放送史から「放送のローカリティ」を捉え直す

樋口 喜昭
放送史から「放送のローカリティ」を捉え直す

先日、ある学生から、「地元のテレビ局が大好きな友人がいて、将来、そこで働きたいがどうしたらいいかわならないと言っている。先生、一度会ってもらえますか?」との相談を受けた。近年テレビを全く見ないという学生が多いというのに、いったいどんな学生だろうという興味もあって早速会って話を聞いた。

その学生は、子どもの頃からローカル番組を見て育ったと言い、特に、地元タレントやアナウンサーによるバラエティ番組、地元サッカーチームの中継番組を取り上げて、その面白さを熱く語ってくれた。まずはその熱量に圧倒されたが、テレビを見ない学生が増え、多様な動画コンテンツが溢れかえっている現在においても、地元の情報を、地元の制作者が、地元の人のために継続的に届けるという基本的な活動の重要性を改めて実感させられた。そのような番組は、他地域から見た場合には必ずしも興味を惹くものではなく、またそれぞれがDVD化や配信されてヒットするような動画コンテンツでもない。しかし、地理的に身近でかつ継続的であるということが、そのエリアに住まう視聴者にとっては大きな価値がある。

これまでローカル放送において地域密着の重要性は、幾度となく語られてきた。戦後、日本は新たな放送制度の下で、NHKと民間放送の二元体制となり、組織や番組において多元性や多様性、そして地域性が重要な理念として扱われてきた。しかし、放送の歴史を振り返れば、必ずしも現在のような理念が当初から固まっていたわけではない。また地域や地方、そしてローカリティといった用語自体もその時代の政治性を帯びて使用されてきたし、地域社会側の受け止め方にも温度差があった。8月に出版した拙著『日本ローカル放送史-「放送のローカリティ」の理念と現実』では、日本各地でラジオ局が開局した戦前期から現在に至るまでの地域と放送の関係を通時的に分析することで、その変容過程を明らかにしようとした。そこから見えてきたのは、それぞれの時代での「放送のローカリティ」の理念と現実のギャップであり、転換の歴史であった。

戦前期の郷土的番組とはどのようなものだったか

放送がまだ新しいメディアだったラジオ開局初期、番組は地域の聴取者に対して迎合的であった¹ 。日本放送協会の全国での放送局の設置は、東京、大阪、名古屋での開局から3年後の1928年、昭和天皇の即位のための中継網整備に合わせて進められた。開局初期の地方番組を見ると各地でラジオの普及を狙って既成の娯楽を取り扱った番組が多く、その内容において地域の特色が出ている。図表は28年10月に各地で放送された慰安種目(娯楽)を比べたものだ。東北地方は「民謡」が、名古屋では「浪花節」が多く放送されているように、各地の聴取者の嗜好に沿って放送されていたことが伺える。このような地域間の番組嗜好の差異は、その後必ずしも消滅はせず、戦後においても残り続けていた。55年の『放送文化』「ローカル放送-夕談-」²でのNHK名古屋放送局員の話によれば、「30年前名古屋放送局が生まれた時にも浪花節放送局と言われ、また現在、集金人さんが聴取料を集めに行っても、浪花節を週20本やってくれたらという要求が非常に多い」として聴取者からもその特色が認識されていたことがわかる。

「番組種目別時間:演芸」.jpg<図表「番組種目別時間:演芸」(1928年10月)
「放送種目別回数及時間」『調査月報』2巻1号、日本放送協会編 、1929年、
25ページより筆者作成。表の数値は時間。>

このような、普及期の聴取者の嗜好に沿った番組(下からのローカル番組)は、中央統制の強化とともに徐々に後退し、中央から求められた郷土的番組が制作される。具体的には、寺院・神社からの神事中継、祭・郷土芸能、各地の歴史に関する講演講座等である。この時期、戦争への緊張が高まる中で、国民統合の手段として放送の利用が重視されており、主観的な郷土性は排除されて、郷土を国家に接続した理屈で統一的指導が行われた。例えば、岸田國士大政翼賛会文化部長(当時)は、「地方文化再建のため、次の如く宣伝啓蒙運動を全国的に展開せしめること」³として、ラジオの積極的活用を推進し、文化の地方的特色を最大に発揮できるように、地方放送局の放送内容の改善を求めている。しかし、このような郷土と国家を結びつけたビジョンは、地方の現実から乖離し、例えば、山形局放送係長(当時)の熊谷幸博は、「その多くは偏狭なる郷土精神の誇張に走り(中略)骨董的歴史観の故に時代錯誤を感ぜしめた」⁴と批判している。しかし、このような郷土的番組は、地元の郷土史家、教育関係者との協力関係も含めて、その後のローカル番組のひとつの基調になった。

1960年代の近代化路線の転換

戦後、GHQによる民主化政策において放送の改革は重視され、特にローカル番組の充実は、農地改革による地主の解体と同様、地域社会の民主化を促すものとして進められた。解体を免れた日本放送協会では、選挙での政見放送、県民の時間といった民主化政策に沿ったローカル番組がGHQの指導に基づいて開発された。しかし、実際に地方の放送現場において、ローカル番組による民主化の意義をどれだけ現場が受け止めていたかというと疑わしい。そもそも、占領期の上からの指導による番組制作は、戦時期と変わらず上に従っていればいいという点で共通していた。

一方、戦後新たに誕生した民間放送は、日本放送協会の方向性とは距離をとり、地域住民のニーズに即した番組を制作した。1950年代、特に農村において放送番組に求められていたものは、必ずしも地域内での情報流通ではなかった。中央から発信される情報をいかに地方の隅々まで行き渡らせ、地方の近代化を進められるかが中心課題であった。当時の論調を見ると、「近代化がローカリティをなくすのならば、なくしても構わない」といった極端なものまで見られた。この方向性は、地域性を重視する現在の感覚と逆行するものであるため戸惑うものであるが、このような論調は60年代に入るまで続いていた。

60年代になると、都会への人口流出と過疎化、公害や大気汚染といった社会問題に直面し、近代化装置としての放送に対しても批判がなされ、ローカル放送局もその立場が厳しく問われた。さらに、当時の放送法改正の論議が、「放送のローカリティ」というテーマを噴出させることとなり、自ら地域密着の理念を掲げることでローカル放送の存在意義を強調するという論調が生まれた。一方、戦後、米国をモデルに進められてきた放送の地域性のあり方に対して異議が申し立てられ、それをそのまま受け入れるのではなく、日本の風土に合ったローカリティの方向性を模索すべきであると言った論調⁵も見られるようなった。そして、地方の近代化か文化保護かといった対立を乗り越え、地域住民が主体となって地域文化を生み出して行こうという機運が生まれ、新たなローカル番組が開発された。これは、その後「地域主義」や「地方の時代」といったスローガンと足並みを揃えて展開されていく。このように放送の地域的機能をめぐる議論は、60年代の放送のローカリティ論議を頂点に転換し、それを基軸として現在に至る。その後、80年代に入ると、観光やリゾート開発と足並みを揃えるように、放送の地域でのイベンターとしての機能が強調され、地域内の観光資源を外に向けてどのように情報発信するか、どのように観光客を呼び込むかといった外向きの論調が増加するようになる。

情報の地産地消の重要性 

このように放送史から「放送のローカリティ」を通時的に見ると、現在も繰り返し問われ、また持ち越された議論が多く存在し示唆に富む。メディア環境が急速に変化する現在においても、これまで積み上げてきたローカル各局の取り組みを振り返り、その足元を改めて確認することが重要であろう。地道に行われてきた地域内での番組の多くは、外部ではなく地域内に向けられたものであること、そして、打ち上げ花火的な活動ではなく継続的で地味な日々の活動であるといった特徴から目立ちにくい(私はこれを情報の地産地消と呼んでいる)。しかし、冒頭で紹介した学生のように、生活に寄り添った身近な日々の番組活動の総体が強く影響を与えている可能性がある。また分断化を生じさせるネットワーク型のメディアとは違い、場所と結びつき共有体験を提供する放送メディアの統合機能は、希薄となった帰属意識を高め生活圏との結びつきを強化する。もちろん、地域情報発信のプラットフォーム作りなど新たな取り組みを模索することも重要なことではある。しかし、今後、時間や場所に拠らない情報環境が実現された世界においては、むしろ時間や空間と結びついたサービスの存在感は高まる。この点を作り手が認識しているかどうかが重要になってくるのではないだろうか。

最後に、半世紀以上に及ぶ継続的なローカル各局での番組活動の記録は、放送史の中でも十分であるとは言えない。全国の系列局向けに制作されたドキュメンタリーのアーカイブ化の取り組みなどは近年見られるが、地域内で日々行われているローカル番組の記録や番組台本、制作に関連した資料等、継続的な取り組みがわかるものがあれば保存、分析し、その価値を見直して今後に活かすことができればと思う。ぜひ、私までお声がけいただきたい。

日本ローカル放送史.jpg樋口喜昭『日本ローカル放送史 −「放送のローカリティ」の理念と現実』
青弓社、2021年


¹ 日本放送協会放送史編修室編『日本放送史 上巻』日本放送出版協会、1965年、P.18
² 「ローカル放送-夕談-」『放送文化』第10巻、第7号、日本放送出版協会、1955年、p.21
³ 岸田國士「地方文化の新建設」『知性』第4巻、第7号、河出書房、1941年7月
⁴ 熊谷幸博「地方放送員と戦時放送」『放送研究』1942年10月号、日本放送協会、p.35
⁵ 辻村明「放送と地域性」『放送文化』日本放送協會、第20巻、第10号、1965、p.28-32

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