「一億総博知化」の70年――情報セーフティネットの使命【テレビ70年企画】

佐藤 卓己
「一億総博知化」の70年――情報セーフティネットの使命【テレビ70年企画】

テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星13社の発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。今回は、教育・教養の側面をメディア研究者の佐藤卓己さんに寄稿いただきました。


「テレビ時代」の終わりに

いま、ほとんどの学生の下宿にテレビ受信機はない。それが普通である。テレビニュースを見るとしてもスマートフォンでTVer、あるいはYouTubeのテレビ公式チャンネルで十分だ。若年層のテレビ視聴時間は2000年代に入ってから急落し、インターネットのアクセス時間が大幅に増えた。すでにテレビは基軸メディアではなく、新聞もテレビもまるごとウェブの中に飲み込まれようとしている。

還暦を超えた私でさえ、いまリアルタイムで地上波テレビを見ることはほとんどない。私にとって印象的な出来事は、2023年6月23日にロシアで勃発した「ワグネル反乱」のテレビ報道だった。ウクライナで戦争中の「隣国」ロシアで深刻な事件が勃発していたのだが、NHKも民放各局も日本のテレビ局は通常編成でワイドショーやドラマを流し続けた。私はドイツやイギリスの公共放送サイトにアクセスして、刻々と変化するヨーロッパでの報道を見続けていた。このとき「日本のテレビ時代は70年間で終わった」と実感した。

ただ、『テレビ的教養――一億総博知化への系譜』(岩波現代文庫)の著者として私は、テレビの将来にも想いを寄せていた。グローバル・メディアであるインターネットは、すでに私たちの生活に不可欠なものになっているが、テレビのような「国民化メディア」ではない。ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』は国民国家形成における新聞閲読の重要性を強調するが、新聞が階級・性別・年齢を超越して情報を国民全体に届けた時代は――想像はともかく現実には――存在しない。

おそらく、国民全員が同じ情報に接しているという共通感覚を実現したメディアは、歴史上テレビだけである。その意味で、テレビ放送の70年間は言葉の正しい意味で「国民メディア」が存在した空前絶後の「テレビ時代」と言える。そしていま、それは過去の歴史であり、そのレガシーをどう残すべきか、が問われている。

一億総博知化の教育テレビ史

さて、「テレビ報道の70年間」と書いたわけだが、そもそも「日本のテレビ放送開始は1953年」というテレビ史の一般的記述には大きな問題がある。テレビ本放送の開始はNHKが1953年2月1日、日本テレビが同年8月28日だが、NHKのテレビ実験放送は1950年11月から開始されていた。この実験放送は学校向け教育番組で編成され、テレビの学習利用について調査研究が行われていた。テレビは「家庭」に入るより先にまず「教室」に入っていたのである。つまり、日本テレビの街頭テレビとプロレス中継など娯楽番組にスポットを当て、「テレビが家にやってきた」を強調する通俗的なテレビ史は大いに偏向している。

そもそも現行の放送法第五条は放送番組を「教養番組、教育番組、報道番組、娯楽番組等」と四種類に分類している。この並び順がでたらめとは考えられず、その順番は「放送の公共性」における評価を反映したものだろう。実際、NHKも民放も放送開始時には「教育機能」や「文化機能」を特に強調していた。たとえば、「日本テレビ放送網放送基準」(1953年5月30日制定)も、その使命のトップに「文化的機能」を掲げていた。とはいえ、この3年後、日本テレビの視聴者参加番組『何でもやりまショー』は評論家・大宅壮一によって「一億総白痴化」番組と批判されていた。

しかし、大宅の批判があった1956年当時、民放テレビ局はまだ東京に日本テレビとラジオ東京(現・TBSテレビ)があったのみで、同年末にようやく大阪テレビ(1959年朝日放送に吸収合併)と中部日本放送(現・CBCテレビ)が開局する。つまり、「一億総白痴化」が流行語となった1957年、日本で民放テレビ放送の視聴可能地域は東京、大阪、名古屋の周辺に限られ、テレビの受信契約数は33万件、普及率は5.1%にすぎなかった。とても「一億」すなわち日本国民全体に影響を及ぼすレベルにはまったく達していない。「一億総白痴化」はまだ見ぬテレビへの大衆の期待とともに流行語となったため、あたかも1950年代に全国民がテレビで低俗な娯楽番組を見ることができたと勘違いされることも多い。これは間違った歴史理解である。

さらにいえば、「一億総白痴化」というフレーズを積極的に利用したのは、日本放送教育協会などが主導した「教育テレビ」要求運動だった。この要請を受けて放送行政を所管する郵政省(現・総務省)は、「テレビの教育化」のため東京の新規3局のうち2局を教育専門局とする方針を打ち出した。この結果、1957年7月8日にNHK教育テレビ、富士テレビ(現・フジテレビ)と東京教育テレビ(現・テレビ朝日)に予備免許が交付された。ちなみに、東京タワーは東京教育テレビと富士テレビのために建設された電波塔である。東京教育テレビは、1959年に日本教育テレビ(NETテレビ)として開局し、1973年11月に総合番組局化している。この世界的にも珍しい商業教育局は、53%の教育番組と30%の教養番組で常時編成し、学校向けは自家編成番組であることが免許条件となっていた。

この教育テレビ局への予備免許交付の2日後、1957年7月10日に戦後最年少で入閣した郵政大臣・田中角栄は10月22日、さらに一挙に43局にテレビの予備免許を交付した。その中には教育番組30%、教養番組20%以上で編成する準教育局として、新大阪テレビ(現・読売テレビ)、新日本放送(現・毎日放送)、札幌テレビ放送が含まれていた。重要なことは、このときすべての一般放送局に「教育・教養番組30%以上」で編成することが免許条件として課せられたことである。

NHK教育テレビと東京教育テレビの放送が開始された1959年、4月の皇太子御成婚パレードに向けて白黒テレビの販売合戦が展開され、NHKテレビ受信契約数は200万件を突破した。御成婚パレード中継の翌月、1964年東京オリンピック大会の開催が決まり、日本経済は高度成長期に入った。1964年4月に最後の全国ネットワーク局である日本科学技術振興財団テレビ事業本部(通称「東京12チャンネル」、現・テレビ東京)が科学技術専門教育局として開局した。この「科学教育を主とする教育専門局」は、科学技術番組60%、一般教育番組15%、その他の教養・報道番組25%を免許条件として義務付けられていた。だが、CM広告費で教育・教養番組を放送する商業教育局の経営は厳しく、準教育局は1967年11月の再免許で、NETテレビと東京12チャンネルも1973年の免許更新で総合番組局に切りかえられた。それにもかかわらず、民間テレビ局をふくめ全局に「教育番組10%、教養番組20%以上」の編成を求める「教育テレビ」体制は2023年現在にいたるまで維持されている。

教養のセーフティネット

こうした教育テレビ体制が「一家に一台」を実現した高度経済成長の昭和時代において、日本国民に漠然とした「中流」意識を蔓延させたことはまちがいない。しかし、1980年代からの家庭用VTR普及とテレビゲーム利用もあって、テレビ視聴の個人化は加速し、「お茶の間」の国民統合メディアはその影響力を低下させてきた。そしていま、インターネット時代のテレビは、文化資本の格差を象徴する下流メディアとして批判されることも多い。かつて大宅壮一が「内容」の低俗性を問題視した反テレビ論に対して、インフォメーション・ギャップやデジタル・デバイドが取りざたされる現在は「形式」――インターネットを使いこなせない――の弱者性が強調されている。たしかに今日、テレビの長時間視聴者の典型的イメージは、育児放棄された子どもや寝たきり老人など社会的弱者である。

こうした社会的弱者もふくむ情報弱者を排除せず包摂するためには、いまだに「学校教育又は社会教育のため」と限定する放送法の「教育番組」定義を超えてその番組内容を教育的に進化させていくことが必要だろう。つまり、すべてのテレビ番組は娯楽的教育enter-educationまたは教育的娯楽edu-tainmentをめざすべきである。そもそも、インターネットを基軸とする今日、「教育・教養」と「娯楽」の分類は無意味である。

メディア論的にいえば、「教育・教養」「報道」「娯楽」「広告」という番組種別そのものが、テレビ以前の新聞紙面から流用された枠組みである。それをテレビ番組やウェブ情報に適用するのが、そもそも無理な要求なのである。たとえば、時代劇や刑事ドラマに「教育」「教養」の要素が含まれていないはずはない。ドラマの舞台が過去であれ未来であれ、どれほど誇張や偏向があっても、そこから「世間」や「世界」を学ぶことはできる。そうした娯楽番組で私は「社会」を学んだのだと断言してもよい。

むろん、そうした「テレビ的教養」が最良の教養というわけでもない。しかし、より良い輿論=public opinionを生み出す市民的公共性への入場券として、それは必要最低限の教養である。なぜなら、市民的公共性とは万人の参加可能性を前提としており、「具体的でわかりやすい教養」のみが万人に共有が可能だからである。自ら検索して情報を引き出すプル・メディア中心のウェブ社会では、そうした必要最低限の教養すら欠いた有権者が大量に生み出されており、それこそが輿論主義(デモクラシー)の危機なのである。少なくとも全国民がデジタル・ネイティブとなるまでは、つまり20世紀生まれの世代が消滅するまでは、情報を押し出すプッシュ・メディアのテレビ放送は教養のセーフティネットとしての使命を果たすべきなのだろう。

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