第100回箱根駅伝中継・担当者の声(RFラジオ日本編) 「感謝」を感じた大会

矢田 雄二郎
第100回箱根駅伝中継・担当者の声(RFラジオ日本編) 「感謝」を感じた大会

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、2024年で第100回を迎えました。第1回は、1920年に東京高等師範学校(現筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶應義塾大学の4校の参加でスタート。第二次世界大戦による中断もありましたが、その歴史、たすきをつないできました。青山学院大学が2年ぶり7度目の総合優勝を果たした今大会も、民放はテレビが日本テレビ、ラジオは文化放送とRFラジオ日本が生中継を行いました。

民放onlineでは、連続企画として各局の担当者に第100回箱根駅伝を振り返ってもらいます。
今回のRFラジオ日本編は、プロデューサーと放送センターのアナウンサーを兼任で担当された矢田雄二郎氏に執筆いただきました。


毎年1月2、3日の箱根駅伝中継が終わると、しばらく興奮状態が続きます。やり終えた充実感、もっとやれることがあったのではという自問自答......さまざまな思いが昼夜問わず何日も頭の中をめぐり続けます。

ただ、今回に至っては何日どころではなく、大会後ひと月ほどが経過しているのにもかかわらず、今もなお頭の中から"箱根駅伝"という言葉が消えずに熱が冷めない気がしています。節目の100回という言葉がどうも重くのしかかり、勝手にプレッシャーを感じていたからだろうと思いますが、記念大会を盛り上げたいという思いは、私だけでなくスタッフ全員が持っていたと感じます。

大会前日に能登半島地震があった中、無事に大会が行われ、放送もさせてもらえたことには、あらためて多方面に感謝しているところです。

異例の早さで始動

例年は夏を過ぎてから中継準備に取り掛かることが多いのですが、この100回大会に向けた準備がスタートしたのは、99回大会が終わった直後の2023年1月中旬からでした。年々注目度が増し、一般のファンも多数沿道に訪れる大イベントであるため、安全面の観点で、主催者から「100回大会は中継所のラジオ放送エリアに関して再考してほしい」との要望があったためです。

99回大会が終わったばかりにもかかわらず、今後の方針などについてラジオ中継を行うNHK、文化放送との協議が始まりました。それだけ主催者側も100回大会に向けて強い思いがあるのだなと感じたのが思い出されます。いずれにしてもこれまでとは比べものにならないほど早いタイミングでの始動でした。そこからは定期的にラジオ各社や主催者サイドと話し合いを重ね、大会直前の12月まで協議を続けて、あっという間に1年が経過した印象です。

個人的にも、プロデューサーと放送センターのアナウンスを兼任したことで、まさに怒濤(どとう)の日々でした。

放送センターの中継風景.jpg

<放送センターの中継風景>

前日に起きた能登半島地震

大会前日、中継リハーサル中である1月1日夕方に能登半島地震が起きました。

甚大な被害を目の当たりにし、どんなスタンスで放送を進めるべきなのか議論を重ねた大会ともなりました。どちらかと言えばこれまでの大会はお祭りムードで盛り上げることがベースにありましたが、選手の家族が被災しているかもしれない中、果たして同じ感覚で良いのか考えさせられた2日間であり、放送ができるということも当たり前ではないのだと感じた特別な大会となりました。

中継のこだわり

ラジオ日本の中継では伝統的なこだわりとして、選手の声、選手の人間味を大切にしています。具体的には、事前に行う全チームへの取材において、意気込みなどの声を収録し、その選手が走っている最中に放送するというものです。コメント内容は「ゲン担ぎは〇〇です」「大会が終わったら〇〇をしたいです」など多岐にわたり、選手たちは毎年実に若者らしい声を聞かせてくれます。

以前、ある大学の監督への取材の中で、強豪校に名前負けしないようにするため、選手に対して「大学が走っているのではない。タイムが走っているわけでもない。人が走っているんだと伝えている」と伺いました。まさにそのとおりで、走っているのは大学ではなく人間です。過酷な戦いの中でも、リスナーにはアナウンサーの説明だけでなく本人の声をとおして人間味を感じ、想像してもらいたいという思いがあり、長年にわたり継続しています。今大会は130人以上の声を放送しました。それはリスナーと距離の近いラジオの武器であると考えています。

また、取材の時点から選手のパーソナルな部分を引き出し、その選手の個性がわかる紹介をすることにも注力しています。選手の紹介を個性的にできることがラジオの存在意義につながるとも思っています。加えて今大会は予選会が全国化した背景もあり、必ずと言っていいほど選手紹介でその選手の出身地を付け加え、リスナーとの共感を図りました。

新型コロナの5類移行により、中継をする上でも4年ぶりにほぼ制限のない例年どおりの大会に戻りました。しかし、事前取材は依然としてオンラインが多いのが現状で、インフルエンザの流行も加わり、なかなか対面取材が完全復活できていないのも事実です。声をしっかり生で聞き、深い取材をすることの難しさを感じています。

箱根駅伝を伝える難しさ

箱根駅伝の魅力の1つに、風景が変わることが挙げられます。往路を見ても、ビル街、海岸線、山と5時間半の戦いの中で景色はガラリと一変します。ラジオでは、その変化を映像で伝えられないため、どのようにリスナーに想像させるのかには毎年苦労しています。言葉で「海岸線に出てきました」「山に入りました」と言うのは簡単ですが、その変化をどうすればわかりやすく伝えられるか模索する日々です。

技術的には各中継所にアナウンサーのマイクだけではなく、観客用のマイクも設置して現地の盛り上がりをお伝えできるよう工夫していますが、景色の変化の伝え方には課題が残ります。

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<沿道に設置されたマイク(戸塚中継所)>

学びを深めた100回大会

今回はこれまで以上に密に主催者や各中継局と連絡を取りあった箱根駅伝だったと感じています。放送を行う側としても、ハード面など何から何まで多岐にわたる協議を重ねたことで多くの考えを得ることができ、学びを深められました。取材をする中で、よく「感謝」という言葉を選手から聞きますが、まさに中継をする上でも感謝を感じた大会でした。新たに101回へと歴史を刻んでいく大イベントですが、得た知見をさらに進化させ今後も盛り上げていけるよう努めていきたいと思います。

この場を借りて、各大学、関東学生陸上競技連盟、読売新聞社、日本テレビ、各ラジオ局の皆さまにあらためて感謝を申しあげます。ありがとうございました。

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