東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、2024年で第100回を迎えました。第1回は、1920年に東京高等師範学校(現筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校の参加でスタート。第二次世界大戦による中断もありましたが、その歴史、たすきをつないできました。青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした今大会も、民放はテレビが日本テレビ、ラジオは文化放送とRFラジオ日本が生中継を行いました。
民放onlineでは、連続企画として各局の担当者に第100回箱根駅伝を振り返ってもらいます。
今回の文化放送編は、チーフディレクターを担当された黒川麻希氏に執筆いただきました。
1994年の第70回大会に始まった文化放送の箱根駅伝中継は、今回で31回目の放送を終えた。当社を含めて全国33局にネットし、1月2、3日ともに7時30分から14時30分までの各日7時間、計14時間という規模は、民放ラジオ最大のスポーツ番組と言っても過言ではないだろう。中継は、日本テレビからの映像を見て実況や解説を行う放送センターを中心にして、たすきリレーが行われる各中継所やコース内の中継ポイントに配置されるアナウンサーの実況、リポートを交えて構成される。アナウンサー、ディレクター、アルバイトスタッフ、技術スタッフに加え、ホームページやXの更新スタッフも配置され、およそ70人のスタッフが携わる。
放送センターには解説、実況だけでなく、タイム差や「5区を青山学院大学の若林宏樹選手が何分以内に走れば往路新記録を更新」といったデータを入れる情報センターアナウンサーもいる。先頭の位置、順位、タイム差をわかりやすく伝えることが最優先事項であることは言うまでもないが、選手それぞれの目標や戦績、表情や動作などを交えて伝えている。
「名前の由来は......」選手の横顔を伝え続ける意味
さらに、レースそのものとは別の情報を扱う「選手情報アナウンサー」の存在も欠かせない。ここに当社中継の最大の特徴がある。
放送センターの中で選手情報アナウンサーは、"父が"、"祖父が"箱根を走った経験があるといったエピソードはもちろんのこと、選手の横顔が見える情報を伝えている。駿河台大学で3区を走った古橋希翁(きお)選手(1年)は「『翁』(おじいさん)になっても『希』望を捨てないように」という思いで名付けられたというエピソードを紹介。神奈川大学の宮本陽叶(はると)選手(2年)は「ガンダムが大好き。今の部屋にはフィギュアはあまり置けず60体くらい。実家には父、弟のものとあわせて500体近くあり、母があきれ返っている」という話や、法政大学の野田晶斗選手(1年)は「京都産業大学附属高校から初の陸上長距離で関東に進学したランナー。初めての寮生活で食事も洗濯も掃除もすべて親に頼っていたなぁと思い知った」ということまで紹介した。
それもこれも、礎となっているのは膨大な取材資料だ。エントリーされた選手全員に直接取材し、レースや競技のこと以外にも素顔に迫る取材を続けている。
選手の横顔を伝えることの目的は何か。彼らは「選手」である前に、「学生」であることを感じてもらうためだ。ときに満員電車に乗って大学に通い、授業や試験を受け、休日には友人との時間を過ごす普通の学生としての姿を伝えることで、より身近に感じてほしい、放送を聴いて一緒に応援してもらいたいという当社の思いがある。
取材すること、取材したものをまとめること、さらには資料の読み込みと作業量に比例する大変さはあるが、これが中継の肝であることは間違いない。
1年間取材を続けた集大成
箱根駅伝に向けた取材はある程度、継続性が必要になることは言うまでもない。基本的にはアナウンサー3人、ディレクター4人でプロ野球、競馬、ボートレース中継などを年間とおして制作し続けている。マンパワーを潤沢に割けない現状はあるが、少しずつでも積み重ねていくことが素地になる。駅伝シーズンでなくても、それがオンエアには直結しなくても、足を使って記録会や試合に行くこと、選手を見ること、話を聞くこと。選手だけでなくわれわれにとっても、こうした積み重ねの集大成が箱根駅伝なのだ。今回も第100回という歴史を感じ、先人たちへの敬意や感謝を持ちつつも、今の選手や家族にとっては4年間のうちの1度であることを大切に、箱根駅伝中継を全員で作り上げた。放送後、多くの監督やチームスタッフから「文化放送を聴いていたよ」と言っていただけたのは、そうした思いが放送に表れた結果かなと、ひとつ手応えを感じる部分になった。
余談だが、年間をとおした取材の音源は箱根駅伝のオープニング2分間に詰め込まれている。今回は「箱根駅伝は自分にとっては『約束』です」という青山学院大学の倉本玄太選手(4年)の言葉で放送をスタートした。喜びだけでなく、悩んだこと、苦しかったことも含めて語る多くの選手の声が使われている。7時30分からラジオを聴く方は多くはないかもしれないが、ひとつこだわりを込めている部分だ。
「箱根駅伝とは?」を考える
私は文化放送のアルバイトとして携わる92回大会まで、箱根駅伝を見たことがなかった。現地ではもちろんのこと、テレビですらだ。ここまでアルバイトとして3回、ディレクターとして3回携わったのち、チーフディレクターとして3回の箱根を経験したが、箱根駅伝の魅力を一言で表現することができずにいる。自分の人生を変えた大きなコンテンツであること、その偉大さを感じるが故に言葉にできていない。先輩ディレクターの大津誉之は「箱根駅伝は鑑(かがみ)」と話したことがあったが、今はその言葉が私にとってもなんとなくしっくりきている。
「箱根駅伝とは?」と、かつて当社の駅伝中継の中心にいた松島茂アナウンサーにも聞いたことがある。そのときにいただいたのがこの色紙だ。
「一年の中で、一番気持ちを込めて、少しでも多くの人にそのドラマと感動をお伝えしたい‼のが、箱根駅伝!! 松島茂」
松島アナは2020年2月に他界されたが、放送センターには写真を置いて、その魂を感じながら中継している。先人たちが作ってきた箱根駅伝、その中継をおかしなものにしたくない、より良いものにしていきたい、そんな思いで中継に向かっている。
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