なぜその「問い」への道は塞がれているのか~皇室とメディアの関係はこの国の自画像

水島 久光
なぜその「問い」への道は塞がれているのか~皇室とメディアの関係はこの国の自画像

10月後半のある午後、私は自宅近くのカフェでいつものように原稿書きの仕事をしていた。すると隣の席に、70~80代と思しき3人のご婦人が座った。恐らく一番年長と思われる方が口火を切った。「私はね、絶対だめだと思うの」――それからほぼ1時間、私が席を立つまでずっと同じ話が続いていた。例の「眞子さま」の一件である。

マスメディアはなぜここまで執拗にこの一連の出来事を追い続けるのか。ネットを歩き回ると、相変わらず配偶者の母親のスキャンダルを根拠に「皇室の権威を穢した」との一部のフレーミングが続いている。彼女を擁護する声もちらほら見える。その一方、「いったい誰がその話題を求めているのか」と疑問を呈する評論的ツイートも目に入る。しかしそれ以外は、概して静かではある。私もかの3人のご婦人に出会うまでは、この件についてどのような態度をとるべきか身が定まらなかった。しかしその日から、このニュースの見え方が変わった。

それは戦後、「家庭を守る」ことを第一義に、懸命に生きてきた彼女たちにとっては、極めて重要な「事件」だったのだ。「絶対、不幸になるわよ」と繰り返される言葉の裏側に、皇室が「幸せな家族」であり続けることを望む彼女たちのアイデンティティが透けてみえた。それと同時に、旧来のマスメディア接触のシェアを、圧倒的にこのセグメントの方々が支えてきた事実を思った。そしてこの方々と他の人々との間の「認識の壁」とを。

ワイドショーのアジェンダセッティング

テレビはほぼ24時間放送されているが、昼間働く多くの人は、通常日中の時間帯の番組を目にすることはない。そしてそのタイムテーブルの大半を占めている形式がワイドショーである。これまでも皇室の話題を最も多くとり上げてきたのは、この枠であった。

ワイドショーの機能は「話題」を生み出すことにある。しかもその多くは親しい仲間内で頷きあい、その関係性を確認するための符丁として働くものである。時にそこから飛躍し、社会問題化することがあっても、パブリックなアジェンダに発展するものは少なく、「共感/反発」の二値コードに振り分けるところで止まる。ワイドショーのスタジオはその機能に特化して構成されている。MCと専門家と巨大フリップで構成される情報空間はさながらスーパーマーケットの試食コーナーであり、パネリストたちは番組によって次々提供されるそれらの素材に「食いつくか/スルーするか」をひたすら判定する役割を担う。

ネット世代の人々の感性は、どうもこうしたパッシブ(受動的)な情報との出会いに馴染まないようだ。自分が興味を持ったことがらはとことん検索し、気に入った発信者をフォローし、その言説と積極的に同化を図る――オンラインメディアで皇室報道に反応する人々は、それゆえにどちらかと言えば頑なな「正義感」に囚われる傾向にある。したがってときに攻撃性が強くなり(答えが決まっているので)、そのターゲットとなりうる「話題」を求め、ゲームさながらに「敵を撃つ」タイミングを探しまわることになる。

そして「眞子さま」は、この2つの層の餌食になった格好である。それは結婚という彼女の人生の一大事とも、生まれながらに定められた「内親王」という立場の、この国にとって極めて深刻な曖昧さとの決別という政治的重要事項とも全く関係なく、分断された各々の情動によって消費される対象=「ネタ」として祭り上げられたのである。誰によって――そう、ほかならぬメディアによって。

暫定措置としての象徴天皇制

戦後、メディアには一貫して、民主主義の社会への浸透を促す役割が期待されてきた。しかし「人間宣言」を行った天皇の巡幸を追うニュースを契機に報道のネットワークは形成され、テレビにおいては「皇太子(現上皇)ご成婚」から『皇室アルバム』等まで、その「親しまれる」印象の醸成に寄与してきた歴史を見ると、そこにはそのそもそもの目指すべきゴールに対する齟齬、あるいは矛盾があることに気づかされる。

大日本帝国憲法下の主権者として、統治システムである「国體」と一体化した存在であった天皇。その絶対性を至近距離で支える血族たる「皇室」を、民主的な「家族」のイメージに(かつてからの敬意を土台にして)「スライドさせる」ことと、そのことをもって国民に「新時代」の実感を植え付けることが、サンフランシスコ講和条約発効翌年に産声を上げたテレビの当初の使命であった。言うまでもなく、それは民主的なコミュニケーション機能をこの新たなメディアが担うための暫定措置だったはずだ。しかし、テレビと皇室の関係は、そこから動くことはなかった。

変わるチャンスは何度かあった。メディアに数多く露出された三笠宮寬仁親王の発言や振る舞いもその一つであったが、最も大きな節目は現上皇、明仁天皇の生前退位をめぐる動きにあったと言える。自らカメラの前に立ちテレビで放送された(同時にWebサイトにもアップされた)「おことば」は、「象徴」という言葉を8回も用い、その公的な意味を問うものであった。しかし当時の政府はそれを「年齢に伴う身体的負担」に矮小化し、国民の心情に訴えるべく発信しなおした。以降この当事者による重要な問題提起は、改元の祝祭ムードに回収され、かき消されていった。

上皇は常々自らの「公人」としての立場を最重視してきたと聞く。しかしその位相は、民主主義的な概念である「Public」と大きく隔たり、存在に分かちがたく結びついた「所与」のもの、いわば冒さざるべき神聖さに感覚的に引き寄せられたものだ。市民が自らの「Private」な「家族」としてのアイデンティティを重ねるイメージ対象でありつつ、その根拠が前時代的な「公性」にあるという引き裂かれたシンボル――今回「眞子さま」が「心を守る」という言葉を使った理由は、ここにある。

公共圏なき世界から 

いささか極端な物言いに聞こえるかもしれないが、皇室とメディアの関係性は、この「Public」と「Private」が分断されたまま70年が経過しつつあるこの国の自画像であるといえよう。社会学における「公共性」の概念が、この往還のダイナミズムをもって形成されていることを踏まえれば、その欠落は、メディアがそれを担うべき空間(公共圏)として機能してこなかった証ともいえる。カフェのご婦人たちも、ネットのコメント欄で荒ぶる正義漢たちも、当座は「自分のために」都合よくその情報を解釈しているだけである。もちろんそこが社会的なアジェンダに発展する出発点なのだから、問題はゴールへ向かう回路が存在していないことにあろう。

いわゆる「知る権利」と「報道の自由」の関係のねじれについても、この点から説明できよう。「眞子さま」を執拗に追いかけるメディアには、この「権利」に対して誤解がある。それはあくまで市民の「表現の自由」と結びつけられたもので、欲望に根差した情報の消費に奉仕するものではない。ここで言う自由は、何よりも「他者の自由」への配慮という前提のもとに理解すべき観念だ――ならば、当然「報道の自由」は、無制限に与えられるものではない。「知りたいと思う欲望」と「知る権利」を混同し、一部メディアの過熱を正当化するロジックを立ててはいけない。

一つひとつの番組を見れば――特に、結婚会見を挟んだ数日間は、冷静に問題の本質を指摘するものも少なくなかった。2人が慎重に選んだ言葉の力もあっただろう。しかし要素を揃えることと、「問う」ことの隔たりは大きい。またもやわれわれはチャンスを逃してしまうのだろうか。そして分断されたコミュニケーションに自足するセグメントが、それぞれに情報を消費し、各メディアはそこに薪をくべ続ける――そうした自転車操業の日々から脱するにはどうすればいいのだろうか。

ヒントはある特集番組での実力派キャスターの言葉にあると思った。「(なぜ)国民がこれほどまでに眞子さんの結婚に関心が強いのか」――そんなことはない。強い関心を示しているのは、メディアにその欲望を差し向けているごく一部の層である。メディアは見えているターゲットだけを相手にしていてはいけない。この「話題」に見向きもしない、スルーしている(必要としていない)たくさんの人々がいる。その存在に気づき「問い」を立て直す必要がある。何より彼女は、そうした「普通の」人々の一人になろうとして、行動を起こしたのだから。

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