第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・技術編) 変わっていくもの、変わらないもの

川合 亮
第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・技術編) 変わっていくもの、変わらないもの

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、2024年で第100回を迎えました。第1回は、1920年に東京高等師範学校(現筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校の参加でスタート。第二次世界大戦による中断もありましたが、その歴史、たすきをつないできました。青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした今大会も、民放はテレビが日本テレビ、ラジオは文化放送とRFラジオ日本が生中継を行いました。

民放onlineでは、連続企画として各局の担当者に第100回箱根駅伝を振り返ってもらいます。
今回の日本テレビ・技術編は、テクニカルマネージャーを担当された川合亮氏に執筆いただきました。


2024年1月2日(火)―3日(水)、第100回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が行われた。駒澤大学の大学三大駅伝三冠がかかる大会であったが、青山学院大学の2年ぶり7回目の優勝で幕を閉じた。大会記録を2分以上更新する劇的な優勝であった。その一方で、1日に「能登半島地震」、2日には羽田空港で「JAL機と海上保安庁航空機の衝突・炎上事故」が起き、この先忘れることのできない印象深い大会となった。

大切にしているもの

今回100回大会を迎えた箱根駅伝、日本テレビの中継は38回目となった。幾度もの選手たちのたすきリレーの裏側で、われわれ技術チームにも昔からつないできた大切にしている冊子がある。それは、「技術資料」と呼ばれていて、その年のOAに向けた技術プランをまとめ、毎年作成している冊子である(=冒頭写真)。こう聞くとものすごくシンプルに聞こえるが、われわれにとってはまさに「虎の巻」なのである。

箱根駅伝の中継では、往路107.5km、復路109.6kmのコースの間に約50カ所のポイントを設けている。本番時にそれぞれのポイントには700人近い技術のスタッフが関わっていて、多くのプロダクションや日本テレビ系列各局の方々にも正月返上でご協力いただいている。そうしたすべての方が当日に向けて確認する資料、これが「技術資料」なのだ。多い時には200ページを超える。

とにかく、この資料を見れば技術に関することは隅々までわかるのである。どの時間にどのポイントで誰が何をしているかなどのスケジュールから、各ポイントの系統図や使用するトイレ、お弁当の数まで確認することができる。前述のとおり、これらは諸先輩方が箱根駅伝の中継を始めると決めたその日から毎年修正を重ね、たすきのように引き継がれてきたものである。

変わらないもの

今回、原稿を執筆するにあたり、25年前の技術資料をあらためてのぞいてみた。私は音声出身であるため、音声資料から見たのだが、そこに当時の音声プランナーの所信表明としてこんな言葉が残されていた。

「ノイズは厚く(熱く)!!コメントを食っても構いません」(原文のまま)

わかりやすく言うと、歓声やその場の雰囲気の音が、実況のコメント音よりも大きく聞こえても、場面によっては臨場感を伝える手法の一つとして構わない、ということだ。

この言葉を見て、2023年から今年のOAにかけて改善された点としてピンとくる場面があった。レース中に監督車からランナーに向けて士気を鼓舞するための言葉がかけられるシーンである。23年から監督の「声かけ」シーンにもう少し注目しようという試みがなされていた。今までの中継でも何度も繰り返されてきたシーンではあるが、これを表現するのはすごく難しい。そのため23年はタイミングも"バラバラ "で、どことなく"ちぐはぐ"な演出になってしまっていた。

だが、今年は監督の声かけが始まると、音声ミキサーが監督の言葉を少し立ててMIXを行い、それを聞いたアナウンサーが実況をやめる。23年から画面左上に表示している「監督 声かけ中」というスーパーと相まって、新しい表現として成立した気がした。そこであらためて今年の音声プランナーの言葉も技術資料で確認してみた。

「先輩方が引き継いできた"箱根駅伝の音"を今年も視聴者の皆様へ伝えていければと思います(中略)どうか力をお貸しください」(原文のまま)

この言葉のとおり、成長の糧となったのは、25年も前から引き継がれてきた箱根駅伝の音に対する"信念"であった。昨今、IPやAIなどの言葉が並び、近い将来には大きな技術的な変革が予想される。箱根駅伝でもその準備に余念はないが、こうして変わらず心がけてきた"信念"のひとつが、OA上で形となったことに喜びを感じたのは言うまでもない。

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<サブコントロールルーム(副調整室)>

第100回箱根駅伝を終えて

このように技術の継承を目の当たりにし、喜ばしいことがあった半面、今年の箱根駅伝はそればかりではなかった。

毎年1月1日は、丸1日かけて東京から箱根までほぼキューシートどおりに総合リハーサルが行われる。そのリハーサルが終わり、いよいよ翌日の往路本番に向けて最終準備をしていたそのときに「能登半島地震」が起きたのである。汐留の放送センターでも、高層ビルならではの大きな揺れを感じ、「明日のレースは行われるのか?」「報道対応はどうなるのか?」などの不安が後を絶たなかった。19時半過ぎには箱根駅伝で使用するはずのヘリコプター1機が報道対応のため使用されることが決定し、ヘリコプターのフライトプランは変更を余儀なくされた。空撮を減らし、地上で電波をつなぎきることで、何とか無事に往路OAを終えることができ、少しほっとしていた。だが、安心するにはまだ早かった。「JAL機と海保機の衝突炎上事故」が起きたのである。復路は緊張感の中、計画どおりのOAにこぎつけることはできたが、箱根駅伝中継期間中にこのようなことが起きるのは後にも先にもきっとないと思いたい。

今回、この経験が無駄になることはないと私は思う。なぜなら今回の箱根駅伝が特別な1回なのではなく、38回のどれひとつとして同じものがない経験に積み重なったひとつであるに過ぎないからだ。

先日、毎年行われる技術反省会があり、130ページにも及ぶ反省文を受け取った。その反省点も次の1回、いや、次の100年分の大会につなげていってほしい。

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