昨年末から、コミュニティFMの明暗を物語るニュースが飛び交っている。
「明」は、すぐにピンと来た方もおられよう。1992年12月24日にコミュニティFM第1号として開局した「FMいるか」(函館市)が、めでたく30周年を迎えたことだ。同時に日本のコミュニティFMが、30歳になったことになる。
FMいるかは、函館山ロープウェイ株式会社が経営する。その社長・会長を務め、FM開局の中心人物となった西野鷹志さんからかつて聞いた開設の裏話を思い出す。88年に青函トンネルが開通するのをにらんで、ロープウエーを大型化した。次にどんな手を打つか。遊びに行ったアメリカ西海岸でヒントを見つけた。クラシックやジャズなど、専門分化したFM局がたくさんある。バラック造りで、看板や番組表も手書き。数人が交代しながら自分でレコードを回し、放送している。「これを函館でやろう!」。時代の風は先駆者の背中を押す。92年、ほぼ市町村を放送圏とする「コミュニティ放送」が制度化された。それを待っていたかのように、FMいるかが産声をあげた。
開局30周年は、かつてない賑やかさで盛り上がった。12月23日から25日までの3日間を「街ing(マッチング)3days」として、開局30周年特別番組を放送。番組ごとに「街ing」テーマを決め、メインパーソナリティ2人の掛け合いで賑やかに30歳の誕生日を祝った。リスナーをスタジオに迎えてカラオケ大会を開いたり、函館出身のGLAYのメンバーから届いたお祝いコメントを流したり、番組それぞれ知恵を絞っていた。開局3年目に入社した宮脇寛生局長によれば、反響はメールだけでも3日間で587通届いた。「これまでの開局特番は記念日の24日だけで、3日間というのは初めて。番組への感想のほか、昔を懐かしむものが目立ちました。電波が今より弱かった開局当初からずっと聴いていただいているファンもおられますからねえ」と宮脇さん。
今こそ必要な「3つの理念」
FMいるかがいかに地域社会に浸透しているかは、函館に行けばすぐ分かる。私は開局から16年たった2009年に訪ねた時のことを思い出す。函館空港からタクシーに乗ると、FMいるかの放送が流れてきた。運転手さんは、こんなことを言っていた。「標準語でもなまりがあり、地元っぽくていいです。この間も道が渋滞していたら、事故だって教えてくれました。ほかの局は東京発、札幌発で、地元のことは分かりません」
東京発、札幌発にもそれぞれ役割があるのはもちろんだ。その時に聞いた創業者の西野さんの言葉が忘れがたい。「地域が聴いて喜ぶ。経営の足腰を鍛える。この二つなしに、意気込みだけでは続きません。横のネットワーク、県域局との連携も太くして、元気な日本列島にしていきたいですね」
ここにコミュニティFMを支える「3つの理念」が集約されていると言っていいだろう。地域に密着し、経営の足腰を鍛え、ネットワークを太くしていく。インターネット放送やYouTubeなど、地域を越える音声・映像発信が当たり前の時代になった今だからこそ、重く響く。FMいるかは道内にとどまらず、例えば津軽海峡の対岸にある県域局「エフエム青森」と番組の共同制作を続けている。
「行財政改革」の嵐に吹き飛ばされ
コミュニティFMをめぐる「暗」は、ここに来て相次ぐ閉局である。とりわけ全国のコミュニティFM関係者に衝撃が走ったのが、FMいるかに続くコミュニティFM第2号だった「FMもりぐち」(愛称・FM-HANAKO、大阪府守口市)が1月25日、3月末で放送を終了すると公表したことだった。朝日新聞によると、売上げの8割を占める守口市と門真市からの放送業務委託料が来年度以降は支払われないためという。
FMもりぐちが社長名で「関係者各位」に伝えた「放送終了について(ご挨拶)」から、主要部分を抜粋してみよう。
(冒頭略)「エフエムはなこ」の愛称とともに、広くリスナーの皆様に対し、その時々の地域情報や防災情報なども発信することで、親しみを持ってもらえる放送局となり、現在に至っております。
しかしながら、設立当初と比べますと、社会状況は大きく変化し、主にインターネットやスマートフォン等の急激な拡がりによって情報伝達手段が多様化し、個人自らが情報を取得することが容易になったことで、地域FMコミュニティ放送の有用性が相対的に低下してまいりました。
弊社といたしましては、これまで経費節減や自主財源としてのスポンサー獲得等にも意を注いでまいりましたが、厳しい経営状況であった中、弊社の主要スポンサーである守口市と門真市とも協議を重ねたうえで、やむなく本年3月末をもって放送を終了することとした次第でございます。(以下略)
要するに、ネットやスマホで情報を取得できるから、もうラジオはいらないということらしい。「行財政改革」の嵐に小さなラジオが吹き飛ばされた感がある。
後の祭りとならないか
昨年2月に閉局した「FMひらかた」(大阪府枚方市)や、今年3月に閉局予定の「エフエムあまがさき」(兵庫県尼崎市)と、阪神圏で閉局が続く。1995年の阪神・淡路大震災が、コミュニティFMの設立を促したことはよく知られている。そのシンボルと言えるのが、震災直後に神戸で開局した多言語ラジオ「FMわぃわぃ」だ。2016年にコミュニティFMをやめ、インターネット放送へ移行した。「放送法・電波法の改訂でコミュニティ放送が基幹放送局に位置づけられ、インフラ整備に多額な資金が必要になった」からだった。ならばコミュニティFMにこだわる必要はない。大災害が起きた時はFM波で多言語の災害放送をする協定を神戸市と結び、非常時に備える。閉局を強いられる局にとって、一つのモデルとなり得る選択だろう。
阪神圏で相次ぐ閉局をどう見ているのか。FMわぃわぃの代表理事、金千秋さんに電話すると、こう言った。「行政と一緒にやってる局がどんどんなくなっていく感じ。行財政改革でどこを切るんやとなると、今はネットもあるし、ラジオなんか必要ないんやないかとなってしまう。いざという時は臨時災害FMが国の支援で立ち上がるからと思っておられるのかもしれませんが、システムがないと無理だっていうことが理解されてない気がします」
確かに、そのとおりだろう。2011年の東日本大震災の被災地で聞いた言葉を思い出す。「震災前にコミュニティFMを立ち上げておけば良かった」「臨時災害FMを開設したが、開設までの発災直後の時期が最も大事だった」
スマホやSNSが普及したとはいえ、災害時のラジオの強さは変わらない。スマホの利用者が集中して、つながらなくなったらどうするのか。そもそも通信回線が切れたらどうするのか。コミュニティFMを閉局した自治体で「しまった」と、後の祭りにならないことを願うばかりだ。
「伝え続ける」人材育成の役割も
2011年の東日本大震災の時は、臨時災害FMが次々に立ち上がった。FMわぃわぃが多言語で収録した音源を提供したことで、地域に住む外国人の役に立ったことを思い出す。今はさらに人材育成の役割も果たしているようだ。
例えば、下唐湊祐莉(しもとそ・ゆり)さん。関西学院大学の学生時代、FMわぃわぃでゼミ実習として2年間学び、2018年に函館のFMいるかに入局した。現在は『おはようさわやかさん』(火、7・00―10・00)や『Friday Labo』(金、10・00―13・00)などのパーソナリティを務めている。FMいるかで学んだことで最も役立っているのは「伝え続けること」だという。
「学生時代、FMわぃわぃの番組で、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた長田地区にある新長田駅からの放送をお手伝いしたことがあります。その番組によって、震災を知らない世代は震災当日にどんなことが起きたのかを知るきっかけになり、実際に体験した人は当時を思い出し、次に災害が起きた時のためにどのようにしたらよいのか、考えるきっかけの一つにもなるんだということが分かりました」
そうした放送体験が生きたのが、FMいるかに入局して1年目の2018年9月に起きた北海道胆振東部地震(最大震度7)だった。スタジオまで車を飛ばし、不眠不休の取材・放送が始まった。発災から数日はとにかく必死だった。数年がたち、当時の記憶が徐々に薄くなっているのを感じるそうだ。
「まさに『喉元過ぎれば熱さを忘れる』。そう実感するとき、FMわぃわぃでのお手伝い体験を思い出します。ラジオで『伝え続けること』が大事だ、と。FMいるかでもSNSやYouTubeなどとミックスしながら放送していますが、災害時におけるラジオの重要性は変わらないと思います。胆振東部地震の時も、SNSを中心にデマが流れました。そのデマに関する問い合わせがFMいるかに届きました。取材し、デマに惑わされないよう呼びかけました。普段からしっかり裏を取り、正確な情報を伝えるのが放送局の重要な役割です。情報を早くキャッチできるラジオの速報性に加えて、地域のコミュニティFMは、地域密着の細かい情報も特徴。万一の際に信頼してもらえるラジオ局であるために、日々の放送が重要だと局長から伺っていますので、その意識で日々の放送に臨んでいます」
明るい兆しも
さて、「暗」から「明」に転じそうな局もある。神戸新聞(電子版)は2月3日、こう報じた。
3月末で閉局する兵庫県尼崎市のコミュニティーFM「エフエムあまがさき」の放送業務を引き継ごうと、パーソナリティーらが一般社団法人「みんなのあま咲き放送局」を設立し、8月のスタートを目指している。年間3千円~50万円を支援してくれる個人や事業主のサポーターを募っている。
設立メンバーの一人、原田明さんに電話をすると、明るい声が返ってきた。「ネットの隆盛でラジオはだめになったというが、そうじゃないだろうと。人と人の間にパーソナリティが介在する意味、住民の住民による住民のための放送局の可能性を追求したいですね。サポーターを募集したら、協力を申し出てくれる方が次々に出現しています。再開局に向けて課題山積ですが、尼崎の底力の見せ所だと思って奔走しています」
明るい話がもう一つある。2月3日夜、鹿児島県奄美大島のコミュニティFM「あまみエフエム ディ!ウェイヴ」が、NHK総合テレビの『ドキュメント72時間』で取り上げられた。タイトルは「奄美大島 FMラジオを聴きながら」。ご覧になった方も多いことだろう。島言葉が飛び交うスタジオ、窓を明けて道行く人に声をかけたり、通りかかった人が出演したりで、和気あいあい。この島出身の歌手、元ちとせも無報酬で出演し続けている。
反響はどうか。あまみエフエムに寄せられた主な感想を列記してみよう。
「普段の雰囲気のあたたかさが伝わってきて面白かった」「ほっこりした」「私も頑張らんばっち思った」「あまみエフエムがシマンチュ(島の人々)の心の拠り所だと伝わったと思う」「これからも島ラジオを世界のシマンチュに届けてほしい」
最後の感想で、インターネットを通じて世界各地で聴いているファンが少なくないことが分かる。人口約6万人の小さな島の小さなラジオ局から地球規模に輪が広がっている。
運営するNPO法人の代表理事を務める麓憲吾さんは言う。「開局(2007年)当時は、島に暮らしている人たちに『足下を見つめてほしい』という気持ちでやっていました。今は、その意識は当たり前になって、島の文化の深さをいかに言語化するかが課題です」
経営はどうなのか。「綱渡りでやってきて、コロナ禍も何とか乗り越えて回復し、今は心配しなくていい状態です。働いてる皆さんにもお返ししたいから、収益増を目指して頑張ります」と麓さん。開局当初は500人くらいだったサポーター会員は、2,000人を超えて増え続けているという。
FMいるかの西野さんが言っていた「地域密着」と「経営の足腰」がうまく回っているようだ。もう一つの「横のネットワーク」では、老舗の県域局「南日本放送」との連携が深みを増しつつある。現在は南日本放送テレビの情報番組『かごしま4』(月―金、15・49―16・50)で月に2回、あまみエフエムのパーソナリティが出演し、島で開かれたイベントなどのレポートをしている。例えば、1月5日の「紬の日」。島の特産、大島紬を着た人たちが勢揃いで、圧巻だった。ラジオも『ゆうぐれエクスプレス』(月―金、18・00―18・50)の中に一枠持っている。
地域に根付けば、支援者が増える。支援者が増えれば、人件費や番組制作費もかけられる。好循環に入ったかに見える「島のラジオ」から学ぶことは多い。