U30~新しい風① 北海道放送・泉優紀子さん「取材が持つチカラ」【テレビ70年企画】

泉 優紀子
U30~新しい風① 北海道放送・泉優紀子さん「取材が持つチカラ」【テレビ70年企画】

テレビ放送が日本で産声を上げたのは1953年。2月1日にNHK、8月28日に日本テレビ放送網が本放送を開始しました。それから70年、カラー化やデジタル化などを経て、民放連加盟のテレビ局は地上127社、衛星13社の発展を遂げました。そこで、民放onlineは「テレビ70年」をさまざまな視点からシリーズで考えます。

30歳以下の若手テレビ局員に「テレビのこれから」を考えてもらう企画を展開します。第1回に登場するのは、北海道放送報道部の泉優紀子さん。ディレクターを務めた『性別は誰が決めるか~「心の生」をみつめて~』が第49回放送文化基金賞ドキュメンタリー部門最優秀賞を受賞しました。泉さんには、テレビ、そして"テレビ取材が持つチカラ"を考えていただきました。


"見られていない"という前提で

テレビマンとして、あるまじき習慣がついてしまっています。地上波で放送されている番組を見る時間が、1人暮らしを始めてからぐっと減っているのです。必ず見るのは朝の情報番組ぐらいで、あとは気になる番組をちらほら録画している程度。テレビの電源をつけても、すぐにチャンネルを動画配信サービスに合わせてしまいます。

"働く単身世帯"の仲間入りをした今、地上波の番組を見るためのツールとしてのテレビの役割は、現代人の生活にマッチしなくなっていることを実感しています。

テレビ記者の仕事をしていると、友人から「有名人に会った?」「取材はどうやってするの?」と、関心を持たれることが多いです。一方で、「家にテレビがないんだ、ごめん」と言われることもあります。"テレビは見られていない"という前提を持ちながら仕事をしています。そのためか、企画や特集を放送したあとは、視聴率よりも配信されたYouTubeなどでの再生回数のほうが気にかかります。

ひとりぼっちじゃない

私は昨年、ドキュメンタリー『性別は誰が決めるか~「心の生」をみつめて~』を制作しました。心は男性、からだは女性のトランスジェンダー男性"きみちゃん"の妊娠を軸としながら、複数のトランスジェンダー当事者やその家族を取材。手術でからだの性別を変えなければ戸籍の性別を変えられない(=自分の「心の性」に従って生きにくい)、法律上の問題についてまとめました。

<『性別は誰が決めるか~「心の生」をみつめて~』>

私はディレクターとして一連の取材と構成などを担当しましたが、この番組制作はひとりでは成し得なかったと感じています。一緒に取材に出向く、カメラマンや音声マン。取材した素材を客観的な目でジャッジしてくれる編集マンに、プロデューサー。声をとおして、番組に命を吹き込んでくれるアナウンサー。それぞれのプロの力が集結し、視聴者の目や耳に訴えかける作品を届けることができるのは、テレビ局そしてテレビという媒体がこれまで培ってきた"チカラ"であると感じています。

現在入社5年目ですが、ひとりぼっちで仕事をしていると思ったことは一度もありません。今回のドキュメンタリー制作で、私は自分の想定を超え、特定のイメージで語られがちなトランスジェンダー当事者たちの生き方が実に多様でグラデーションがある現実にぶつかりました。文字にして振り返れば当たり前のことのように思われそうですが、取材をして当事者とじっくり向き合う中で、自分の認識が変わる瞬間というのは記者の仕事をしていてたまに訪れます。

「どのようにまとめたらいいのか、わからない」。この問いを、私は取材相手の当事者にも、一緒に仕事をしているスタッフたちにもぶつけてしまっていました。それぞれスタッフが自分の担当の仕事をしながらも、共通の問いについて役割を超えて共に考えていく。番組は、当事者の繊細な表情の変化を捉えたカメラマンや、私がピックアップできていなかった当事者の語りを見つけ出した編集マンなどの、真摯な仕事ぶりが詰まったものになっています。

テレビ取材は時間がかかります。取材相手が、核心に触れた一つの言葉を投げかけてくれるまでには、数時間の撮影あるいは数日・数年かけた信頼関係が必要です。流暢な語り口や聞こえのいい言葉よりも、取材相手やスタッフとの間で自然に生み出された"間"をそのまま映し出すことのほうが、当事者の思いがより伝わります。

写真①ちかきみ.jpg

<きみちゃん㊨とパートナーのちかさん>

映像と文字それぞれで発信

もう一つ、私がテレビの"チカラ"、厳密に言うと"テレビ取材のチカラ"を感じる時があります。それは映像で放送した企画や特集を、文章と静止画によるテキスト記事として生まれ変わらせる時です。制作したドキュメンタリー『性別は誰が決めるか~「心の生」をみつめて~』は、自社のウェブマガジンやJNN系列局でつくるニュースサイト「NEWS DIG」でテキストの連載記事としても配信しました。

先ほど"テレビ取材は時間がかかる"といいました。丁寧に取材相手と長い時間をかけて向き合い、さまざまな表情を見せてもらうと、テレビの番組尺では詰め込むことができなかった大切にしたい要素が、たくさん残ります。しかしテキスト記事になれば、それらを拾い上げられます。

その日の気温やにおい、触感は文字で伝えることで、映像を見せるよりも具体的に伝えることができます。カメラがまわっていない時間に、電話やLINEをとおして取材者と当事者の間で起きた感情のやりとりも、テキスト記事であれば映像が残っていなくても文章として伝えることができます。

テレビ記者が映像ではなく、文章で伝えるというのは、自分たちが専門とする手法の限界を見ているようでありながら、むしろ自分たちだからこそできる新しい情報発信のあり方なのではないでしょうか。たしかに、テレビは見られなくなった。だけど、テレビ業界で働く先輩たちが培ったスキルやそれによる信頼は、私たち若手の記者たちの仕事の可能性を、広げてくれているとも感じます。映像と文字、この2つをうまく使い分けて効果的に発信していけば、相乗的に両者の価値を高めていける可能性があると思うのです。

そのためには、取材中に五感をフル活用して取材する必要があります。この点を大切にして、これからも一人のテレビマンとしてさまざまな事象、人々に丁寧に向き合っていきたいです。

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