能登を生きる人々 【私のドキュメンタリー番組鑑賞記】②

城戸 久枝
能登を生きる人々 【私のドキュメンタリー番組鑑賞記】②

ローカル局が「地域密着」「長期取材」による優れたドキュメンタリー番組を放送していることは知られていますが、その局以外の地域の視聴者が目にする機会が少ないという現状があり、ドキュメンタリー番組の存在や価値が社会に十分に伝わっていないという声も聞かれます。
そこで「民放online」では、ノンフィクションライターの城戸久枝さんにローカル局制作のドキュメンタリーを視聴いただき、「鑑賞記」として紹介することとしました。ドキュメンタリー番組を通して、多くの人たちに放送が果たしている大切な役割を知っていただくとともに、制作者へのエールとなればと考えます。


今年の元日に発生した地震により、大きな被害を受けた能登半島。3カ月以上が過ぎた今も多くの住民の方たちが避難先で、あるいは被災地で、不便な避難生活を強いられている。これまで能登の人々は、厳しくも美しい自然に寄り添い、自然とともに暮らしてきた。能登を題材とした素晴らしいドキュメンタリー作品も多く作られている。
今回、能登の復興を祈って、能登半島を題材にした2つのドキュメンタリー番組を紹介したい。
※紹介する2番組は、いずれも横浜にある「放送ライブラリー」で視聴することができます。

『能登の海、風だより』

(石川テレビ放送、1993年5月31日放送) 

能登半島の先端に位置する町、石川県珠洲市。かつて原子力発電所建設をめぐり、町は大きく揺れていた。その渦中で、人々がどのような思いを抱き、どのように暮らしてきたのか。この番組では、赤井朱美ディレクターがそんな珠洲の人々の姿を一年かけて丁寧に追っている。

能登の冬は厳しい。大陸から強い風が吹き付け、海は黒く、荒れている。妻とともに磯漁を営む84歳の高森元義さんは、厳しい能登の冬、網をつくろいながらじっと春が来るのを待つ。そして春。青く澄んだ空の下、早朝に収穫した大量のわかめが入った籠をいくつも載せた手押し車を押しながら、晴れやかな笑顔をみせる高森さんがいた。海のすぐそばにある作業所で、妻とともに、黙々とわかめを一枚一枚、丁寧に広げて干す。風や空の動きを敏感に感じ取っている姿が印象的だ。春はわかめ、夏はサザエ、秋はホンダワラ。「海にさえ行けばなんでもあるんや」高森さんは能登の季節とともに暮らしている。

珠洲の町に助産院を開く中田さつさん(77歳)は、薬も注射も使わない自然分娩を行う助産師だ。戦後まもない農村や漁村では、産後に十分な休養がとれなかったため、せめてしばらくの間は母と子でゆっくりと休養ができるようにこの助産院を作ったという。小さな生命が生まれるとき、中田さんは痛みに声をあげる妊婦に、時に厳しく、時にやさしく「大丈夫、大丈夫」と声をかけながら、手際よく赤ちゃんを取り上げる。元気な赤ちゃんの泣き声に安心して涙を流す母親。「こうやって後片付けしたときの瞬間がやっぱりね、喜びの顔を見ると疲れが一変に吹き飛んでしまう」と、中田さんはようやく穏やかな表情を見せる。

春を迎え、自転車に乗って市場に颯爽と現れたのは、魚の行商をする定谷よしさん(74歳)。市場に並んだ豊富な種類の魚を真剣なまなざしで吟味している。競り落とした魚を自転車の荷台に積んで、住宅街の常連さんたちに売りさばく。値切ったり、おまけをつけたりして、長年、信頼関係を築いてきた。

厳しくも美しい季節の移ろいのなかの能登の風景と人々の暮らし。それと対比するように描かれるのは、強引に進む原発建設用地買収の過程だ。1975年、珠洲市での原子力発電所建設計画が持ち上がった。建設計画地の一つが、高森さんの住む高屋地区。計画は予定地の住民全戸の移住が前提だった。原発の賛成派と反対派で、町は二分されることになった。

印象的なのは、戸別訪問をする電力会社社員がある土地の所有者に声をかける映像だ。「精一杯生きて30年だから、きっちり楽しく生きたほうがいいよ。このままでは衰退の一歩。家を動きたくないというのはわかるが、それだけで生活できるか......」。

約30年後......能登で震度7を観測する地震が起こることは、もちろん誰も知らない。

この原発計画地に土地を所有している高森さんは、土地を仲間と共同所有することにより、電力会社に対抗していた。杉の木は一本一本、高森さんにより丁寧に枝打ちされ、山菜やキノコなどをたくさん採ることができる。自分自身は30年、40年後の土地の姿は見られないかもしれないが、子や孫のために自然豊かな土地を残してやりたい。高森さんの思いがそこにあった。「原発は安全やというなら、こんなところに来んでも関西方面でやればいいのに......」高森さんの言葉は重い。

番組の終盤は、原発推進派、反対派の一騎打ちとなった珠洲市長選挙の様子を映し出す。原発推進派の現職が当選するが、無効票と有効票を合わせると投票者数に対して、投票総数が16票多い結果になり、反対派の陣営が抗議した。番組で描かれているのはそこまでだ。

その後も原発をめぐり、揺れ動いていた珠洲市。だが、結局、2003年、電力会社側は市に原発の建設計画凍結を申し入れた。

もし、あのまま珠洲市に原子力発電所ができていたら......。今回の地震で、原発建設予定地だった高屋地区は、土地が隆起し、道路が寸断された。地震後もしばらくの間、孤立状態だったという報道を目にした。ふるさとを守りたい、子や孫たちに残してやりたいという人々の願いが起こした行動には、約30年後に、能登だけでなく、日本をも守ることになったかもしれないということを、しっかりと胸に刻みたい。

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<能登の海岸>

『奥能登 女たちの海』

(石川テレビ放送、2003年10月11日放送) 

『能登の海、風だより』から10年。本作は同じく赤井ディレクターが奥能登の輪島で海女漁を行う3人の女性に密着した作品だ。躍動感に満ちた海女たちの生きざまが魅力的に映し出されている。

石川県輪島市海士町(あままち)には、10代から80代まで、220人(撮影当時)の海女がいる。50代、60代は働き盛り。70歳以上の海女もいる。海士町の海女のルーツは、400年近く前、筑前からたどり着いた海の民だ。海女たちの漁場は輪島市沖50キロの舳倉島(へぐらじま)や七つの島が浮かぶ七ツ島。かつては、舳倉島に町ごと季節移住をして、海女たちは秋になるまで漁に専念していたという。

夏、舳倉島沖には何艘もの小舟とたらいが浮かんでいる。ウエットスーツに水中眼鏡姿の海女たちが時々、海から顔を出し、たらいにサザエやアワビなどを入れていく。潮の流れが速く、海藻が豊富にあるため、サザエやアワビがよく育つという。資源を守るために、海女漁の時間は9時から13時半までと決まっている。時間になると、海女たちは、次々に海の中に潜って漁をはじめる。海女たちの姿は力強く、活気にあふれていた。水中では魚のようにゆったりと全身を動かしながら、岩場や起伏のある海底に隠れている獲物を見つけ出すまなざしは真剣そのものだ。

北出一美さん(60歳)は、輪島市海士町にある自宅から、毎日、仲間たちと船で漁場に通う。一分以上息を止めて水中に何度も潜り、海上に浮かぶたらいに獲ったアワビやサザエを入れる。夏の漁の時期が終わっても、北出さんの休みはほとんどない。10月は干物をつくり、灘廻りと呼ばれる行商のために、車でお得意さんを回る。11月末、雪が舞い散るなかでもウエットスーツを着て海に潜る。厳しい寒さのなかでも北出さんは笑顔だ。

50代、60代が働き盛り。70代以上の海女も多い。そのなかで、高校3年生、18歳で海女の道に進もうとしている中田良美さん。彼女は3年前に亡くなった祖母のあとを継いで、祖父の操縦する船に乗り、沖へと漁に出る。まだ経験が浅く、船酔いもするが、海女になりたいという思いは強い。成績も優秀で大学進学を進める教師に対して、海女になりたいとまっすぐに思いを伝える彼女の覚悟がまぶしく映る。

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<『月刊民放』2004年9月号掲載>

「海の中にお金が落ちていると思ったら、楽しい気持ちで潜れる」と豪快に笑うのは78歳の磯野シズさん。6月から9月までの3カ月間、自宅のある輪島市内から舳倉島に移り住んで漁を続ける現役の海女だ。家計を助けるために14歳で海女になり、60年以上潜り続けている。高齢になった海女は、岸辺近くの海で潜る。地上ではたばこをくわえ、ゆっくりと三輪自転車を走らせる磯野さんだが、海に潜る姿は優雅だ。その後、手術をすることになり、しばらく入院していた磯野さんは、退院後、新しい三輪自転車とともに、10歳の孫娘を連れて再び舳倉島に渡る。久しぶりにウエットスーツを着て、最初は不安げ水中をのぞき込んでいた磯野さんだが、少しずつ笑顔が戻っていく。

海女の仕事に誇りを持ち、海に潜り続ける女たちの生きざまは本当に美しい。

海士町に住む女性しか海女になることはできないという。母から娘へ、祖母から孫へ。何百年も前から大切に継承されてきた海女の技術。2018年には、「輪島の海女漁の技術」が国の重要無形民俗文化財に指定された。

何百年もの間、脈々と受け継がれてきた海女たちの生活の営みが大きな危機に直面している。今回の地震で、海女たちの住む海士町も大きな被害を受けた。輪島港では、地盤が隆起したために、船を出せず、漁に行くことができないという。海女たちがサザエやアワビをとっていた海底も、大きく変化しているだろう。今も130人ほどの海女がいるというが、被災し、自宅を離れている人も多いという。復興への道は簡単ではないかもしれない。だが、能登の海女たちがふるさとの海に潜り、サザエやアワビを獲る風景が戻る日が一日も早く訪れることを願っている。

今回取り上げた2作品は、「放送ライブラリー」で視聴したものだ。ローカル局では、これまでにも良質なドキュメンタリー作品が多く残されてきた。時代の流れとともに、失われていく懐かしい風景や人々の暮らし。変わり続けるものと、変わらないもの。それらの作品は、今を生きる私たち、そして子どもたちの未来につながる、貴重な記録として、記憶として、残り続けるだろう。

 ※(公財)放送番組センターが運営する「放送ライブラリー」は、放送法に基づくわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設です。過去のテレビ・ラジオ番組、CMなど約3万9,000本を無料で公開。映像を中心とした体験型の常設展示のほか、放送に関する様々なイベントを随時開催しています。

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