎さん(以下、カメジロー)と島田叡さんという、政治家のリーダーであるティダ(太陽:かつて沖縄で首長=リーダーを表した)を映画で描かれましたが、本作では大田昌秀さん(第4代沖縄県知事、任期は19901998年)と翁長雄志さん(第7代沖縄県知事、任期は20142018年)の二人の県知事にフォーカスされました。この背景を教えていただけたらと思います。

佐古 『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』で沖縄戦を見て、『米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー』で戦後史を見ました。カメジローが本土復帰運動の先頭に立ち、復帰にたどり着いたその先の世界、つまり現代史を取り上げたいとずっと思っていました。47都道府県知事の中でも一番特異な存在だと以前から思っていた沖縄県知事、その中でも全国的に記憶に強く残っているであろう大田知事と翁長知事を通せば現代史を見ることができる。それはほぼ、国と沖縄の"辺野古"をめぐる歴史(注1)だと思います。その起点が大田知事であり、辺野古の問題のはじまりである普天間基地について最初は県内移設をしようと先頭に立ち、その辺野古でとても苦悩しながら亡くなっていく翁長知事。この二人を通すと政治リーダーの姿だけではなく、沖縄県民の歩みが見える気がしていました。そして、この二人は激しく対立していたわけですが、行動がだんだんと重なっていきます。これは一体どういうことなのか。そこに至る人間ドラマにもぜひ注目してもらいたいと思いながらつくりました。

渡辺 大田さんと翁長さんの二人の相似性を感じてはいましたけれど、本作での緻密な描き方によって、その二人が重なり合っていくところがストーリーの白眉だと思います。私も実は2010年に1カ月半ぐらい大田さんに普天間問題の根底にあるものは何なのかを問い直す趣旨で密着取材をさせていただき、ETV特集『本土に問う~普天間移設問題の根底~』(2010年)という番組をつくりました。そのときに何より大田さんの人間的魅力にひかれて、大田さんを描きたい気持ちが取材の原動力だったことがはっきり記憶に残っています。佐古さんも大田さんの知識とウィングの広さプラス人間的魅力みたいなものを描きたかったのではないかと思いますが、翁長さんも含めてこの辺りはどうですか。

対談する二人.jpg

<映画『太陽(ティダ)の運命』を監督したTBSテレビ・佐古忠彦さん㊧と渡辺考さん㊨>

佐古 私は何かあると必ず大田さんに話を聞きたいと思っていて、知事を辞めて参議院議員になってからも議員会館にお邪魔してインタビューを取らせてもらったこともありました。お話を聞く中で常に出てくる言葉が「日本にとって沖縄とは何なのか」でした。いつも厳しい言葉を投げかけていたことが忘れられません。大田さんの人間性という点では、本作で描いている翁長さんが会いに来ても面会しなかったことも、すごく人間的だなと思います。この場面は見る人によって感想がさまざまあると思います。でも、政治のリーダーとはいえ、一人一人が本当に苦悩して苦悩して決断を下す。それが正しいこともあっただろうし間違いもあったかもしれないけれども、やっぱり人間が戦っているんだということが、翁長さんと大田さんを見ていて強く伝わってきます。その意味で、人間の感情も含めたドラマを見るような感覚で、ぜひ見てもらいたいと思います。自分だったらどうするか、それぞれの立場になって考えてもらえるような部分も本作の中にあると思います。

「チューバー(強者)」だった二人

渡辺 沖縄に住むようになって、大切だな、と強く思っているものに「チューバー」という言葉があります。「強者」という意味なのですが、知ったときにまず連想したのがカメジローさんでした。本作の大田さんも翁長さんもまさにチューバーです。自分の意思、信念を曲げずに人々の期待にしっかり応えて、民主主義の旗印を大事にしながら、自分を曲げずに走る。その執念みたいなものを作品を通して感じ、チューバーの魅力を再発見する作品でもあると思いました。リーダーである人たちは信念を貫かなければいけない。でも、信念を貫くということは何かとぶち当たって矛盾の中に陥っていくことにもなる。まさにがんじがらめの中にチューバーたちが突き進んでいく、その苦悩たるものはいかほどだったのか。本当に深い深い簡単には解決でないものと格闘した男たちのある種の美しさを感じました。チューバーが沖縄を見つめるときのキーワードの一つだと私は思っていて、沖縄には言葉と信念を守っている人がいる。チューバーが沖縄の魅力だということも、この作品を通してあらためて感じました。

佐古 本作に出てくる大田さんの「法的に負けたってくじけることはないんだ」という発言は、まさに翁長さんのお尻をたたいている感じで、面と向かっての直接の和解はなかったかもしれませんが、ああいう形でメッセージを送り合って魂が触れ合った瞬間があったのではないか。それは共通する信念を持ったチューバーの生き方の一つのようにも感じられます。この二人に限らず、保守から出た人も革新から出た人も、ものすごい苦悩の中で国と対峙しなければならないのが沖縄県知事で、方法論は違っても目指すところは一緒だとよく言われますが、異なる立場の出身でもだんだんと言動が重なっていくことの意味をどう考えるのか。例えば翁長さんがオール沖縄を結集して知事選に出馬した時、変節したのではという指摘もあった。いろいろな見方があると思いますが、私は翁長さんの中にはもともと変わらないものがずっとあったんだと思います。一方で、仮に変わったのだとしても、それがいけないことなのかという疑問もあります。そして、変わらざるを得ない状況を誰がどう生み出したのかということに視点を置くべきでしょうし、復帰前も復帰以降も含めて国が沖縄に対してどのような向き合い方をしてきたのかということの答えがそこにあるのではないかという気がしています。翁長さん側からしてみれば、県外移設でまとまっていたのに変節したのはどっちなんだ、という思いがあったはずです。

渡辺 2022年に沖縄の本土復帰50年番組の取材で稲嶺惠一さん(第5代沖縄県知事、任期は19982006年)に会ったとき、私が前述の『本土に問う』のディレクターだと気づくと、あの番組での大田さんとの対談はありがたかったと言うんです。稲嶺さんは、大田さんを破って初当選して以来、大田さんと会っていなかったから、きっかけが欲しかったと。対談以来、大田さんと普通に対面できるようになったそうで、番組取材が雪解けをアシストしたみたいなことがあったので、本作を拝見して他人事とは思えませんでした。翁長さんは知事就任から時間がたつにつれ、言動が大田さんにそっくりになりますが、大田さんに対してノーと言っていた人がどうしてこうなったのか。そこには二重三重に鎧があるけれど、その根底の部分は変わっていなくて、生身になれば大田さんと同じ。そして、チューバーなんだと分かる。ここが作品中、一番感動を呼ぶと痛感しました。

佐古 ありがとうございます。やっぱり答えはそこだと思います。行政官としての立場と、民意を背負った政治家としての立場のはざまに立った人がどうすべきなのか。この揺らぎは、大田さんだけではなくて現職の玉城デニー知事(2018年~)に至るまで皆同じで、その一番際どいところに立たされたのが大田さんと翁長さん。どういう決断をしても、あの立場に立った人の苦悩はあっただろうと思います。

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<本土復帰後の歴代沖縄県知事たち>

エンディングに込めたメッセージ

渡辺 本作では基本的に事実を淡々とトレースしていく形で、あまり主観を加えずに事態の推移をしっかりと描いていて、佐古さんの色が出ていない印象です。でも、大田さんと翁長さんの関係でストーリーが立ち上がり、それまで冷静に冷静に描いていたけれど、最後に佐古さんのメッセージがぎゅっと凝縮されています。あえてそういう構成にされたのだと感じましたが、いかがですか。

佐古 私たちメディアに携わる者には、ものをつくることによって考えたり議論したりする材料を提示するという大きな役割があると思います。だからこそ、一番気をつけなければいけないと思うところでもあります。映画をつくるようになってからは、映像から自分の存在を消す方向を意識して、なるべく主観を排除しているつもりではあります。ただ、いつも議論になりますけど、それを取り上げていること自体に主観が入っていると思いますし、それがいけないわけではないと思います。本作のエンディングは、ちょっと強過ぎたかなとも思いますが、もう一度考えてほしいという意味で投げかけました。今言うべきことは何だろうか、30年積み上げてきた中で何を言うべきだろうか、と考えた末の最後のメッセージと言えると思います。

 筑紫哲也さんが沖縄に植えたものと沖縄の叫び

渡辺 作品中に筑紫哲也さん(注2)の姿が時々出てきます。筑紫さんの言いたかったことを代弁されているようにも感じましたし、筑紫さんの姿を消さないようにあえて映し出していると強く感じました。"筑紫さんがもしも今いたら"という気持ちが入られていたと思いますが......。

佐古 それはもう筑紫さんが亡くなってから常々思っていることで、この思いが年々増していくところもあります。本作のストーリーを考える中でも、大田知事が1996年に公告縦覧代行を応諾するところを振り返りながら、筑紫さんが、この出来事にどのようなメッセージを出していたのか、当時の『筑紫哲也NEWS23』(以下、『23』)を見直したら、その日の「多事争論」コーナーで懸念を示していて、その予言的な内容に圧倒される思いがしました。筑紫さんの懸念がその後どんどん現実のものとなり、「だますな!」という一言は非常に象徴的な言葉だと思いました(㊦画像)。その後の沖縄と国の関係を見ていけば、全てにあの日の「多事争論」が当てはまるのではないかという気がします。

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<1996年9月13日放送のTBS『筑紫哲也NEWS23』から>

渡辺 沖縄に住んでいると、多くの人が今でも筑紫さんのことを語りますし、筑紫さんが植えたものは大きくて、まだまだ沖縄にちゃんと残っている気がします。そして、佐古さんも自分の種をまいているような気がします。

佐古 筑紫さんの足元にも及ばないですけど。沖縄に行っていろいろな人と会うたびに筑紫さんの名前がよく出てきますね。復帰前の沖縄の特派員だったときに、623日という自分の誕生日が慰霊の日だと知ってから自分の誕生日を祝えなくなったと筑紫さんは言っています。そのときからの筑紫さんの沖縄に対する思いはずっと根底にありました。本作のチラシやパンフレットにも載せている筑紫さんの「沖縄に行けば日本がよく見える」という言葉があります。まさにその言葉に今もって突き動かされているというか、背中を押してもらっている感じがすごくします。だから、筑紫さんに常に伴走してもらっているような感覚がありますね。

渡辺 見ていて、それはすごく感じるところでした。一方で、政治イシューというか、基地の問題を取り扱ううえで、制作上の悩みや葛藤があったと思いますが、どうですか。

佐古 確かに安保とか地位協定の話をするとイデオロギーとして捉えられてしまうけれど、そうではなく、沖縄の人にとっては生きることと密接につながっているんです。だから、これは単なる政治イシューではないという視点をずっと持っていたい。一人一人の生活に関わる問題であるということを本当に考えたいです。なぜ沖縄から声を上げるのか、その背景や理由はちゃんとあって、そうした歴史認識とか、事実認識みたいなものを共有すれば、また違ったものの見方ができるのではないかと思いますし、それをいかに伝えることができるか。私が伝えたもの一つ一つは点でも、この点を例えば本作のように30年の1本の線に乗せてつなげてみると背景が見え、今につながる答えに通じるところがありますので、そういうものの捉え方、伝え方にもっと力を入れたいと感じます。

渡辺 わが身を預けながら鑑賞できたと感じました。それは内地からの目線ではなくて、沖縄の叫びを知事を通して描いているからだと思います。放送だと、国の方針をはじめほかの視点も入れてバランスを取ろうとするので、もしもそのようにつくっていたらかなり違った作品になってしまう。佐古さんの目を通した沖縄の側からの発信が強く感じられて、そこが沖縄に暮らす者として作品に入っていきやすいし、その中にずっととどまっていられました。 

理不尽や不条理を取り除くには

渡辺 佐古さんの心にある沖縄への気持ち、佐古さんの中での沖縄とはどういう存在なのか、あるいは、ご自身の中でどういう位置付けなのでしょうか。

佐古 地位協定の理不尽さを感じたところから沖縄との関わりが始まったと思いますが、とにかく理不尽とか不条理という言葉が出てきます。一方で、民主主義を諦めず、そのありようを常に問うている場所です。自分が沖縄に行くのは、こちらにいては見えないものが見えてくる、そういうところがあります。だから、不条理のない沖縄にどうすればなるのかということと、多数決において、つまり民主主義の名において沖縄が常に割を食うことへの疑問。この理不尽な形を支えているのが、この国の民主主義でもあります。私たちがものをつくったところで、その温度差や溝が埋まることにはなかなかならないとしても、そこを少しでも考えられるものに結びつかないだろうかという思いはずっと持っています。

渡辺 本日はいいお話を聞くことができました。ありがとうございました。

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<佐古忠彦さん㊧と渡辺考さん㊨>

(2025年3月11日 民放連会議室にて)

注1 1995年9月に起きた米兵少女暴行事件をきっかけに高まった米軍基地の整理縮小を求める声に対し、日米両政府は1996年4月、普天間基地の5年から7年以内の返還で合意した。普天間基地の代替施設は、海上ヘリポート基地を名護市辺野古沖に建設する案が有力となったが、1998年2月に大田知事は受け入れ拒否を表明。その後の知事選で大田知事を破って就任した稲嶺知事が、99年11月に辺野古沖への移設を条件付きで受け入れ表明した。2006年、小泉政権が米軍再編に伴い、キャンプシュワブ沿岸部を埋め立てる新たな計画で米政府と合意、沖縄県の反発を買う。日本政府は、99年に地元の合意を得たとしているが、沖縄県は受け入れの条件は白紙にされ、新たな日米合意案は容認できないという立場。

注2 筑紫哲也(ちくし・てつや):ジャーナリスト、ニュースキャスター。1935年、大分県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社入社、ワシントン支局長、『朝日ジャーナル』編集長などを務める。89年に朝日新聞社を退社し、TBSの報道番組『筑紫哲也NEWS23』キャスターに。2008年逝去。

※映画『太陽(ティダ)の運命』最新の上映情報はこちら(外部サイトに遷移します)。
監督:佐古忠彦
撮影:福田安美、音声:町田英史、編集:庄子尚慶、語り:山根基世
音楽:兼松衆 阿部玲子 澤田佳歩 佐久間奏 栗原真葉 三木 深
選曲・サウンドデザイン:御園雅也
音楽制作プロデューサー:水田大介
音響効果:田久保貴昭
プロデューサー:小濱裕 嘉陽順 嘉手納央揮 米田浩一郎 松田崇裕 津村有紀
テーマ曲:「艦砲ぬ喰ぇー残さー」 作詞・作曲:比嘉恒敏
劇中歌歌唱:でいご娘 / エンディングテーマ演奏:辺土名直子
2025/日本/日本語 カラー(一部モノクロ)ビスタ/5.1ch/129分】
琉球放送創立70周年記念作品 制作:琉球放送 TBSテレビ 配給:インターフィルム
©2025 映画「太陽の運命」製作委員会

※このほかの【渡辺考の沖縄通信】はこちらから

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TBSテレビ 報道局「報道特集」特任プロデューサー
佐古忠彦(さこ・ただひこ)
1988年、東京放送(現TBSホールディングス)にスポーツアナウンサーとして入社。スポーツ中継・スポーツニュース番組を担当した後、1994年報道担当に。1996年から『筑紫哲也NEWS23』でキャスターを務める傍ら、ディレクターとして沖縄、戦争、基地問題などを主なテーマに特集制作。2016年『米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか』でギャラクシー賞奨励賞。追加取材を経た劇場用映画初監督作品『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017)で文化庁映画賞文化記録映画優秀賞、米国際フィルム・ビデオフェスティバルドキュメンタリー歴史部門銅賞、日本映画ペンクラブ賞文化部門1位など受賞。続編となる『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』(2019)で平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞受賞。2021年『生きろ 島田叡‐戦中最後の沖縄県知事』。近年は『報道特集』で沖縄、戦争、政治などを主なテーマに特集制作を続けている。20247月、今作との連動作品『沖縄県知事 苦悩と相剋の果てに』(琉球放送)を制作した。著書に『米軍が恐れた不屈の男 瀬長亀次郎の生涯』(2018年、講談社)、『いま沖縄をどう語るか(共著)』(2024年、高文研)。

 映像ジャーナリスト・作家
渡辺 考(わたなべ・こう)
1966年東京都生まれ。1990NHK入局、2021年から2024年沖縄放送局。ETV特集『シリーズBC級戦犯~韓国・朝鮮人戦犯の悲劇~』、同『もういちどつくりたい~テレビドキュメンタリスト木村栄文の世界~』、NHKスペシャル『学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇~』など、多くのドキュメンタリーを制作。著書に『沖縄 戦火の放送局』(大月書店)、『どこにもないテレビ』(かもがわ出版)、『戦場で書く 火野葦平のふたつの戦場』(朝日文庫)など多数。最新著『ディープ・オキナワ』(かもがわ出版)。

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