安倍晋三元首相の「国葬」を生中継した各局の番組は、世論の分断に配慮する(翻弄された?)かのように、それぞれ独自の工夫や試行がみられ、視聴者に与える印象も大きく異なるものだった。そこで本稿では、NHKおよび民放各局の特徴をごく簡潔に比較してみたい。
通常のテレビ放送の編成が変更され、特別枠で中継される出来事を「メディア・イベント」と呼ぶことがある。4年に一度のオリンピックやサッカーワールドカップなどが典型的だが、直近では英エリザベス女王の国葬に世界中の人びとが注目した。こうしたメディア・イベントは、視聴者のあいだに特別な連帯の感情を媒介する傾向がある。安倍晋三元首相の国葬に対する反発や懸念は、法的根拠や開催費用の問題もさることながら、政府は国民に弔意を求めないとしながらも、主にテレビの生中継を通じて日本中が否応なく追悼ムードに包まれることに対する警戒感にも起因していたはずだ。それでは実際のところはどうだったのだろうか。
NHK ――詳細な実況中継に加えて、
安倍政権の多角的検証も
NHKは特別番組とは銘打たず、あくまで「安倍元首相 国葬」関連の「ニュース」という位置づけで、政治部、社会部、国際部のデスクによる解説を交えた中継をおこなった。進行役のアナウンサーを含めて、出演者4名は全員が男性局員だった。
ざっくりまとめれば、国葬中継については会場の状況を粛々と実況した半面、その前後で、国葬に対する賛否のみならず、安倍政権の功罪を多角的に検証することで、全体として世論に配慮した格好だ。具体的にみていくと、番組の冒頭では、周囲の飲食店の戸惑い、海外メディアの疑問の声を取り上げたうえで、森友・加計問題、「桜を見る会」の問題に言及した。さらに、日本武道館に遺骨が到着する直前まで、国葬の是非に関する国会論議、開催費用の問題、世論調査の結果などを詳しく報じた。
葬儀の中継については、会場のスクリーンに「生前の姿」が8分間にわたって映写されているあいだは、「会場では政府が制作した映像が映写されています」というテロップをたびたび表示した。また、すべての弔辞について、手話通訳をワイプで表示した。海外要人の献花の際は、国際部デスクの解説が精彩を放ち、弔問外交の効果には疑問を呈した。献花の途中からは中継が断続的になり、菅義偉前首相の弔辞などを振り返ったうえで、安倍政権の外交安全保障政策を検証したVTRが流れた。その後、森友・加計問題、「桜を見る会」の問題に再び言及したうえで、国葬反対のデモや集会の様子、さらに旧統一教会をめぐる問題を取り上げた。
フジテレビ ――安倍元首相の功績を評価し、
弔意を前面に
フジテレビは『FNN特報』として、4時間の特別番組を二部構成で放送した。11時45分から始まった第一部は、日本武道館前、一般献花会場、迎賓館前、安倍元首相の自宅前などからの中継を中心に構成。反対デモの中継もおこない、開催費用の問題、世論調査の結果などを取り上げた。国葬に対する批判的意見に繰り返し言及し、弔問外交の効果にも疑問を呈した。ただし、NHKとは異なり、安倍政権の評価には踏み込まなかった。出演者からは、国葬の賛否とは切り離して、安倍元首相を悼む人びとの気持ちを尊重したい、という趣旨の発言が相次いだ。
出演者とスタジオセットが切り替わったのは、13時10分頃のことだった。第二部は奥寺健アナウンサーと生野陽子アナウンサーが司会を担当し、先崎彰容氏(日本大教授)、政治部長の松山俊行氏が出演した。スタジオに花を飾ったのはフジテレビのみである。国葬の開始に先立って、安倍元首相の「功績」を振り返った。森友・加計問題、「桜を見る会」の問題にも一言触れたが、「......国会などで追及を受ける場面もありました。けれども、アメリカのトランプ大統領と蜜月関係をつくって、G7でもメインプレイヤーとして世界のリーダーと渡り合うなど存在感を発揮していました」と続け、安倍外交の実績、とりわけ日米関係に大きな役割を果たしたことを印象づけた。先崎氏と松山氏はいずれも、戦後レジームからの脱却、長期政権にもとづく安定感、官邸主導の政治などの観点から安倍政権を高く評価したうえで、戦後2回目の国葬にふさわしい人物であること、今日の国葬に世界中が注目していることを強調した。
NHKと同様、葬儀が始まって当分のあいだは粛々と中継をおこない、出演者の実況やコメントは控え目だった。「生前の姿」映写は、全画面でその一部始終を放送した。この判断はフジテレビのみである。岸田首相と菅前首相の弔辞については、手話通訳をワイプで表示し、その一部始終を字幕付きで中継した。生中継に字幕がついていたのは、フジテレビのみである。皇族方による供花の途中で中継はいったん打ち切られ、再び、国葬の賛否に話題が移った。反対デモの中継を交え、さらに霞が関や各自治体の対応も一枚岩ではないことが紹介された。
その後、ワシントンからの中継に移り、アメリカでは安倍元首相の存在感、国民からの評価が高かったことを、市民に対するインタビュー映像を交えて強調した。先崎氏は最後に、菅前総理の弔辞を高く評価したうえで、「穏やかな、溜めのある、心の構えを持つことがおそらく日本に一番欠けている。今日この式典を見て学ばなければならないこと」とまとめた。このコメントが象徴するように、番組全体として、安倍元首相に対する弔意を強く打ち出した構成だった。
テレビ朝日 ――銃撃事件の背景や
今後の政局を検証
テレビ朝日『大下容子ワイド!スクランブル 拡大SP』も二部構成だったが、10時25分から12時50分頃までのあいだ、国葬に関する報道は計30分程度にとどまった。
いつもであれば番組が終了する12時59分から始まった第二部は、進行役の大下容子アナウンサーと佐々木亮太アナウンサーに加え、ジャーナリストの後藤謙次氏、政治部長の藤川みな代氏が出演した。安倍元首相の自宅を車が出発し、防衛省前を経由して日本武道館に到着するまでは、空撮の映像を交えて、詳細な実況や解説をともなう中継をおこなった。だが、遺骨が会場に到着してからは、出演者の口数は減り、一転してしめやかな雰囲気に。葬儀の中継のあいだ、出演者の顔をワイプで映していたが、黙祷のあいだはそれを消した。「生前の姿」の映写は途中でCMを挟んだ。その後、会場からの中継を一度中断。スタジオで安倍政権の足跡を振り返り、アベノミクスや安全保障の成果を強調した。岸田文雄首相と菅前首相の弔辞については、手話通訳をワイプで表示し、その一部始終を中継した。
CMを挟みながら皇族方の供花、そして岸田首相、安倍昭恵夫人の献花まで終わったところで、自民党と旧統一教会との関係をまとめたVTRが流れた。事件現場からの中継を挟んで、スタジオでは大きなパネルを用いて旧統一教会の問題を再び取り上げた。その後、海外要人による献花の中継を挟んで、スタジオでは今後の安倍派の行方、自民党の勢力図について検証した。後藤氏が最後に「安倍政治の暗い部分の検証も必要」と述べたとおり、番組内では銃撃事件の背景や今後の政局については詳しく取り上げた一方で、安倍政権の評価には踏み込まなかった。
日本テレビ ――安倍政権の光と影を徹底検証
「安倍政権の暗い部分」を最も深く掘り下げたのは、日本テレビの『NNN news every. 特別版』であった。「半世紀ぶり『国葬』歴史的1日完全中継」と銘打ったものの、葬儀の実況中継よりも安倍政権の検証に力を注いだ。スタジオは藤井貴彦アナウンサー、鈴江奈々アナウンサー、解説委員長の粕谷賢之氏というシンプルな体制だった。国葬を生中継した放送局のなかで、局外からスタジオにゲストを招かなかったのは、NHKと日本テレビのみである。
葬儀が始まるまでは、NHKと同様、世論の分断を強調した。反対デモの中継では、黙祷の時間に音を出して抗議する予定であることも報じた。画面には「"評価しない"増加...世論を二分 賛否の中の『国葬』」の文字を、普段どおりピンクが基調のテロップデザインにのせて表示した。そして世論調査の結果を紹介し、旧統一教会の問題に言及した。
葬儀の中継は、岸田首相と菅前首相の弔辞に焦点を絞った。「生前の姿」の映写はほとんど中継せず、無音でワイプに表示した。そして事件現場からの中継に切り替え、最新の捜査情報を詳しく伝えた。菅前首相の弔辞の後、国会記者会館からの中継に切り替わり、再び国葬をめぐる世論の対立を取り上げた。国葬が決定するまでのプロセス、開催費用の問題、旧統一教会の問題などに加え、国民の理解が広がらない要因として、安倍政権の政治的な評価が定まっていないこと、敵と味方を峻別する政治が国の分断につながったという指摘があることを挙げた。安倍元首相の地元である山口県からの中継でも、教育委員会が県立学校に半旗を掲げるように通知したことなどを報じる一方で、県内でも国葬に反対する集会が開かれていること、翌月に予定されている県民葬に対する反対運動があることを伝えた。
秋篠宮ご夫妻の供花、昭恵夫人の献花の場面では会場からの中継に切り替えるも、番組の後半は安倍政権の検証にあてられた。「分断の政治」「忖度」「長期政権の弊害」といった課題を指摘したうえで、森友問題については「改善に乗り出す姿勢なし」、「桜を見る会」については「国会で事実と異なる答弁100回以上」と、当時の対応を厳しく批判した。さらに番組の終盤では、旧統一教会と政治家との関わりについて、他局よりも踏み込んだ追及をおこなった。この問題に取り組む弁護士がリモート出演し、教会側が国葬を利用するのではないかという危惧を表明したほか、元2世信者のインタビューなども盛り込んだ。
TBSテレビ ――多元中継の妙技、
出演者の多様な声
スタジオ出演者を局員3名に絞った日本テレビとは対照的に、TBSテレビは多くのゲストを擁して、多様な意見や感想を伝えた。CBCテレビ制作の情報番組『ゴゴスマ』のなかで中継した。特別編成というわけではなく、通常の放送時間枠(13時55分〜15時49分)を目一杯使った。ただし15時までは、TBSテレビの報道・情報番組『Nスタ』のスタジオとつなぎ、『ゴゴスマ』の石井亮次アナウンサー、『Nスタ』の井上貴博アナウンサーとホラン千秋キャスターの3名が進行を担当した。『ゴゴスマ』のスタジオには5名のゲストコメンテーターがいて、さらに『Nスタ』のゲストとして、成田悠輔氏(イェール大助教授)、木村草太氏(東京都立大教授)、政治部長の後藤俊広氏が出演した(成田氏と木村氏はリモート出演)。特徴的だったのは、同時に出演者3名の顔をワイプで表示する演出で、15時まで両番組のスタジオの様子はほとんど映らなかった。
日本テレビと同様、葬儀の中継は短時間にとどめた。ゲストのコメントにたっぷりと時間を使うとともに、国葬の賛否、安倍政権に対する評価、旧統一教会をめぐる問題などを幅広く取り上げた。具体的にいえば、国葬会場で「生前の姿」が映写されているあいだ、番組が独自に安倍元首相の足跡をまとめたテロップを併置し、森友・加計問題、「桜を見る会」の問題にも言及したうえで、ゲストに話を振った。安倍政権について「評価が定まっていない」「賛否両論がある」といった意見に対して、木村氏は、法律家のあいだでは「立憲主義の軽視」という評価が定着していると主張した。また、岸田首相の弔辞も途中で打ち切って、ゲストのコメントに切り替えた。その後、各自治体およびG7現職首脳の対応、山上徹也容疑者の現状などを報じた。さらに菅前総理の弔辞も途中で打ち切って、日本武道館前からの中継に切り替え、政治部記者が、旧統一教会の問題、反対デモについて報じ、「国論を二分」していると評した。
気になったのは、ふたつのスタジオの温度差だ。『ゴゴスマ』は複数の出演者が黙祷を捧げ、弔意を表明する雰囲気が強かったのに対して、『Nスタ』は安倍政権の功罪を冷静に検証しようという姿勢が強かった。そのギャップに司会者が戸惑い、呼吸を合わせようとする局面もあった。石井アナウンサーは、「そのへんはもう明日以降ね、あの、なんか今日はね、悼(いた)みたいなという、ごめんなさいね、個人的な話でいうとあれですけど......」と漏らし、井上アナウンサーも「同時並行、今日、特にですので、心がなにかこう、ぐちゃぐちゃになる」と述べた。
したがって、15時に『Nスタ』が引き揚げてからは、番組の空気が一変する。『ゴゴスマ』のスタジオが初めて大写しになり、ようやく5名のゲストが紹介されたうえで、ここから元大阪府知事の橋下徹氏がリモートで出演。橋下氏はまず、安倍元首相に対して感謝の言葉を述べ、国全体で弔意を示す国葬の実施には賛成の立場であるとしたうえで、国民にその要求ができないのであれば内閣葬でよかったと、岸田政権の政治決断を批判した。その後、皇族方の供花、そして岸田首相、安倍昭恵夫人の献花まで終わったところで、菅前首相の弔辞を字幕入りのVTRで振り返った。反対デモの動きを伝える中継も交えたが、番組後半は追悼の色合いが濃厚になったといえる。
テレビ東京 ――5分間の「報道特番」
テレビ東京は13時40分から5分間の『報道特番』を放送し、葬儀が始まる直前の会場および周辺の警戒態勢などを伝えた。
単純な二項対立では片付けられない
社会学者の早川善治郎は1988年、テレビ草創期のプロレス実況中継、1959年の皇太子(現上皇)成婚パレード、64年の東京オリンピック69年の東大安田講堂事件や72年のあさま山荘事件の現場中継に至るまで、戦後日本のテレビ報道を「イベント・メディア化」の過程と捉えた([1])。そして1988年9月に始まった昭和天皇の病状報道、翌年1月7日の天皇崩御にともなう皇室報道もまた、放送史に残るメディア・イベントだった。
それから30余年。2021年の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ禍での開催に批判が高まったものの、いざ始まってしまえば、競技中継のなかで視聴者がそれを意識する契機はほとんどないわけで、開催の是非をめぐる議論は蚊帳の外に置かれた。とはいえ、オリンピック・パラリンピック中継が結果として、国民の意識や感情を統合する役割を発揮したわけでもない。終わり良ければすべて良し、とはならなかった。昭和のメディア・イベントは、国民の意識を強力に動員する役割を果たしたかもしれないが、平成の30年間を通じて、新聞や放送に限らず、さまざまなデジタルメディアが私たちの生活に多重的に媒介するようになり、それは決して容易なことではなくなった([2])。いまやメディア・イベントは、社会の統合と分断の力学がせめぎあう場にほかならない([3])。 本稿で確認したとおり、安倍晋三元首相の国葬についても、賛否をいったん棚上げしたうえで、視聴者に感情の動員をうながすような演出がみられた。しかし、逆にこうした傾向に抗い、さまざまな意見や評価を伝える工夫も多々みられた。言うまでもなく、各局の番組を視聴者がどのように受け止めたかは別途検証の余地がある。念のため付け加えておくと、視聴者の解釈が制作者の想定以上に多様であり得るように、国葬や献花に参加した人びとの考え方も決して一枚岩ではない。したがって、メディア・イベントをめぐる分断は、それに賛成か反対か、参加か不参加か、動員か抵抗か、といった単純な二項対立では片付けられない([4])。いずれにしても、日本社会に根ざす対立や分断の根深さを、改めて浮き彫りにした1日だったといえよう。
([1]) 早川善治郎「テレビ報道の軌跡」田野崎昭夫・広瀬英彦・林茂樹編『現代社会とコミュニケーションの理論』(勁草書房、1988年)参照。
([2]) 飯田豊・立石祥子編著『現代メディア・イベント論』(勁草書房、2017年)参照。
([3]) 三谷文栄「『統合』と『分断』のメディア・イベント」山腰修三編著『対立と分断の中のメディア政治』(慶應義塾大学出版会、2022年)参照。
([4]) このことを考えるうえで、昭和天皇の崩御当日から1週間、皇居前広場で記帳者に対しておこなわれた聞き取り調査は示唆に富む。この調査によれば、戦争体験世代の意識とは一線を画して、若い世代にとっての天皇は「テレビに出ている人」であり、記帳の動機をもっぱら「世紀のイヴェント」への参加として語ったという。吉見俊哉・内田八州成・三浦伸也「〈天皇の死〉と記帳する人びと」栗原彬・杉山光信・吉見俊哉編『記録・天皇の死』(筑摩書房、1992年)参照。