シリーズ企画「戦争と向き合う」は、各放送局で戦争をテーマに番組を制作された方を中心に寄稿いただき、戦争の実相を伝える意義や戦争報道のあり方を考えていく企画です(まとめページはこちら)。
第18回は上智大学教授で『八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(ちくま新書・2005年)の著書がある佐藤卓己さん。8月15日の終戦記念日前に集中する戦争関連報道=「八月ジャーナリズム」を再考し、21世紀に求められる戦争報道を考察します。(編集広報部)
終戦を再考する
2025年7月5日に私は福岡ユネスコ協会主催の文化セミナー「終戦を再考する」で、『日ソ戦争』(中公新書・第26回読売・吉野作造賞)の著者である麻田雅文・成城大学法学部法律学科教授と対談した。20年前に公刊した拙著『八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(ちくま新書・2005年)を踏まえ、メディアの戦争報道が抱える問題もそこで討議している。
その一つは多くの日本人が「日ソ戦争」を忘却してきたことである。スターリンは1945年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告し、満洲・朝鮮半島・南樺太などに侵攻した。その死者数は軍民合計で30万人以上であり、沖縄戦や原爆の死者数を大きく上回っている。それにもかかわらず、8月15日以後に開始された「北方領土」侵攻を含む「日ソ戦争」が日本のメディアで言及されることは少ない。その理由について、麻田氏は山添博史・防衛研究所米欧ロシア研究室長との対談「日ソ戦争という悲劇と現代への教訓」(『中央公論』2025年9月号)で次のように述べている。
一つはアメリカが打ち出した「原爆神話」。2度の核攻撃がアジア・太平洋戦争を終わらせた決定打だったというアメリカ側の説明が、日ソ戦争の影響を核攻撃より軽く見せた面がありました。
もう一つは「8月15日の神話」。メディア史家の佐藤卓己先生が『八月十五日の神話』で詳細に論じられていますが、玉音放送で終戦を迎えたというストーリーが、その後も続いた戦争を覆い隠してしまったと思います。(64頁)
<㊧麻田雅文著『日ソ戦争 帝国日本最後の戦い』(中公新書)、㊨佐藤卓己著『増補 八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(ちくま学芸文庫)>
8月6日の広島原爆投下から8月15日の玉音放送までを中心に展開される「八月ジャーナリズム」は、この「原爆神話」と「玉音神話」を裏書して「日ソ戦争」の忘却に補助線を引き続けてきた。このため日本人の戦争理解は時間的にも空間的にも極めて狭い範囲に閉じ込められている。
時間的に短い「八月ジャーナリズム」
まず「八月ジャーナリズム」が問題なのは、戦争回顧をすべて8月前半に集中する時間の短さである。そのため、先の戦争の「敗戦」だけに目が向けられる。しかし、戦争責任論として問うべきは「開戦」、つまり12月8日の真珠湾攻撃(1941年、太平洋戦争)、あるいは9月18日の柳条湖事件(1931年、満州事変)であって、「終戦」ではない。開戦には主体的選択の余地があるが、無条件降伏を突きつけられた敗戦には選択の余地はない。選択不能な行為に責任を問うのは難しく、終戦はむしろ「英断」として評価されてきた。そのため「八月ジャーナリズム」の戦争責任論はいつも空回りを続けてきた。
そこで描き出されるのは、1944年秋以降の都市空襲によって焦土と化した戦災風景であって、開戦時の国民的熱狂や軍需景気に沸く歓楽街のイメージではない。体験者の苦しみや悲しみに寄り添った報道を目指せば、当然そうなるだろう。しかし、多くの国民は敗戦の苦悩と悲哀を体験する以前、開戦に歓喜し勝利を期待していたはずである。こうした「明るい戦争」の記憶は敗戦後に不都合なものとなり、墨塗り教科書のように上書きされて忘れられた。そうした「暗い戦災」の記憶が戦争を時間的に切り詰めてきたと言えるだろう。
敗戦から80年という歳月は、この時間的に短い日本人の戦争記憶に修正を迫ることになるはずだ。人間の平均寿命に等しい時間の経過は、体験者から証言が得られなくなることを意味する。先の戦争はいよいよ「記憶」の領域から「歴史」の領域へと移行する。歴史化は戦争の時間軸に拡張をもたらすだろう。ちなみに、Googleで「先の戦争/京都」を検索すると、AIは次の概要を示してくれる。
「京都で「先の戦争」と言う場合、多くは1467年から11年間にわたって京都を中心に続いた内乱である「応仁の乱」を指します。」
よく知られた冗句だが、まちがいではない。だが歴史学界では体験者がいない時代を研究する歴史家が大半である。私も「戦後」を80年よりも長い射程で考察するメディア史家である。そもそも日本の戦争に限っても日清戦争(1894-95)、日露戦争(1904-05)、第一次世界大戦(1914-1918)とあり、「戦後」は一つではない。
米国を強く意識すれば「日米戦後80年」だが、中国との関係を歴史的に強く意識するのであれば「日清戦後130年」だろうし、ロシアとの関係であれば「日露戦後120年」ということになる。さらに日清、日露の戦争が朝鮮半島支配をめぐる帝国主義、つまり植民地主義の争いである以上、日本の朝鮮半島進出の起点となった1875年江華島事件から「日朝150年戦争」を主張する朝鮮史家もいる。当然ながら、朝鮮戦争がいまも休戦状態である韓国・北朝鮮で人々が日本の植民地支配からの解放を記念して「光復80年」を祝うとしても、「戦後80年」という日本の時間枠を受け入れるのは難しいはずだ。同じように、台湾問題を抱える中国の「抗日戦勝利80年」が「戦後80年」でないことは自明である。
空間的に狭い「八月ジャーナリズム」
戦争の空間枠でも日本のメディアの視野は狭い。中国大陸や東南アジアを意識した「アジア・太平洋戦争」が使用されても、「八月ジャーナリズム」は本土中心の戦争認識を再生産してきた。
その象徴は、玉音体験がない沖縄である。そもそも1945年8月15日正午からラジオで流された玉音放送をすべての日本人が聞けたわけではない。特に放送局が破壊された沖縄で聞いた人はほとんどいない。米占領軍も住民に玉音放送を聞かせる処置をとらなかった。吉本秀子・山口県立大学教授の『軍隊と言論-米国占領下沖縄におけるメディア管理政策』(明石書店・2025年)は、「玉音体験の不在」が日本軍の組織的戦闘が終わった6月23日を「慰霊の日」とする集合的記憶の成立過程を明らかにしている。
<吉本秀子著『軍隊と言論-米国占領下沖縄におけるメディア管理政策』(明石書店)>
沖縄県で6月23日は1961年から戦没者追悼のための休日となっており、沖縄メディアの戦争報道は8月ではなく6月に集中してきた。それは全島が戦場となり、現在も日米安保体制下で米軍基地が残る沖縄において「戦争」が過ぎ去っていないことを本土の人々にも想起させる意義を持っている。近年はそれに応える「六月ジャーナリズム」を本土メディアも試みているが、NHKが終戦80年に合わせて行った全国調査の結果は衝撃的である。「沖縄戦での戦没者を追悼する『慰霊の日』が6月23日であることを知っていますか」との問いに、「知っている」が沖縄で96%に対し全国はで28%、70ポイント近い差が生じていた(NHK沖縄NEWS WEB 2025年8月12日)。
<NHKが終戦80年に合わせて行った全国調査の結果を伝えるNHK沖縄NEWS WEB( 2025年8月12日)より>
沖縄戦の記憶を共有することは、日本国民の「戦争」理解を空間的に拡張するために不可欠なことである。また、集合的記憶と戦争記念日の運用についても、私たちが学ぶべき模範解答が沖縄にある。沖縄市では1993年から、6月23日の「慰霊の日」とは別に、沖縄の日本軍が正式に降伏文書に署名した9月7日を「市民平和の日」と条例で定めている。人間は祈りながら議論できるほど器用な生き物ではない以上、宗教的な戦没者追悼と政治的な平和の討議は別の時空で行った方がよい。拙著『八月十五日の神話』でも、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(1982年4月13日、鈴木善幸内閣閣議決定)を8月15日「戦没者を追悼する日」と9月2日「平和を祈念する日」に二分割する案を示した。言うまでもなく、9月2日は日本政府が戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名した国際標準の「第二次世界大戦の終戦記念日」である。
9月2日にグローバル・ヒストリーの平和祈念日を
いずれにせよ、21世紀の戦争報道に求められるのは、時空を拡大した「戦争」理解である。グローバル・ヒストリーとして歴史を考える私の視点からすれば、現代史は総力戦、つまり第一次世界大戦とともに始まる。その終戦日はドイツ帝国が休戦協定に調印した1918年11月11日であり、今年は「戦後107年」となる。いまも欧州各国でこの日は戦没者を追悼する記念日となっている。
実は第一次世界大戦「戦後」の日本でも11月11日に「平和記念日」の各種イベントが行われていたことは当時の新聞記事で確認できる。たとえば、「各国国民への感謝デー 十一日の平和記念日に日比谷公園に」(1923年11月8日付『東京朝日新聞』)、「平和記念日に種々な催し 渋沢[栄一・国際連盟協会会長]さんがラヂオ放送」(1926年11月11日付『讀賣新聞』)などである。
いま日本で11月11日の「平和記念日」をよみがえらせることは難しい。しかし、日本が降伏文書に署名した9月2日を新たな「平和祈念日」としても良いのではないか。1939年9月1日にドイツ軍のポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦は、ちょうど6年後の9月2日に東京湾上の降伏調印式で終わっている。
ウクライナやガザでの戦火が次の世界大戦に至るのを防ぐためにも、「八月ジャーナリズム」を超えた広い視野で長期的に戦争を考察するジャーナリズムは必要なのだろう。