「南海トラフ地震臨時情報」とは何か? 事前準備と情報伝達のあり方

原 忠
「南海トラフ地震臨時情報」とは何か? 事前準備と情報伝達のあり方

「南海トラフ地震臨時情報」について、高知大学の原忠教授に、2024年12月2日時点の情報をもとにご執筆いただきました。(編集広報部)


1.頻発する大地震と切迫する南海トラフ地震

近年、わが国では大地震が頻発しており、世界的に見ても、中東、東南アジア、大洋州、南米を大きな揺れが襲っている。わが国のおおよそ10年程度の地震履歴を振り返ると、2011年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、2016年熊本地震、2018年北海道胆振東部地震が発生している。2024年1月1日には能登半島を強い揺れが襲い北陸地方の広い範囲が被災した。強い揺れと液状化、斜面崩壊、地震火災や津波などが複合的に発生し、9月には半島全体を豪雨が襲った。これらにより住家や道路、港湾、上下水道などの生活インフラが損壊し、現在も復旧途上である。

一方、わが国ではさまざまな巨大地震の発生が予測されている。なかでも南海トラフ地震(災害M8~9クラス)は、平常時において今後30年以内に発生する確率が70~80%と高く、1944年昭和東南海地震、1946年昭和南海地震の発生から既に80年以上が経過していることから切迫性が増している。最大クラスの地震が発生した場合、西日本から四国、九州の広い範囲で強い揺れが襲うとされる。とりわけ、震源断層域近傍での被害予測は甚大で、震源近傍で太平洋に面する高知県では最大震度7、最大津波高34.4mが想定されている。2019年6月、内閣府中央防災会議が公表した南海トラフ巨大地震の被害想定によれば、条件により異なるが最悪の死者数は23.1万人、全壊・焼失棟数は約209.4万棟と推計された。東北地方太平洋沖地震後すぐに公表された推定値に比べ、津波からの避難意識向上、建て替えや耐震改修、感電ブレーカーの普及などの効果により死者数が低減しているものの、首都直下地震などに比べ極めて高い値が示されている。

2018年に(公社)土木学会は南海トラフ巨大地震の被害想定と事前対策の効果を推計した。1995年兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の被災データから経済への影響が20年間続くと想定した場合、工場の復旧・道路の寸断・港湾の被災などによる経済影響の累計は1,240兆円、税収減は131兆円とされ、経済影響額は国の一般会計予算のおおよそ14年分に相当するとされた。被災を軽減するためにはハード、ソフト両面からの事前対策が必須であり、建物の耐震化や道路整備などにより4割程度の被害軽減効果が生まれ、直接被害の軽減により税収の低下が抑えられるなどの対策費以上の効果が得られることが示された。国難を生む災害に対して、より一層の対策強化と迅速な対応が求められる。

2.南海トラフ地震臨時情報とは? 狙いと期待される効果

南海トラフ地震への備えの一環として、2019年より南海トラフ地震臨時情報(=下図、以下、臨時情報)の運用が開始された。南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、その現象が南海トラフ沿いの大規模な地震と関連するかどうか調査を開始した場合、または調査を継続している場合、観測された異常な現象の調査結果を発表する場合に発表され、有識者による評価検討会を開いて判断される。情報名に付記するキーワードには、調査中、巨大地震警戒、巨大地震注意、調査終了の4種類がある。具体的な対応を迫られる例は、南海トラフ沿いで異常な現象が観測され、監視領域内において地震波形全体から解析するモーメントマグニチュードで8.0以上の地震が発生したと評価された場合に発表される「巨大地震警戒」、想定震源域内のプレート境界においてモーメントマグニチュード7.0以上の地震が発生したと評価された場合、あるいは想定震源域内のプレート境界において、通常と異なるゆっくりすべりが発生したと評価された場合に発表される「巨大地震注意」であるが、用語が類似するため混乱しやすい。

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出所:気象庁・報道発表資料 「南海トラフ地震臨時情報」等の提供開始について

3.臨時情報の発表と戸惑い

お盆の帰省シーズン中の2024年8月8日夕方、日向灘を震源とするM7.1の地震が発生し、宮崎県では震度6弱の揺れと約50cmの津波を観測した。これを受け、気象庁は南海トラフ地震の発生が平時より高まったとして、運用開始後初の臨時情報「巨大地震注意」を発表した。多くの国民は、目に見えない恐怖を抱えながら瞬時の対応に迫られた。

南海トラフ地震の備えが進む高知県では防災機関が慌ただしく対応したが、経験したことのない切迫した状況に戸惑いが見られた。発表翌日の地元紙には"南海巨大地震・初の臨時情報 自治体、住民戸惑い"、"南海トラフ臨時情報に混乱 住民「どうすれば」"の見出しが並び、平常時と異なる対応に行政、住民双方が対応に苦慮する様子が伺える。

県内自治体では、事前の備えの有無により判断が分かれた。臨時情報に対する対応方針やマニュアルを事前に定めていた自治体では、発表直後から防災情報無線等で住民に注意喚起され、沿岸地域では自主避難を受け入れる避難所が複数開設されるなどスムーズな対応がとられたが、対応方針やマニュアルの無い自治体では様子見の側面が強かった。住民への情報伝達、迅速な避難が求めれる高齢者・要配慮者への対応が十分であったとは言い難い。

防災意識を高めた住民の多くは、いざという時に備え、本来あるべき防災物品を備えようとスーパーやドラッグストアに走った。水や食料、医薬品や衛生用品などを求める客が朝から殺到し、品薄の状態がしばらく続いた。開設された避難所に足を運ぶ住民は多くはなく、初めて聞いた言葉に混乱し、報道機関が発表する情報に耳を傾けるに留まった。情報発表後は、曖昧で具体性に欠けるメッセージが政府等から発表されたことにより、混乱に拍車がかかり、各種交通機関の運休や市民行事の中止が相次ぎ、旅行自粛による宿泊先のキャンセルや風評被害など、あらゆる面に影響した。民間企業の多くは、経済活動と災害リスクとの両立に悩み、事業継続の判断に葛藤した。

4.臨時情報への備えと情報伝達のあり方

今回の事例では、幸いなことに発表後に南海トラフ沿いの地震活動に特段の変化が観測されず、1週間で調査終了となった。現在、国をはじめ、初の事態に対する検証が進められているが、曖昧な情報発信や「空振り」への批判が散見される。

南海トラフ地震臨時情報は、状況の変化が厳密に分析評価され、時々刻々と変化する状況が的確に判断される天気予報とは根本的な性質が異なるもので、科学的な知見や統計的な情報に基づいた曖昧さを持つ。このような特徴を加味したうえで、臨時情報への備えと情報伝達のあり方を以下の3つの視点から考えたい。

①自治体職員の備え

臨時情報発令中、人口密集地域や被災リスクの高い津波浸水地域では避難に関するある程度の統一した対応が求められるが、その対応は大きく割れた。自治体職員の判断力と行動力が試された初めてのケースであるが、実際には、「巨大地震注意」の段階でどのように対応すべきか迷った自治体が多かったと聞く。今回のような直ちに避難すべき状況にない場合、どのような対応をすべきなのか、行政職員の判断力が問われる。通常業務を継続しながらどの程度まで住民へのケアをするか、臨時情報が発表された際、限られた人的リソースであっても対応できるようなBCP(事業継続計画)の策定が必要であろう。情報そのものが曖昧で、かつ地域ごとの災害リスクが異なる状況においても、住民が切迫性を理解し自らの行動を促す行動につながるよう、あらかじめ行政の対応を周知していく工夫が必要である。発表される季節や時間軸への対応やインバウンド時代に求められる多国籍対応など、きめ細やかな対応を願いたい。

②災害リスクへの備え

南海トラフ地震防災対策推進地域(=下図)であっても臨時情報の周知は高くはなく、防災への備えを見直した国民はわずかであった。BCPが作成半ばの企業も多く、臨時情報に関する項目は全くない場合が多い。有事への備えとして、地域に関わる住民一人一人が緊張感をもって災害リスクを考え、即座に実行する行動力が求められる。災害対策は、今後起こるかもしれない最悪な状況をイメージし、「今、何かできるのか」を考えることから始まる。正しい知識を持ち、的確な対策を打てば、人的被害を確実に減らすことができる。すべての行為は、個別の「技能・知識」「思考力・判断力」に依存し、最後は「人間力」が結果を支配する。防災訓練や教育などを通じて危機管理能力が醸成され、最終的に「地域を守る力」となる。地震防災に関する国民への注意喚起や啓発は万全か、率先避難の重要性や地域のリスク、家屋周辺の現状、家族構成、有事の移動手段などさまざまな状況を念頭に、あらためて見直すきっかけとしたい。津波、揺れ、液状化などの異なるリスクに対して、地域をあげた防災対策が加速化することを期待している。

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出所:内閣府防災情報のページ「推進地域・特別強化地域 地図」

③マスメディアの役割

地震予知の研究が困難を伴う中、不確実性のある情報を理解する能力と判断力がマスメディアに求められる。地方自治体から発信される情報は信頼性が高く即時性があり、早期の判断が求められる高台避難などに大きく貢献する。インターネット上の不正確な情報が発信される状況において、ある程度の危機意識を持ちつつ、デマ情報を抑え正しい内容を的確に伝えるマスメディアの役割は大きい。国が発信する時々刻々と変化する情報を適切に評価・選定し、ある程度の危機意識を住民に伝えることにより、個々の備えへの意識や重要性が再認識され、自発的な防災を進める一助になる。臨時情報そのものを理解する国民が少ない状況において、前提となる発表基準や得られた科学的知見を分かりやすく伝える努力を平時から行うべきであり、防災意識を飛躍させるための良質な番組を検討されたい。

地震災害の犠牲者ゼロを目指した取り組みは困難を伴うが、臨時情報の発表から得られた教訓を丁寧に拾い上げ、今後の対策に生かされることを期待してやまない。


編集広報部注:
内閣府は1220日、南海トラフ地震臨時情報の改善方策として①平時からの周知・広報の充実、②臨時情報発表時の呼びかけの充実、③各主体における防災対応検討の推進――の3点を公表しています。

2024年8月のテレビ各社の対応については以下記事からご確認いただけます。
■「南海トラフ地震臨時情報」 テレビ各社の対応 報道特番を編成/ウェブサイトや自社アプリでの周知も

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