能登半島地震でも巻き起こるデマ 過去の災害から見える傾向 メディア各社の協力でファクトチェックを 

木村 玲欧
能登半島地震でも巻き起こるデマ 過去の災害から見える傾向 メディア各社の協力でファクトチェックを 

あなたは「家族が地震で下敷きになっている」という投稿をX(旧Twitter)で見かけたら、どのような対応をするだろうか。メディア関係者ならば、この投稿だけで慌てふためいて周囲に知らせたり報道したりすることはないはずである。情報のウラを取り、十分な確証が得られてから、初めて「伝える」という行動をとるはずである。

しかし一般の人はそうはいかない。令和6年能登半島地震において、Xに具体的な住所とともに「息子が挟まって動けない。私の力では動かない。頼みの綱がXしかない。助けて」という投稿があった。この住所に住んでいた石川県の40代の女性に、知人や警察から多くの問い合わせがあった。しかし女性の自宅は、物が散乱する程度の被害で、そもそも息子がいなかった。身に覚えのない投稿をされた女性は、「災害時に警察の業務を妨害して許せない」と憤っている。

「地震で車に閉じ込められて、身動きがとれない(実際の住所が明記)」「地震が人工的に起こされた」「能登半島に外国系の盗賊団が集結中」「避難所を出ると仮設住宅に入れなくなる」――これらも能登半島地震で発生した根拠のないデマである(※注)。

※注 根拠のない情報について、意図・悪意のない「流言」「誤情報」、意図・悪意がある「(狭義の)デマ」「偽情報」などさまざまな用語や定義があるが、本稿では議論をわかりやすくするために、すべてをまとめて「デマ」と表記する。

SNSの発達で状況が悪化

SNSの発達によって、一般の人もさまざまな情報を不特定多数に広く発信できるようになった。これにより、被災場所と被害状況を早期に特定して、効果的な救助・救援に結びつけることが可能となった。一方で、根拠のないデマも多く発信され、さらにそれを善意の第三者が拡散することで、消防や警察、地元自治体に問い合わせが殺到し、活動の大きな妨げになることも増えてきた。2016年熊本地震では、「動物園のライオンが街中に逃げ出した」として虚偽の写真とともに投稿され、動物園をはじめとした公的機関がその対応に追われた。

このようなデマは古来よりあった。愉快犯であったり、他者を攻撃する目的からねつ造されるデマである。いわゆる「デマ」の語源であるデマゴギズム(扇動政治)に近い。災害という混乱に乗じて、悪意をもって意図的に作り出される。先の熊本地震のデマでは、神奈川県に住む20歳の男性が逮捕されたが、警察の調べに「悪ふざけでやってしまった」と述べている。

しかし今回の能登半島地震で、災害時のデマは、さらに新しい問題を抱えたと考えられている。それは、SNSなどでの表示数・再生数によって得られる広告収入・収益を目的に、ねつ造されるデマである。2023年にXの仕様が変更されて、投稿の表示回数(インプレッション)によって収益が得られるようになった。そのため、表示回数を稼ぐために虚偽の投稿をしているのではというのである。もしそうならば、今後、収益を目的としたデマは増え、デマに関する状況は以前よりも悪化することが予想される。

感情に訴えかけてくる

このような事態に対して、私たちはどうすればよいのだろうか。一つは、災害時のデマに対する正しい理解である。過去の災害時のデマを整理すると、いくつかの傾向がある。このような事例について、平時のうちから一般人もメディア関係者も理解しておくことが重要である。

特に災害時のデマは、具体的な表現で人間の感情に訴えかけたり、興味・関心を引くような内容であったりと、善意の第三者が「この内容を広めたい」と思えるような仕掛けで巧妙に作られている。そして「よかれ」と思って拡散した情報が、かえって支援の妨げになったり、差別に加担して人を傷つけたりしているのである。

2011年 東日本大震災では、「痛い、皮膚が破れているかもしれない。失血がひどい。外から声が聞こえなくなってきた、もう騒ぎは沈静化しているのだろう。痛みで何度も身を捩(もじ)り、しかし逃れることができず、口からは苦痛の発話が漏れる。言葉にはならない。痛い。その気になれば、痛みなんて完全に消しちゃえるんじゃなかったのか」というデマがTwitterで流れた。SNSが発達するまでは、デマは口伝による伝言ゲームのようなかたちで拡散していったが、SNSが発達すると、このような感情に訴えかける具体的な長文が、そのまま拡散されて人心を惑わすことに注意が必要である。

時間とともに変化する

災害時のデマは時間経過によって減少するが、同時にデマの内容が変化していくことにも注意が必要である。下図が「災害時のデマの移り変わり」である。

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<災害時のデマの移り変わり>

災害発生直後は、「災害の発生原因」や「災害の再来」などのデマが多く流れる。例えば、1995年阪神・淡路大震災では「地震は○○(新興宗教名)の地震兵器の仕業だった」、2011年東日本大震災では「敵対国が地震兵器で日本を攻撃した」という非科学的な発生原因がデマとして流れた。また、2016年熊本地震では「夜中の1時ごろ、佐賀に震度7の地震が来るかもしれないという予報が出ていて、いつでも逃げられるように準備して」とのデマが流れた。

それが、救助・救援期になると、「人的・物的被害」「二次被害」「著名人の対応」などのデマが多くなる。今回の能登半島地震の救助に関するデマもこれにあたるし、1923年関東大震災では「伊豆大島が沈没し、島民全員が溺死した」とか、1982年長崎水害では「堤防切れと満潮でダムが決壊した」、2011年東日本大震災でも「外国人が船で乗り付けて、津波の被害者から金品を盗んだり、女性に暴行を振るったりしている」などのデマが流れた。もちろん1923年関東大震災において「朝鮮人が井戸に毒を投げている」「朝鮮人が集団で地震の混乱に乗じて来襲する」といったデマと虐殺事件は、私たちの教訓として忘れてはならない。

またこの時期は、著名人(政治家や芸能人など)の対応についてもデマになりやすく、1991年雲仙普賢岳噴火では「○○市(具体的市名)の災害対策本部が市外に逃げ出した」とか、2011年東日本大震災では「○○党の○○(具体的人物名)が東北大震災を『ラッキー』と表現した」などのデマも流れる。

復旧・復興期になると、「被災生活」のデマが多くなる。1995年阪神・淡路大震災では「授業が再開されたら避難生活者は追い出される」とか、2016年熊本地震では「某物資集積場に行けば何でももらい放題」といったデマである。1995年阪神・淡路大震災では「避難所を出たら仮設住宅への入居資格がなくなる」というデマが流れたが、今回の能登半島地震でも「二次避難をすると仮設住宅の抽選から漏れる」というデマが流れた。また、被災地外の人々を対象にした募金・義援金のデマも懸念される。著名人や慈善団体を騙って、具体的なURLやQRコードによって寄付を募る「詐欺メール」のようなデマにも注意が必要である。

「一般人」と「メディア」の両輪で

一般の人々は、どうやって災害時のデマに立ち向かうべきなのか。まずは過去の災害時のデマを知った上で、事前ルールを作ることが重要であると考える。何か情報を目にした場合には、「本当か?」「自分が広めるべき情報か?」と考えることである。情報のウラを取る「ファクトチェック」の作業として、信頼できる発信源か、行政・マスコミの公式情報に掲載されているのかを確認する。そして、「根拠がわからないものの拡散には自分は加担しない」という判断をすることも重要である。

そして、メディアについては、今後も広がっていくデマについて、メディア各社が協力をしてデマに立ち向かっていく組織・体制が必要である。メディアも、ファクトチェック団体も、プラットフォーム事業者も、個々の努力でデマを打ち消すのでは、SNS&AI時代のデマに対抗することはほぼ不可能である。各社の枠を超えた組織が、AIなどを使ってファクトチェックし、デマであることを検証・裏付けし、それを放送やウェブサイトで積極的に示していくのである。

特にメディアは、情報を扱うプロとして、必要ならば人員を出してでも結集して正確な情報を提供していく。それに対して国は資金面や制度面で後方支援をする。また研究面でも、AIを駆使したファクトチェック技術を向上させていく。このような「デマに立ち向かう」強い意思をもった組織・体制が求められている。もちろん金銭的にも、人員的にも、技術的にもハードルは高いかもしれない。しかし、メディアが時には協力をしながら「情報の質」「情報の価値」を主体的に担保することは、第4次産業革命とも言われるデジタル革新後の時代に生き残るための戦略課題にもなると考えている。

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