【対談 テレビ静岡・橋本真理子さん×放送作家・石井彰さん】民放連賞テレビグランプリ 25年の取材を通じて伝えたかったこと

編集広報部
【対談 テレビ静岡・橋本真理子さん×放送作家・石井彰さん】民放連賞テレビグランプリ 25年の取材を通じて伝えたかったこと

2023年日本民間放送連盟賞(民放連賞)でテレビグランプリに輝いた『テレビ静岡55周年記念「イーちゃんの白い杖」特別編』(以下、『イーちゃん』)は、テレビエンターテインメント番組最優秀に加え「放送と公共性」でも最優秀を獲得し"3冠"に輝いた。25年にわたり「イーちゃん」こと小長谷唯織(こながや・いおり)さんとその家族を描き続けたのはなぜなのか、この番組を通じて何を伝えたかったのか――『イーちゃん』の監督を務めたテレビ静岡・橋本真理子さんと放送作家で民放連賞の審査員を務める石井彰さんとで対談していただいた。


石井 民放連賞でテレビグランプリを含め3つの賞を受賞され、おめでとうございます。

橋本 ありがとうございます。私、この仕事を始めて30年たちますけど、じつは民放連賞は初受賞なんです。番組部門テレビエンターテインメント番組と特別表彰部門「放送と公共性」にエントリーして、どちらかだけでもという思いで挑戦させてもらいました。「放送と公共性」は、25年間こつこつやってきたことが、もしも評価されたらありがたいなという思いでした。リモートでのプレゼンによる審査は、イーちゃん(小長谷唯織さん)本人と一緒に臨みました。その日はたまたまイーちゃんのあんまマッサージ指圧師の仕事がお休みだったんです。今回受賞して、もちろんイーちゃんの家族は喜んでくれましたけども、どちらかというと同業者からのよかったねという声のほうが多いですね。

石井 グランプリの候補8作品に選ばれたときにどう思いましたか。

橋本 候補に選ばれただけで幸せで、まさかグランプリに選ばれるとは思っていなくて、表彰式ではのんびり構えていたので本当に意外でした。

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エンターテインメント番組にエントリーした理由

石井 私は、民放連賞の関東・甲信越・静岡地区のエンターテインメント番組の審査を担当したのですが、審査の場で『イーちゃん』について、これは教養番組ではないか、報道番組ではないかという意見が審査員から出ました。私は、その場で参加種目は「エントリーした人が決めるもの」と整理しました。そして、このことから"障害者を取り扱った番組は教養番組だ"という、ステロタイプの思考があぶり出されたとも思いました。私は障害者が出演するエンタメ番組があって当然だし、むしろそれが望ましいと思っています。報道は時事的なもの、教養は障害者や戦争、エンターテインメントはクイズ、バラエティという、いつの間にか固定化・硬直化した価値観が審査する側にも出来上がっていて、そこに橋本さんが見事に矢を放ってくれたと思い、その面でも拍手喝采を送っています。

橋本 イーちゃんを描いたテレビドキュメンタリーは今回が3本目になります。1本目(『イーちゃんの白い杖~100年目の「盲学校」~』)は1999年で報道番組にエントリーし、2本目は2010年で教養番組でした。1本目のときは、まだ入社5年目だったので、エントリー先は上司が決めているところもあり、内容というよりも私が報道部だから「報道番組」に出品したのだと思います。2本目は教養かなと自分で思いました。その番組(『いおりといぶき~私たちが生まれた意味~』)はイーちゃんと2歳年下で重度の障害がある弟・息吹(いぶき)君との絆をテーマにつくりましたので、真面目さも保ちつつ、皆さんに知ってもらいたいという意味で教養番組にエントリーしました。2018年に映画化し、みんなに楽しんで見てもらいたいという狙いがあったので、その段階でエンタメという認識が自分ではありました。

石井 観客動員数はどのぐらいなんですか。

橋本 およそ2万人になります。映画館は全部で12館ですが、どちらかというと自主上映会の方が多くて全部で50カ所になります。公民館や大学などで見てもらいました。コロナ禍に入り、自宅で見たいという人も多くなり、DVD化したり配信したり、という形もとっています。

2018年に映画にしたのは、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件がきっかけでした。あの事件で、特に息吹君のような重い障害のある方々は生きている意味がないみたいなことを犯人が言い、それに同調するようなSNSも拡散されました。ずっとイーちゃん家族を取材してきたけれど、何も伝わっていなかったんだなと、正直に言うと無力感にさいなまれました。自分にこの仕事をやっている資格があるのか、とまで考えたんです。

確かにそれまでイーちゃんの番組を2本放送しましたが、テレビ静岡では昼間に放送していても、全国放送するのは夜中。あまり見られていないということは自分でも分かっていて、もっともっとみんなに見てもらわなきゃいけないと感じていました。いい時間に放送するには壁がありますが、東海テレビがテレビドキュメンタリーを映画化したこともあり、映画にするのが全国に届ける一番の近道じゃないかと考え、会社にお願いし続けました。映画にすると採算が求められますが、2018年がテレビ静岡の開局50周年で、ここしかないと思い、社内の企画募集に応募すると、「50周年記念だからもうからなくてもいいじゃないか」と応援してくれる先輩たちもいて、社会奉仕としてやったらいいじゃないかということで映画化できたという経緯があります。

遠くから見守る時期も

石井 ドキュメンタリー制作者で長年取材される方だと、同じ取材対象で4本も5本も番組をつくる制作者もいます。でも、『イーちゃん』は25年間でテレビドキュメンタリー3本と映画1本。少ない気がします。

橋本 そうですね。1本目の番組の後に、彼女も大変な思いをして、いじめにあったり、出会ったころの笑顔がなくなったり......。彼女がどこへ向かうのか私自身も分からなくなっているときが長かったんです。だんだん笑顔がなくなり、習っていたピアノもやめたくなって、しまいにいじめを受けて、何事も嫌になって、彼女は目標がなくなったんですよね。私もどこへ向かっていいのやらと、迷走しました。

特にイーちゃんが中学生のときです。水泳もピアノもやる気がない。私も「頑張れよ」と内心では思ったんですけど、お母さんみたいなことを言うと多分追い込んでしまいますので、我慢しながら。頻繁に取材には行かず、もちろん電話やメールでやり取りしてましたけど、ちょっと距離を置きながら見守りました。当時、辻井伸行さんがピアノで成功した出来事がありましたので、辻井さんのCDを持っていくとイーちゃんに「橋本さん、こうなれと言っているでしょう」と言われ、こちらの思いがバレているな、みたいなこともありました。

石井 勘の鋭い人ですね。

橋本 そこでけんかになるわけですよ。取材するとかされるとか関係なく、言い合いになったりして。でも、そこを乗り越えたから本音で話しができるようになったのかなという気はちょっとしています。そこで、イーちゃんを被写体としてずっと追うのではなくて、息吹君を追いつつイーちゃんも見ていく形に変えたんです。不思議なことに、イーちゃんが具合が悪いときは息吹君も具合が悪くなるんですよね。入退院を繰り返す息吹君を追いながらイーちゃんを遠くで見るような形にしました。

石井 なるほど、1本目と2本目の間の11年間は、遠くから見守っている時期だったんだ。

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私がいただいたものを視聴者に届けたい

石井 障害者の方をカメラ越しに見つめてきたわけですが、橋本さんご自身は今どんなことを考えていますか。

橋本 私の父も中途障害者です。私が小学校4年生のときに口腔がんになり、何とか命は取り留めたんですけど、舌を切り、歯を抜き、言語障害になったんですね。食事も困難になり、味覚もなくなりました。公務員で障害者の就職をあっせんする仕事をしていたので、しゃべれなくなったことでそれもできなくなった。顔も変形してしまい、人生が嫌になり、引き籠もるようになって、もう生きるのが嫌みたいになったんですよね。

何とかしたいという思いもあったものですから、大学で養護学校(現在の特別支援学校)の教員免許を取ったうえでマスコミに入って、障害者に関する番組をずっとつくりたいと思っていました。マスコミに入る前からの思いです。ですので、初めてイーちゃんを見たときに、この家族にはカメラが入れるかもしれないと感じました。ものすごく明るい子で、一緒に話をしていて思わず笑っちゃったんです。ああ、一緒に笑える子なんだ、この子は、という思いがあって。

石井 大事ですね、一緒に笑える子。

橋本 父はそこから25年生きて、息吹君と同じように毎年手術を受けていたので、私にとって息吹君と父は重なっていたと思います。自分が父の看病にめげるときがあるんですよ、疲れて。でも、そういうときに小長谷家に行き、特にお母さんに会うと、あの2人を育てながら仕事もしているパワフルな姿を見て、自分の甘さをすごく痛感したんです。駄目になりそうなときに小長谷家に行っていました。だから、正直に言うと取材に行っているというよりは、元気をもらいに行っていました。

なので、あの家族が取材対象というよりは、私にとっては元気の源というか、本当にいろいろなものをいただいていた。映画にするとき、自分がいただいた元気や勇気を観客の皆さんに感じてもらえばいいな、とちょっと視点を変えたことがエンタメになったんだと思います。それまでは、あれを言わなきゃ、これを言わなきゃ、社会の問題点を言わなきゃと考えて番組をつくっていたんですよね。それがある意味で邪魔していたんじゃないかと反省し、もっと素直になろうと思ってつくったのが3本目の番組なんです。自分が感動した場面の映像を軸に構成し、自分の感じたままを展開していこうと、今までとは少し構成を変えたところがあります。

石井 イーちゃんは、うまくいかないことがあると立ったままくるくる回転する。それを家の外から2階の部屋を撮った映像がありました。あのカメラマンはすばらしい。

橋本 ずっと一緒に取材してきたのは社員のカメラマンで杉本真弓さんといいます。私の高校の同級生なんですよ。

石井 ところで、何らかの障害なり病気を持っている取材対象者と付き合うと、途中でフェイドアウトできないですよね。

橋本 イーちゃんが悩んでいるころも取材は続けていたので、私も杉本さんも「一体どこへ行き着くんだ」と思っていましたね。私が行くと言ったら一緒に撮影に来てくれましたけど、彼女もどう撮っていいか分からないときもありました。イーちゃんに、幼いころの笑顔が戻るまではやめないと自分では決めていたのですが、本当の笑顔が戻ったのは結婚することになる彼氏と付き合ってからですね。

イーちゃんが彼氏を紹介してくれたときの笑顔がすごくよかったんですよね。これは本当にいい彼氏なんじゃないかということで、その日は相手も初めてですからカメラを持たずに行ったんです。バス停で待ち合わせをして、遠くから2人で杖をついて、にこにこしながら歩いてきたんですよ。昔の笑顔が戻っていて、もうそれを見たら涙が出ちゃって。このシーンを杉本さんに撮ってもらわないといけないと思って、その日に彼の家でテレビ取材について話しました。「イーちゃんとお付き合いすると、もれなくカメラが付いてきます」と言うと、彼はしばらく考えていましたけど「大丈夫」ということでした。

障害者はかわいそうでもなければ弱くもない

石井 障害者の番組をいくつか自分もつくってきたし、たくさん見てきたけれど、頑張っていない障害者はいけないの?といつも思っているんです。私の兄はパーキンソン病で亡くなった。障害者の生活を近くで見ていたからかもしれないけれど、障害者だってサボる時があっていいですよね。

橋本 本当におっしゃるとおりで、障害者は何でいつも頑張らなきゃいけないんだと思うんですよね。健常者を基本に今の社会は考えているので......。そもそも弱者ということもおかしな話で、あの人たちは強いですよ、本当に。息吹君は、もちろんトイレも行けないし自分でご飯も食べられませんけど、これまで手術を何十回受けても生きていて、こんな鋼鉄のように強い子はいないんじゃないかと思います。

私たちは、必ず障害者になると思います。いずれ視力が落ち、腰が曲がり......。イーちゃんも息吹君もそれが早まっただけで、あの子たちは生きるすべを小さいころから学んできているから、生きていける。電気が消えて真っ暗な中でもイーちゃんは平気で生活できるので、私たちより強いですよね。だから、彼女たちをかわいそうだとか、つらいだとか、その見方がそもそもおかしな話であって、障害者を取材する、撮るということは、かわいそうな姿を見せるでしょうって、その感覚がまず違う。イーちゃんも悩んだし、苦しんだし、いじめも受けたし、同じでしょう、私たちと。そういう視点を持たないと。感動ポルノという言い方も、弱者という言い方も、なくすべきじゃないかなと思います。

石井 お父さんのことで、橋本さんご自身も嫌な思いをされたでしょう?

橋本 しました。父は仕事ができなくなって、隅に追いやられるようになって。でも、できることってあるじゃないですか。例えば、父はすごく字が上手だったので、書くことはできるし、仕事を続けられると私は思っていたんですけど、周囲はそうは見ない。できなくなったよね、というレッテルを貼る。でも、イーちゃんができることもあるし、息吹君だってもちろんできることがある。しゃべれたり、楽しませたりする。だから、もう少しできることに目を向けたら違うんじゃないか、と。障害者になると全て終わるみたいな考えは、父のためにも変えなきゃいけないと、子どものころからずっと思っていました。

石井 橋本さんのしなやかな強さの根っこの部分が伝わってきました。

橋本 一番最初にイーちゃんの取材に入るとき、先輩からはずっと「障害者を撮るな」と言われていました。どう撮ってもかわいそうになっちゃうと言うんです。最初のころに関わったベテラン編集マンからは「障害者の番組はどうやってつなげばいいか分からない」と言われました。でも、イーちゃんの面白さとか、屈託のないかわいさを見ていたら考えが変わったと言っていました。「この子めちゃめちゃかわいいし、面白いよね」と。メディア側の考え方を変えなければ、ということを意識しました。

石井 すばらしい番組は編集マンも制作者も変えるし、視聴者をも変えると思います。

橋本 映画を公開したときにはその方は退職されていたんですけど、見に来てくれて、関われてよかったと言ってくれました。この番組を、そして映画を作ってよかったと思いましたね。

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2024年1月23日 民放連会議室にて収録)


テレビ静岡 報道制作局長兼情報ニュース部長
橋本真理子(はしもと・まりこ)
1970年静岡県御殿場市生まれ。93年テレビ静岡入社。受賞作に『こちら用務員室―教育現場の忘れ物―』(FNSドキュメンタリー大賞)、『いのちの乳房―再建に挑んだ女神たち―』(科学技術映像祭・文部科学大臣賞)などがある。

 

放送作家
石井 彰(いしい・あきら)
1955年生まれ。ラジオ・テレビで数多くの番組を企画構成し、日本民間放送連盟賞番組部門ラジオ教養番組最優秀、放送文化基金番組部門ラジオ番組優秀賞などを受賞。立教大学兼任講師。

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