始められた処理水の海洋放出 分岐点にある廃炉と復興

木田 修作
始められた処理水の海洋放出 分岐点にある廃炉と復興

8月24日、政府と東京電力は、福島第一原子力発電所から放射性物質トリチウムを含んだ処理水を福島県沖の海に放出した。放出開始は午後1時3分。放出に先立ち、処理水は海水で希釈され、計画で定める1リットルあたり1,500ベクレル以下(国の基準の40分の1)であることが確認された。放出は少なくとも30年は続くとされている。今回、福島のローカル局にいる立場から、この問題について考えてきたことを伝えたい。

処理水放出は復興か

「これは、復興と呼べるのだろうか」

処理水に関する取材を続ける中で、常に問い続けてきたことである。この問題をめぐる論点や課題は多岐にわたるが、私が発信してきた論点は、ほぼこの一点に集約されると言っても過言ではない。

廃炉は復興のために行われ、処理水放出は廃炉の一環である。タンクをなくさなければ、今後の作業は進まないのだから、処理水は放出せざるを得ない。政府と東電はそのように説明してきた。放出を決定した22日の関係閣僚会議でも、岸田文雄首相は「福島の復興を実現するためには、ALPS処理水の処分は決して先送りできない課題」と述べている。「放出=復興」という論理だが、本当にそうなのだろうか。

それでも続く日常

「違う方法があるのだったら、違う方法で解決してもらいたかった」(水産会社社長)
「流してもらっては困るが、やるしかない。決まったことだから」(漁師)
「データをガラス張りにして発信していく。それしか方法がない」(仲買人)

放出当日、同僚たちが福島の浜で拾った言葉である。この日も近海でヒラメやホッキ貝などの「常磐もの」が水揚げされ、競りにかけられた。

「仕方ない」と言って、日常を営む。そこに海を生業にする人たちの強さも感じる。だが、彼らがそうしなければならない道理や余地は、実はどこにもない。処理水の放出は、自然災害でもなければ、彼らが選択したわけでもない。決定に関わったわけでもない。決める側と忍従する側があるだけなのだ。

8月24日のニュースで私たちが伝えたのは、こうした日常の強さと重さであった。処理水が流されても、淡々と日常は続く。それは、日常が持つ強さでもあるが、営む者にとっては重くもある。流された当日も、漁に出て、店に立つ。それがあすもあさっても続く。「前向き」でもなく「覚悟」と呼ぶのも違う。それを、決めた側はどれほどわかっているのだろう。この日、私たちが最も力を入れて発信したのは、そうした浜の日常であった。

放出当日のセリ(いわき市)resize.jpg

<放出当日の競り(いわき市)>

震災前には戻れない

「やっぱり、震災前の状態には戻れないんだろうな......」

2年前、海洋放出の方針が決まった際、ある関係者がぽつりと言った。

私は、二の句が継げなかった。淡いながらも、いつかは訪れるだろうと思っていた「震災前の状態」は、ほぼ間違いなく来ない。

震災前の状態とは何か。2021年の福島県沖の沿岸漁業の水揚げ量は5,525トン。震災前の約2割である。出荷前の検査はいまも行われている。「他産地が豊漁の時には、福島県産が避けられる」「小売りの棚が戻らない」といった、流通の段階での苦境も耳にする。

浜を歩けば、漁業は魚を取って完結する仕事ではないことに気づく。水揚げされた魚は、独自のノウハウとネットワークを持つ仲買人によって買い付けられ、鮮度を落とさぬよう専門的に輸送する業者や製氷業者などがそれを支えている。多様な業種が有機的に結びついていたのが、震災前の浜の姿だ。先行きが見えない中で、廃業した業者も少なくない。魚を取っても流通が困難な港もあると聞いた。「子や孫に継がせてもいいのか」と悩みをこぼす漁業者もいた。

こうした現状に、他の産地にはない新たな負担を加えるのが、処理水の放出なのだ。せめて、他の産地と同様に競争ができる環境や、持続可能な産業の形が示されればよかったのかもしれないが、それもなかった。「風評を生じさせない。万が一生じた場合は賠償する」という方針が、的を射ていないのがおわかりいただけるだろうか。処理水の放出を復興と呼ぶのならば、それなりに厳しい視点を持って臨む必要があろう。私はそう思っている。

果たされなかった約束

処理水の処分について、政府と東電は2015年に福島県漁連に対し「関係者の理解なしにいかなる処分もしない」と、書面で約束を交わしている。相手は地元の最も重要な利害関係者であって、約束が重いものであることは、言をまたない。われわれも早い段階から、放送のたびにこの問題については取り上げてきた。2年前、海洋放出の方針が決まった時点で、私はこの約束がほごにされたと理解したが、それ以降、政府は「この2年で理解を得ていく」という、ある種アクロバティックな論理でこの問題の決着を先送りしてきた。

ところが、放出の方針を決めたことで、理解を得る環境はほとんど不可能なほど困難になってしまった。決定直後から政府と東電は設備の建設工事に着手するなど、2年後に放出を実行するための作業を着々と進めてきた。選択の余地がまったくない中で、漁業者は「理解」を求められ続けてきたのである。決定する側と忍従する側という構図は、いよいよ決定的となったとも言える。

そのため、漁業者側にしてみれば「反対」と言い続けるほかなかったように思う。処理水の問題は、地元の協力や関係者の合意を作りながら廃炉を進めることができる機会でもあり、今後の試金石と捉えることも可能だったが、結局そうした進め方はされなかった。決めるのは政府であり、1,000回以上開かれたとも言われる「説明会」は、主に決まったことを伝える場であった。

そして、処理水が放出されたのである。2年間で溝が埋まることはなく、約束も果たされなかった。ちなみに、約束について岸田首相は「果たされていないが、破られたとは考えていない」と述べている。

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<今後30年間は続くとされる海洋放出>

今後も問われ続ける「廃炉と復興」

何のために廃炉を進めるのか、あらためて問われている。福島県内では、約束が果たされないことへの不信感もたゆたう。本稿では取り上げきれなかったが、法廷闘争への動きも出てきた。協力や合意は今後も「復興のための廃炉」にとっての大切な前提であるが、それが得られる見込みは、より厳しくなったと言わざるを得ない。こうした一方的な決定が繰り返されれば、そのたびに地元は分断され疲弊するだろう。

今回、軽んじられてしまった合意形成のプロセスは、今後も問われ続けるだろう。同じ轍を踏むのか。福島の廃炉と復興はいま、分岐点にあると言えよう。

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