第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・制作編) これからも「夢」であり続ける

望月 浩平
第100回箱根駅伝中継・担当者の声(日本テレビ・制作編) これからも「夢」であり続ける

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、今年で第100回を迎えました。第1回は、1920年に東京高等師範学校(現筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校の参加でスタート。第二次世界大戦による中断もありましたが、その歴史、たすきをつないできました。青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした今大会も、民放はテレビが日本テレビ、ラジオは文化放送とRFラジオ日本が生中継を行いました。

民放onlineでは、連続企画として各局の担当者に第100回箱根駅伝を振り返ってもらいます。
今回の日本テレビ・制作編は、プロデューサーを担当された望月浩平氏に執筆いただきました。


日本テレビが「東京箱根間往復大学駅伝競走」の中継を始めたのは、日本がバブル景気に沸く1987年のことでした。往復200km超のレース、過酷な山中での中継、出場するのは関東の大学だけ......番組の企画書は何度も突き返されたそうです。それでも先輩方の熱意が会社を動かし、最初の2年は一部中断がありながらも生中継を実施。3年目には完全生中継を実現させ、現在に至ります。

テレビが箱根駅伝を変えてはいけない

以来38回にわたり中継させていただいているわれわれが、最も意識しているのは「テレビが箱根駅伝を変えてはいけない」ということです。これは中継に関わるスタッフに代々伝えられている言葉であり、ポリシーでもあります。

考えてみれば、お正月に国道1号などの幹線道路で200km以上のロードレースをやるという壮大な試みは、今の時代に始めようとしてもできないと思います。1920年に始まったこの大会が、戦争や震災、パンデミックなどの困難を乗り越えて100回も続いたのは、何よりも選手の熱意と、それを支える多くの方々の協力があったからこそです。われわれはそれを「放送させていただいている」に過ぎない。だからこそ、主役である選手の名前は全員呼ぶ、たすきリレーは必ず見せる、そして大会の歴史や支える人たちの物語を伝える。技術が進歩して画面上の見た目やディテールが変わっても、そうした根っこの部分は変えてはいけないと思っています。

当社が中継を始めた1987年当時のマニュアル(「放送手形」と呼んでいます)やキューシートを見てみると、基本的なカメラの配置や構成が現在とあまり変わらないことがわかります。「トップ選手だけでなく下位の選手もしっかりと伝える」「優勝争いだけでなくシード権争いにも注目する」などのフォーマットは、40年近く前に確立されたものなのです。

(改)中継開始当時(1987年)と現在の放送手形(マニュアル)とキューシート.jpg

<1987年の中継開始当時㊧と今回の放送手形とキューシート>

非常事態での第100回大会中継を終えて

記念すべき第100回箱根駅伝を迎えるにあたっては、社内外から協力をいただき多くのプロジェクトを実現させることができました。2023年の9月には番組公式ホームページを大幅リニューアルし、日本テレビが中継を始めた1987年以降のダイジェストなど400本超のアーカイブ動画を無料公開。PV数は飛躍的にアップしました。また全国の大学に門戸を開いた10月14日の予選会は、初めて地上波全国ネットで生中継。12月12日には中継の名物コーナーを書籍化した『箱根駅伝「今昔物語」100年をつなぐ言葉のたすき』を刊行し、12月30日には伝説のシーンをドキュメンタリーや証言、再現VTRで描いた初のゴールデン特番『箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP』を放送しました。

しかし、元日の能登半島地震で、一時は大会の開催自体が危ぶまれる状況となりました。さらに2日の羽田空港での航空機衝突事故と、年明けから災害や事故が相次ぐ中、箱根駅伝第100回記念大会は開催されました。往路ではレース中に2度ニュースが挿入され、空撮用のヘリコプターは2機のうち1機が災害報道に向かうなど、中継プランの変更も余儀なくされましたが、このような状況だからこそ、真摯にお伝えすることを肝に銘じて中継に臨みました。サブコントロールルーム(副調整室)内(=冒頭写真)にも例年とは違う緊張感がありましたが、なんとか2日間14時間超の生中継をお届けすることができました。

このような非常事態で、大規模なスポーツ大会を開催する意義、そしてそれを放送させていただくことの意義を考え続けた2日間でした。

100回、夢でありつづけた

これだけ「タイパ」(タイムパフォーマンス)と言われる時代に、11時間以上かかるレースがなぜ支持され続けるのか。それは、あらゆる人たちの「夢」が詰まったコンテンツだからだと思います。変わり続ける世の中で、変わらない箱根駅伝の価値......強豪校のエースも、決してエリートではないランナーも「仲間とたすきをつなぐ」というまっすぐな夢は、今も昔も変わりません。

そしてこの大会は、われわれスポーツ番組制作に携わる者にとっても、夢の舞台であり続けています。日本テレビ系列にとって「箱根駅伝」は、夏の「24時間テレビ」と並ぶ一大イベントです。中継に携わるスタッフは約1,000人。そのうち約3分の2は技術スタッフで、ネット局からも毎年応援を派遣いただいています。家族でゆっくり過ごしたい年末年始、寒い山中で働いていただくのは本当に申し訳ないのですが、それでも毎年「箱根駅伝に行きたい」とご協力くださっている皆さまには、感謝しかありません。

また、制作スタッフやアナウンサーは、大会翌日の1月4日から新チームが始動する大学に足を運び、春には入寮、新人戦、関東インカレ。夏には合宿、日本インカレなどトラックシーズンへ。そして秋になると駅伝シーズンに突入し、10月の予選会を経て、お正月の本番へ......と、1年がかりで箱根駅伝を追いかけています。

これからも、時代を超えて変わらない、古くて新しい箱根駅伝の魅力、地域や年齢を超えた普遍的な価値を伝えていくというコンセプトを大切に、この素晴らしい大会を放送させていただくわれわれも、歴史のたすきをつないでいきたいと思います。

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