南日本放送『朝はあけたり』 奄美日本復帰70年 ラジオドラマ&ふるさとウィーク

岡田祐介/水野俊彦
南日本放送『朝はあけたり』 奄美日本復帰70年 ラジオドラマ&ふるさとウィーク

「日本内地の皆さま、全国の皆さま、こちらは日本の最南端に浮かぶ島、奄美大島・名瀬市でございます――」

ノイズ交じりの不安定な電波状況の中、興奮をおさえ粛々と復帰祝賀式典の模様を伝えるアナウンサーの中継音声がよみがえります。戦後、米軍の統治下に置かれた奄美群島が日本に復帰したのは1953年12月のこと。喜びにわく島民の声を全国に伝えたいと奄美大島に密航した2人の放送人がいました。ラジオ南日本(南日本放送〈MBC〉の前身)の岩橋健正アナウンサーと古川満雄です。

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<奄美復帰記念祝賀会(名瀬小学校・1953年12月25日)>

ラジオドラマ『朝はあけたり』は、2人の密航秘話や関わった人たちの思いを当時の音声を織り交ぜながら制作し、復帰からちょうど70年目の2023年12月25日に放送しました。

手探りのラジオドラマ制作を支えたもの

開局してわずか2カ月の放送局員が奄美大島へ決死の密航を行い全国に伝えた復帰の喜び、まるで冒険活劇のようなそのエピソードは社内でも長年語り継がれていました。ラジオドラマ化しようという動きがもちあがったのは2023年春のこと。しかし20年以上本格的なラジオドラマ制作から遠ざかっていた当社には、制作のノウハウはほぼ皆無でした。

プロデューサーの岡田祐介とディレクターの後藤剛は、社内に残る膨大な資料を掘り起こすことから始めました。社の10年史には、密航前の下準備から渡航の様子、不安定な現地の電力事情、1本しかない本土との無線電話の確保、不安定な電波状況の中で中継を成功させたことが詳細に記されていました。

さらに奄美からの中継技術を担当した古川氏を後年インタビュー取材した際のマザーテープが資料センターで発見されました。密航前後の出来事、心境などを事細かに記録した素材がなければ脚本を書きおこすことは不可能でした。前述の中継音源も含め貴重な音声アーカイブを残していただいた先輩方の慧眼と努力に深く敬意を表したいと思います。

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<奄美復帰特番の中継スタッフ(名瀬小学校・1953年12月25日)>

「無血革命」と呼ばれた奄美群島の復帰運動

鹿児島と沖縄のはざまで複雑な変遷を遂げてきた奄美群島の歴史について紹介します。

終戦の翌年1946年2月2日、北緯30度以南の南西諸島は日本から行政分離され、アメリカの軍政下に置かれました。以来本土との往来は制限され、慢性的な物資不足、食糧不足に陥ります。1951年「奄美大島日本復帰協議会」が発足。議長に選ばれた詩人の泉芳朗が先頭に立ち復帰署名活動を開始すると、わずか2カ月ほどで島民の99.8%が署名。さらに泉は復帰祈願の断食運動を実施するなど復帰運動は熱を帯びていきます。

そして1953年8月、アメリカ・ダレス国務長官の声明により奄美群島の日本復帰が果たされました。ドラマのタイトル『朝はあけたり』は、復帰を祝う歌の曲名から取りました。

オール鹿児島でのドラマ制作

ドラマは、開局直後の混乱期、報道局長が岩橋アナウンサーと古川技術課長を夜の盛り場に誘うところから始まります。正式な渡航許可は間に合わない、しかし奄美の日本復帰は全国に伝えるべき大ニュース。彼らはやむなく「密航」を決意、密かに米軍占領下の奄美大島に上陸します。

取材を続ける2人は、奄美の困窮した暮らしを目の当たりにして愕然とします。そしてこの現実を自分たちの声で全国に伝えようとあらためて奮起します。奄美と本土を結ぶたった1本の無線電話回線を確保するも、その通話は天候に左右される不安定なものでした。不安を抱えたままついに復帰の日、12月25日を迎えます――。

ラジオドラマの肝となる脚本については、鹿児島在住の演出家・竪山博之氏に相談し、映画『亡国のイージス』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した鹿児島出身の脚本家・飯田健三郎氏に依頼しました。

主人公のひとり岩橋アナウンサー役には奄美にルーツを持つタレントの恵俊彰さん、古川技術課長役には鹿児島出身で学生時代に奄美を訪れ役者を志した俳優の迫田孝也さん、ナレーションは奄美の唄者・元ちとせさんという奄美ゆかりの3人をキャスティング。地元鹿児島で活躍する俳優や当社のアナウンサーも脇を固め収録にのぞみました。

「米軍占領下の奄美について史実として知ってはいたが、実際の奄美の皆さんの苦難や、それを伝えた人のことは知らなかった。ドラマに関われて良かった」。収録後、あるキャストからかけられた言葉に構想から準備までの苦労も吹き飛びました。

収録した音声にサウンドプロデューサー種子田博邦氏が70年前の空気感を醸し出す効果音、劇伴曲などを加えドラマに新たな息吹をもたらします。テーマ曲は奄美にルーツを持つジャズピアニスト松本圭使氏が作曲。構想から約8カ月「オール鹿児島」体制で取り組んだラジオドラマはついに形になりました。

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<収録風景>

次世代へ語り継ぐ「奄美復帰70周年ウィーク」

当社は県内の自治体と連携して地域のトピックスをテレビ・ラジオ・WEB・SNSで1週間集中して発信する「ふるさとプロジェクト」を定期的に行っています。12月18日からは「奄美群島日本復帰70周年ウィーク」を実施しました。

鹿児島と沖縄の中間に位置する奄美大島は今でも鹿児島新港から定期船で11時間を要します。海路でラジオ中継車「ポニー号」を奄美大島に送りこみ、復帰当時を知る体験者の生レポートを各番組で発信しました。またテレビでも情報番組のMCがスタジオを飛び出し、復帰運動の中心地となった名瀬小学校の校庭から中継を行いました。

20代のラジオスタッフやアナウンサーが歴史の舞台に立ち70年前の情景を思いうかべながら、復帰の喜びとそれを「伝えた」大先輩について思いをはせる。視聴者、リスナー、そして当社の放送スタッフも含め奄美復帰運動の熱や思いを次世代へ語り継ぐことは今回の取り組みの大きなテーマでした。

ラジオドラマ『朝はあけたり』放送後記

2023年12月25日、70回目の復帰記念日にラジオドラマ『朝はあけたり』を放送しました。MBCの電波だけでなく奄美大島にある4つのコミュニティFM局にもご協力いただき同日放送されました。

「奄美の米軍統治の歴史は知らなかった」「MBCの地域密着、ふるさとたっぷりの源流を見た気がする」「当時の音源を使うという演出に涙」など、放送後は反響の声が多数寄せられました。

『朝はあけたり』の題字を揮毫したのは奄美大島在住の高校生でした。「命をかけ非暴力で島を守ってくれた先人に感謝の気持ちでいっぱいです。これからは私たち若い世代が島を守っていきたい」と頼もしいコメント。奄美の未来は明るい、そう感じさせてくれるメッセージでした。

ラジオドラマ『朝はあけたり』は1年間ポッドキャスト配信を行っています。これからもMBCラジオをお楽しみいただければ幸いです。

<執筆者プロフィール>

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●ラジオドラマ『朝はあけたり』部分(写真㊧)
岡田祐介(おかだ・ゆうすけ:南日本放送制作局音声メディア部長)
1977年佐賀市生まれ。99年南日本放送入社。アナウンサーとしてラ・テ生ワイド番組、スポーツ実況などを担当。現在はMBCテレビ夕方の生放送『かごしま4』の木・金曜のMCを務める。
●「奄美復帰70周年ウィーク」部分
水野俊彦(みずの・としひこ:南日本放送編成局地域ネットワーク部長)
1977年鹿児島市生まれ。99年南日本放送入社。テレビ制作、営業、東京支社、営業推進を経て2023年から現職。

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