サッカーには放送の力が必要~地元局でのノウハウをサンフレッチェ広島の経営に活かして

仙田 信吾
サッカーには放送の力が必要~地元局でのノウハウをサンフレッチェ広島の経営に活かして

昨年1月、中国放送、RCCフロンティアを卒業して、サンフレッチェ広島社長に就任しました。この年2月23日の開幕戦、難敵鹿島アントラーズをホームに迎え3対0で打ち破り、最高のスタートを切りました。しかし、これがコロナの影響を受けない唯一の試合だったのです。

この開幕戦には、放送で培ったノウハウをつぎ込みました。選手を地元全ラジオ、テレビ局に生出演させてもらい、テレビスポットの大型キャンペーンを張りました。無理の言えるお得意様にぶら下がりの応援協賛をお願いし、600万円を集めました。15秒スポットを民放4局合算で312本放映した効果は絶大でした。過去3年間、開幕戦動員は減り続けて1万4,000人にまで落ち込んでいたのが、1万9,000人に急回復しました。アンケート調査でもCM効果は大きかったと確認でき、地上波の力を再認識したのでした。地方局の皆さん、自信を持って取り組んでください!

その3日後 、Jリーグは全てのエンタテインメントに先駆けてコロナ禍の中断を決めました。それから4カ月半近い中断、さらには再開なっても無観客、収容人数の制限と、興行主としては苦難の日々が続きました。

Jリーグのクラブの特徴は広告費の比率が高いことで、当社も収入の半分を占めます。景況悪化でも広告費をいかにつなぎ止め、できれば伸長させるかが鍵でした。しかし広告主への訪問ができません。新任社長に何ができるのか悩んだ末、手紙を書くことしか思いつきませんでした。広告主にコロナ禍での経営のご苦心をお見舞い申しあげ、そのうえでクラブの現状と社会貢献活動をご報告し、そして被爆2年後のサッカーの奇跡の物語をお伝えしました。広島高等師範学校付属中学が戦後復活なった初の全国蹴球大会で優勝するのです。被爆のわずか2年後です。校舎は倒壊、グランドは芋畑になっていたのを整地し直し、しかも原爆症の不安と闘いながらでした。広島には「地の力」ともいうべきものがあり、必ず今のコロナ苦境も乗り越えられると訴えました。便せん3、4枚が120通余りになりました。多くの反響を頂き、広告出稿を15倍に増額するお得意様も現れ、朝日新聞が全国面で報じました(2020年8月9日、朝刊)。

2020年度第三四半期までの9カ月間、Jリーグの調べでは、全クラブ57社がコロナ禍で新規に獲得した広告は総額にして2億円余り。このうち8,000万円がサンフレッチェ広島だったのです。

昨今のJリーグは、ヴィッセル神戸に楽天、鹿島にはメルカリと大手IT企業が参入していますし、浦和には三菱グループ、名古屋にはトヨタ、柏には日立製作所と巨大資本がついています。私たちはエディオンとマツダがメインスポンサーでしっかり支援していただいていますが、規模と勢いでは、こうしたクラブには及ばない地方クラブです。しかし、地上波の営業で地元広告主と築いた信頼関係は、苦難の時にクラブを助けてくれました。放送局営業とサッカークラブの営業には、共通点があります。飛び込みセールス先であっても、まず話だけは聞いてやろうと思ってもらえる利点です。この話をJリーグの営業委員会で講演しましたら、九州のクラブが放送局幹部OBを営業顧問として招聘したと聞きました。

入場料収入、グッズ売上が大きくダウンし、2020、21年度の経営は大幅な赤字に陥りましたが、新規の広告出稿増がなければ、もっと悲惨なことになっていました。

サッカーの面白さは大画面でないと伝わらない

今、広島のサッカー中継はNHKの地上波、BSだけで、ここ数年、民放の放送実績が全くありません。全試合を放送する広島東洋カープ、急速に生中継を増やすBリーグに比べ、明らかに見劣りします。来シーズンからは、民放各局にもお願いして生中継を実現しようとしています。サッカーの面白さは、テレビ生中継の大画面でないと伝わらないと思うからです。2017年のDAZN(ダゾーン)との契約によってJリーグのサッカー視聴環境は大きく変化しました。Jリーグからの配分金が大幅に増え、とりわけJ1所属チームは助かっています。一方で有料会員の視聴だけでは、ファンの広がりに限界があります。やはりサッカーの存在を再認識してもらうためには、地上波テレビの力が必要です。ひたむきに懸命に走り、ぶつかり、倒れ倒されという選手たちの姿やゲーム展開は、スタジアムで鳥瞰することは可能です。しかし、その表情や迫力、一つのプレイの裏にある瞬時にして緻密なひらめき、それらは、テレビのリプレイや拡大したアップ映像によるモンタージュでしか確認できません。その意味では、今年、ワールドカップ・アジア最終予選の地上波生中継がなくなったという事態は、深刻に受けとめています。

広島にはカープがありますから、民放各局は週一枠のスポーツ番組を持っています。平日夕方のローカルニュースゾーンも充実しています。サンフレッチェは独自のゴールデン帯ミニ枠も持っていますが、なんといっても、ニュースで取り上げていただくことの波及効果が大きいため、発信の努力を続けています。

復興と平和の象徴 新スタジアムで実現 

2024年の開幕に合わせて、新サッカー専用スタジアム(=画像)が完成します。広島平和公園の北隣になり、広島城に隣接します。市街地中心部の専用スタジアムは全国初です。東京に喩えると、日比谷公園がサッカー場になるような最高の立地です。陸上競技場を兼ねる今のエディオンスタジアムと違い、観客席とピッチの間隔は8mと近くなり、迫力はストレートに観客に伝わります。公共交通機関の使い勝手が悪く、最寄り駅から急な坂道が長く続くというアクセス問題も解消します。

世界中から訪れる観光客には、被爆からの復興に勇気を与えた広島サッカーの歴史をミュージアムで体験していただくこともできます。建築家・丹下健三氏は広島平和記念資料館→原爆死没者慰霊碑→原爆ドームを南北一直線(丹下ライン)に設計し、その延長線上に、サッカーのできる総合運動場を想定していました。ここから湧き上がる歓声こそが復興と平和を象徴すると志したのですが、その夢が80年近くたって実現します。いよいよ、2年後です。

丹下氏が広島の復興をサッカーにシンボル化したように、広島にとってサッカーは特別な存在でした。その歴史を掘り起こそうと、サンフレッチェ広島のウェブサイト内に広島サッカー史のページを新設しました。ここでは、被爆者でありながらサッカーによって生きる勇気を得たという証言が並びます。東洋工業サッカー部監督として前人未到の4連覇を成し遂げた下村幸男さん、サンフレッチェ初代総監督の今西和男さん、メキシコ五輪の日本代表として銅メダルを獲得した小城得達さん、三人とも被爆者です。メキシコの栄光を勝ち取った代表18人中6人が広島関係者で、監督の長沼健さんも広島出身の被爆者でした。広島サッカーの強さの秘密は、第一次世界大戦のドイツ軍捕虜から本格的な欧州サッカーを学んでいたことに始まります。そして今年新たに、明治23年、広島県江田島市の海軍兵学校でサッカー試合が開催され地元に披露されていたという史料を発見しました。日本に初めてサッカーを伝えたのは英国海軍ですが、その後の流れが不明だったところ、伝統が江田島に息づいていたのです。

さらに来年秋には、広島駅北口のJR広島支社跡地にフットサルコートと芝生広場が完成し、サンフレッチェが運営します。新幹線を降りて駅正面を出ると、目の前で、たくさんの人たちがサッカーに興じ歓声を上げているという、私どもにとって夢のような舞台になります。サッカー王国広島を象徴するシーンです。

選手たちが私のモチベーション

今年、JAXAはやぶさ2プロジェクトマネージャー・津田雄一さんに、サンフレッチェ夢チャレンジ大使 にご就任頂きました。52億キロを飛行して小惑星「リュウグウ」から成分を持ち帰ることに成功し、この分野で日本を世界一に押し上げた立役者です。その津田さんが、はやぶさ2とサンフレッチェの共通点を、このように語ります。「個々の力量アップとともに優れたコミュニケーションでチームワークを形成すること」「挑戦する喜び」「国際協力と国際平和」だと。

日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」にも中四国九州では唯一、サンフレッチェ広島レジーナが参戦しました。男女のプロを擁するのは浦和、大宮と私たちだけです。これを契機にSDGsの実践にも本格的に取り組むために、広島県内23市町や大学と連携を強めていきます。

サッカーは得点がなかなか入らないスポーツです。だからこそゴールの感動が大きく、世界一人気のあるスポーツたりえています。クラブ経営は悩みの連続です。そうしたときに、選手たちの懸命なひたむきな練習を見学します。豊かなモチベーションを生む私の原動力です。

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