東日本大震災から13年 「どこでも起こり得る」を意識/教訓や備えを伝える

編集広報部
東日本大震災から13年 「どこでも起こり得る」を意識/教訓や備えを伝える

東日本大震災発生から今年で13年が経過した。岩手、宮城、福島の各局は3月11日を中心に、震災関連の特番や特集を放送。今一度"備え"を呼びかけたほか、能登半島地震を受けた企画も見られた。民放onlineはその一部を紹介する。


教訓伝える

岩手朝日テレビはテレビ朝日系「テレメンタリー」で『命を守る言葉』(=冒頭写真)を放送した(同局では3月9日16・00―16・30)。当時、津波襲来時に避難を呼びかけた同局の山田理アナウンサーがディレクターを務め、緊急放送を担うアナウンサーたちの葛藤に迫った。山田アナは当時の呼びかけについて「多くの人が逃げ遅れ命を落とした。テレビは役に立たなかったと、罪悪感のようなものを感じた」と振り返り、「次は、どうやって逃げてもらうか」をテーマに番組を制作したという。テレビ朝日の山口豊アナやNHK神戸放送局の横尾泰輔アナ、サンテレビの藤岡勇貴キャスター、北陸朝日放送の牧野慎二アナらを取材。山田アナは「取材を進めると、まだまだ自分の取り組みが足りていないと感じた。震災を知らない後輩アナウンサーや、報道に関わる局員と一緒になって、もっと考えていく必要性を感じた」とコメントした。

ミヤギテレビは3月11日、報道特番『つなぐ~東日本大震災13年~』(10・25―11・25)を放送。「東日本大震災の教訓は能登半島地震に活かされたか」をテーマとし、同局の柳瀬洋平アナウンサーが能登半島で現地取材。東日本大震災当時の映像や報道が教訓となり、命を守る行動ができたという被災者の声を拾った。能登半島での取材を担当した報道制作局の坂上誼光氏は「過去の被災地から教訓を発信することが、次の被災地の命を救うことにつながる。地域を飛び越えた伝承の"リレー"が災害に強い国を作っていく」とコメントし、「東北からの発信も、その背中を押せるような報道を心がけていきたい」と意気込む。

ラジオ福島は3月10日、『3.11特別番組「ともに、あしたへ。」』(13001500)を組んだ。これまで番組などを通じて出会った人々の現在とそれぞれが想い描く「これからのふくしま」について取材。県内外に震災の教訓を伝える活動に取り組む大学生や、南相馬市と東京杉並区の子どもが歌と踊りを通じて交流を深める「トモダチプロジェクト」を立ち上げた狩野菜穂さんなど、さまざまな形で震災と向き合う人々の想いを聞いた。また、山村武彦・防災システム研究所所長が出演し、「災害はいつでもあると思ったほうがいい」と呼びかけ、普段から心と身の回りの準備をしておく必要性などを伝えた。なお、11日には各ワイド番組で復興祈念式典の中継や各地の声、北陸放送とつなぎ、石川県の現状などを伝えた。

東日本放送は「テレメンタリー」で『100人の証言 命をつなぐ津波避難』を放送した(同局では3月11日、15・55―16・30)。震災伝承団体「3.11メモリアルネットワーク」が、東日本大震災の大津波で多くの人が犠牲となった宮城県石巻市の100人に、当時の避難行動について聞き取り調査を実施。その結果をもとに制作した避難行動の再現CGや住民らの証言から、命を守る避難行動を考えた。ディレクターを務めた鈴木奏斗アナウンサーは「自分のこととして捉えてもらうために、誰もが当時を想像できる番組を目指した」と振り返る。逃げ遅れてしまった人の状況や心理状態を詳細に描くことや、没入しやすい映像づくりを目指した。見やすさにもこだわり、避難行動CGの配色はバリアフリーを意識したという。また、番組で実際の津波の映像や再現CGを使用したことについて視聴者から反響があり、鈴木氏は「命を守るために見せるべき映像だと改めて感じた」としている。

エフエム岩手は3月11日、『未来へつなげるRADIO』(13301555)を編成した。2012年から毎年放送しており、今年は能登半島地震を踏まえ、常に備えておくことの大切さをリスナーに伝えた。エフエム石川の木村雅幸アナウンサーと電話をつなぎ、発災当時や近況の報告を聞いた。木村アナは岩手からできることとして「能登のことをイメージしてほしい」と呼びかけた。また、若者世代が取り組む防災活動を伝えるべく、「山田町津波碑ガイドマップ」を作成した山田高校の生徒にインタビュー。作成の際にこだわったポイントや自身の被災経験などを振り返り、生徒たちは「大災害は昔からあったし、これからもあるかもしれないと伝え、少しでも被害が減らせればと思う」と語った。

当時子どもだった人のいま

福島テレビは3月11日、『テレポートプラススペシャル 学びを未来へ―震災から13年』(16501900)を放送。当事者たちの言葉を伝え、今後起こりうる災害から命を守るための"学び"にすることを目指した。津波で家族を亡くした遺族の言葉をすくい上げたほか、当時を知らない小学生が災害を学び、防災イベントを開催する姿などを取材。また、福島県大熊町に2023年4月に開校した「学び舎ゆめの森」を特集。小学6年生の時に被災し、同学校に「先生」として戻ってきた同町出身の新妻詩織さんを取材し、"地元出身の自分だからこそ子どもたちに伝えられること"を考える姿を伝えた。番組を担当した平岩岳・報道部担当部長は「さまざまな言葉から、明日からの福島を考え、未来につなげたかった」と振り返る。

岩手めんこいテレビは平日の夕方ワイド『mitライブニュース』でシリーズ企画「震災13年 未来へつなぐ」を3月4―8日と11日に実施。どこでも起こり得る震災の教訓を届けた。5日には、東日本大震災の津波で両親を失った及川晴翔さんが、今年1月に地元である岩手県陸前高田市で行われた二十歳のつどいに出席した模様を取材。当時6歳だった及川さんを避難所で取材したことをきっかけに継続的に取材。育ててくれた祖母・五百子さんや支援してくれた人々へ感謝を伝える様子を伝えた。また、当時中学2年生で現在は釜石市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の職員である川崎杏樹さんが教訓を語り続ける姿を取り上げた特集のほか、語り部活動をしている10歳や活動に向けて準備している13歳の想いを届けた。

日本テレビ系「NNNドキュメント」では3月10日、テレビ岩手ミヤギテレビ福島中央テレビが共同制作した『東日本大震災13年 生きる支え 私のこれまでとこれから』(24・55―25・50)を放送した。震災当時は子どもだった20代の3人に各局が取材し、それぞれの"生きる支え"を探った。テレビ岩手は、当時津波で祖母が行方不明となり、「未来の命を守りたい」と警察官として歩み出した海藤成樹さんを取材。ミヤギテレビは、妹を亡くし、その悲しみや苦しみを話せなかった西城楓音さんが、20歳となり語り部活動を始めた姿に迫った。福島中央テレビでは、福島第一原発がある大熊町出身の小泉良空さんにフォーカス。原発事故で一時は住めなくなった故郷に戻り、隣接する双葉町のまちづくり企業で働き始めたきっかけや想いを聞いた。

復興の現在地

東北放送は3月11日、報道特番『"宝物"のレシピとともに~気仙沼83歳の洋菓子職人~』(16・20―16・50)を組んだ。宮城県気仙沼市魚町で45年以上続く洋菓子店「ブリアン」の店主・千葉秀男さん(=写真㊦)に焦点を当てた。東日本大震災の津波で店は全壊して廃業の危機を迎えたが、瓦礫から見つかった"手書きのレシピ"をきっかけに、2012年10月に店を再開。そんな千葉さんが作るお菓子が地域にもたらすもの、80歳を超えても厨房に立ち続ける原動力とその職人人生に迫った。2012年に取材したことをきっかけに千葉さんや店の人々と交流を続けてきたのは小笠原悠ディレクター。「千葉さんが大切にしているのは、地元の人たちに『合う味』を作ること。街並みが変わり続ける気仙沼で"同じ場所"に"変わらない味"があることが地域の人たちのいやしであり、活力になっていると通うたびに実感した」と振り返る。

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TBSテレビ系の「ドキュメンタリー『解放区』」でテレビユー福島が制作の特番『ある家の記録 ~帰還困難区域 浪江町赤宇木~』(同局では3月10日24・55―25・55)を放送した。帰宅困難区域内の現状や、住宅の解体の実態を伝えた。福島県浪江町赤宇木集落の中心にあり続けた今野家にフォーカス。家族の「家の最後を自分の目で見届ける」という想いが果たされず、実施日が通知されないまま解体されてしまったことを伝え、"家"や"地域"とは何かを考えた。同局では昨年9月に同特番のベースとなる番組を放送。その内容を受け、環境省が「住民の希望があれば解体日を通知する」と方針を改めたことも伝えた。ディレクターを務めた木田修作氏は「同じように帰宅困難区域で自宅の解体に立ち会うことを希望する住民から感謝の言葉や手紙をもらった」と反響を語る。

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