欧州の放送コンベンション、"機器"展IBC(International Broadcasting Convention)が今年もオランダのアムステルダムで9月12日から15日までの4日間、開かれた。参加者は170の国・地域から43,858人、出展者も1,300を超えたと発表された。コロナ前2019年の参加者が56,000人だったので、まずまずの回復ぶりと言えるだろう。ちなみに米国のNAB Show 2025の参加者は55,000人だった。
〈多くの来場者で賑わった会場〉
以前、IBCについて、日本のある放送人の発言として「川の向こう側に渡った人たちの祭典」という言葉をご紹介した。日本では「放送とネットの融合」「放送が通信に吞み込まれる」という危機感が声高に叫ばれていた頃だったと思う。その後、欧州では2019年のスイスの地上波全廃、2024年の英国での「地上波維持か、縮小か、全廃か」の問題提起などの流れがあった。欧州ではネットと放送の区別が薄れ、「映像産業」として前進を図っていくという姿勢が浮き彫りとなってきた。今のIBCを見る限りは、さらに進み、関心の中心はAIで、そこでも先を行く彼らは「新たな川の向こう側」で沸き立っている。"機器"ではもはやなく、いろいろな新しいサービス、形のないものが覇を競っている、そんな印象を受けた。
〈クラウド上でさまざまなサービスを提供するAWSは「機器でない」の代表選手〉
"みんなエキサイトしている"
機器展示と並び、セミナー類が多いIBC。今年はAIに関するものが実に多く開かれた。その内容はハイライト映像の自動生成、字幕、翻訳の作成、画質、音質の最適化といった制作技術系から、いかに多くの利用者に自社コンテンツをお勧めとして提示するかを含め、マーケティングまで幅広い。ポジティブな内容だけでなく、AIによってますます精巧化するフェイク対策についても語られていた。時間の関係で限られたセッションしか聴講できなかったが、PRビデオ素材を含めて、いくつかの"語録"を紹介したい。
「AIが数年前に出てきた時、"これはなんだ?" "疑わしい"という目でみられたが、今はみんなエキサイトしている」
「こんなに顧客(視聴者)をつかめることができる術を利用しない手はない!」
「スポ―ツでは実況、解説などのコメンタリーもAIが威力を発揮する場だと思う。自動生成で多言語での展開にも役立つ」
「従来型(リニア)の放送はますます衰える。オンデマンドでパーソナライズされたコンテンツが中心になる。人々がなにを見たがっているか、AIを活用して探り出し、AIを使って好まれるパターンの番組作りを進めることが大切だ」
「AIを使って短く映像の切り出しを行って、その動画をいろんなところで見られるようにする。多くのコンテンツが溢れている時代に、埋もれないようにすることが大切で、そうでないとマネタイズできない。難しいことをするのではなく、持っている映像をアップロード、放り込んでくれれば、後はAIが作業する。FAST(無料広告型配信)もこれからは重要な出し口だ。ここにもAIを活用して切り出した映像を出していける」
「AIを使い、スポーツならもっといろいろなデータを画面に出すことができる。もっともっとAI利用で変わっていくのは、コンテンツのレコメンデーションの進化と、それによるパーソナライズの進化だろう。スマホであるかテレビ画面であるかにかかわらず、人々はますます、パーソナライズされた、自分の好みの、自分のためのコンテンツを見られるようになるだろう。AIの登場によって10年前、20年前にできなかったことが可能になった。AIを使い続けることで、20年後には考えられないような変化が訪れることだろう」
「ユーザー中心の時代に向け、放送を再定義する時だ」
「従来型の放送からオンデマンド型に移行してくるし、ゲームや没入型のコンテンツも増えてくる。画質の向上もあり、これらの映像データは大きい。これらをクラウド上に置き、使いやすい、見つけやすいようにどう整理するかが重要で、AIが活用される」
「テレビはよりパーソナライズされるだろう。それはネットで実現したことでもあるが、これから先、AIの進歩もあって、ストーリーをより自分好みにするとか、ゲームのようにオリジナルな展開になっていくコンテンツも出て来るかもしれない」
「クラウド、AIの活用によってサッカーのクラブワールドカップのような一大イベントの中継も、放送局ではなく、DAZNという配信系ができるようになった」
「AIを使って事前にアイデア、脚本、コンセプトを視覚化するストーリーボード(絵コンテ)を作ることができる。テレビ業界の将来を予測することは難しいが、今以上に悪いことは起こらないだろう。何も恐れることはない。新しい技術に適応し、ワークフローにそれを取り入れていけば良い」
「多くの会社、人々がAIの助けを借りて番組を作る時代になった。10%くらいの番組はすでにそうなっているかもしれない。ただ、それによって番組の作り方が画一化し、クオリティーが下がっているのではないかということが危惧される。差別化を図り、同時に制作を高速化することが大事だ」
「テレビの未来は単に視聴するだけでなく、リアルタイムでコンテンツと対話し、学び、共同で制作することだ」
〈スポーツ配信DAZNも登壇。実況や解説へのAI活用にも言及〉
展示会なので"超・前向き"な発言が続くのは自然なのだろうが、なんとも元気で、会場は活気に溢れていた。くどいくらいたくさんの引用をしたが、「多くの人に同時に同一の情報(番組)を提供できる」という放送古来の特長に対し、「これからのテレビはよりパーソナライズされる」と説く人が多いのも注目される。配信用の素材作り、利用者・顧客の発掘・管理、利用者目線から言えば自分の見たいコンテンツへのアプローチなどの面でAIの活用がますます進む、ということだろう。日本の放送局のような"社員型"企業形態からすれば制作技術面でのAI活用もさることながら、総務・経理系といった放送業務のバックヤードでのAI活用が進むことで、人材がよりクリエイティブな分野や新規事業に振り向けられるというメリットも出てくるだろう。なお、このAI系のセミナーや出展企業にはインド系の会社が多い。数学力、英語力の高さはよく知られるところで、この分野で今後、ますます存在感を増すことだろう。
〈AI、クラウドなどのセミナーはどれも満員の賑わい〉
AIの「+」と「-」
「AIが進歩すると声優さんによる吹き替えでなく、オリジナルの俳優さんの音声で外国語の吹き替えを作れる」。こんな話を昨年聞いた時には少々驚いたが、翻訳・字幕生成・吹き替えに関しては創業数年のベンチャー企業を含め取り組んでいるところが今年はさらに増え、技術の進歩をデモしていた。日本の放送局でも外国語版コンテンツを作る際に利用しているところも出始めていて、AI活用の最もわかりやすいプラス面だろう。
一方で、EBU(欧州放送連合)のブースなどではAI利用でますます精巧化するフェイク映像対策を共同で進めていくことなどがデモされていた。画像や映像に撮影時点からどの機器で撮られたという記録信号を残すのもその一つで、途中で改ざんされるとその痕跡が明示される。SONYブースでも今年の目玉は、カムコーダーとしては世界で初めて、C2PA「Content Credentials」(CC)と言われる来歴情報を署名付きで追加する仕組みの標準化を行う団体の規格に対応したカムコーダーだった。これまでは静止画のデジタルカメラにしかなかったものだ。近年、フェイクニュースの増加で映像の信頼性を担保する技術の重要性が高まっている。この機能は、撮影時に「どのカメラで撮影されたか」という電子署名をファイルに記録する。SONYブースでは、撮影した映像をクラウド上の編集システムにアップロードするとファイルに撮影機名が記録されている様子が実演された。"善玉AI"対"悪玉AI"ではないが、この方面での技術力のせめぎ合いも注目される。
〈EBUブースでのフェイク対策の展示〉
〈SONY 世界初の来歴情報記録のカムコーダーをアピール〉
欧州の"放送"方式DVBは
欧州の放送方式はDVB(デジタル・ビデオ・ブロードキャスティング)、米国はATSC、日本はISDB-T。DVBが出展ブースで何をアピールするかは注目されるが、今年はDVB NIP(ネイティブIP)に絞った内容だった。従来型放送信号の送り方と違うネット型の信号(IP)を、衛星経由でも地上波経由でも送り、同じ放送信号で一般視聴者向け放送(配信)も、「B to B」の公共ホットスポット、交通機関向けのコンテンツ配信もOK。「効率よく家庭のテレビにも、スマートフォンにも、コンテンツが届けられます」という放送の効率の良さとスマホ時代の両方のニーズに応えた展開となっている。ブースではメリットを紹介するセッションが何回も開かれた。衛星を使うメリットとして外洋の船の上でも受信OK、というのはこれまでにもあったが、今回、「遠隔地の兵士の福利厚生にも役立つ」というくだりが加えられ、欧州と戦場の近さをあらためて感じさせられた。
〈今回はDV NIPに絞ったDVBブース〉
〈「兵士への福利厚生」をアピールしたDVB〉
米国の次世代方式ATSC3.0も今回、セミナーを開いた。「欧州に殴り込み?」というわけでもなく、狙いは参加者の多いインドやアフリカ諸国のようだ。初代地デジでは日本方式をとったが次世代では米国方式に変更したブラジルからは、最大の放送局TVグローボの代表も登壇し、サッカーなどスポーツ放送用にモバイル受信を活用できる、などメリットを説いた。また、インドでも試行段階に進むという。もっとも参加者からはメーカー名の名指しこそなかったが「Apple、iPhoneはこの話に乗るのか?」という、iPhoneにワンセグが載らないことで苦労した日本から見ると、「さもありなん」の質問も飛び出した。
さらに米国勢では「5Gブロードキャスト」もブースを出し、セミナーを開いた。これはモバイル端末に直接、電波・コンテンツを届けられるというもので、設備投資が安価で済むことをアピールした。彼らは、米国の小電力のテレビ事業者の団体と深いつながりがある。会場では実際にブースに送信アンテナを設け、デジタルサイネージ画面に信号を送るデモをしていた。もっともセミナーでは、ここでも「iPhoneはこの話に乗るのか?」という質問が出て、「彼らが載せる価値があると判断すれば搭載されるだろう」という答えに留まっていた。
〈5Gブロードキャスト 奥のつい立て上のアンテナからサイネージ向けに電波を発射〉
テレビ100年、日本は
日本は今年放送開始100年だったが、テレビは始祖となる電気機械式が発明されたのが1926年なので、今年のIBCではテレビ100年の企画展示もあった。歴代のカメラや民生品が展示され、振り返り映像も流された。この中で出てくる日本製品はSONYのベータカムのENGや民生品VHSビデオデッキ(だけ)だった。1980年代から90年代初頭、確かに日本経済も勢いがあった時期だが、その後が出てこなかったのは少しさみしい。
〈テレビ100年の展示〉
もっとも日本勢も頑張っている。メーカーブースで言えばSONYはトップクラスの大きさだし、キヤノンもカムコーダー、番組撮影でも存在感を増しているカメラEOSで注目されている。ニコンはムービー系から出発したカメラメーカーやロボットアームの会社を傘下に入れ、レンズが強い富士フイルム(フジノン)は初めて自社製カムコーダーを出品した。
〈SONYブースは会場内で最大規模〉
〈キヤノンはカムコーダーメーカーとしても大きな存在感〉
放送局ではNHKが360度撮影システム、曲面ディスプレー、映像の説明テキスト生成技術を紹介したほか、8K制作のNHKスペシャル『ディープオーシャン 幻のシーラカンス王国』がイノベーション・アワードのコンテンツクリエーション部門で最優秀賞を受賞した。また日本テレビはAIソリューション「エイディ」を機器メーカー朋栄のブース内で出展し、野球とサッカー番組制作に特化した選手の速度、選手間距離のリアルタイム表示や顔認証による選手プロフィールの自動表示など、リアルタイム映像処理機能を紹介した。
〈360度撮影などを展示したNHKブース〉
アムステルダムの空港に着いた参加者から、「今年は会場までの無料バスがなくなった」との嘆息が。確かに円安、欧州の物価高からすると何をするにも高くつく。しかし、円安は日本の輸出産業にとっては追い風のはずだ。駆け足で見て回ったIBCは活気に溢れていた。日本の放送業界も信頼される番組コンテンツ作りのプロ中のプロとして、新しい展開、海外展開を含めて、川のどっち側でもよいので、頑張ってほしいと思った。
〈正面入り口 今年は空港発の無料バスがなくなって空いていた〉
〈EBUの歴史 第2次世界大戦での空白、戦後の冷戦での自由主義圏と共産主義圏への分断も記されていた〉
〈「廉価路線」「値段明記」のブラックマジックデザインの巨大ブースは定着〉
〈色とりどりのマイクの風防 伝送路が何であれこういった放送機器は永遠!〉