今年の日本民間放送連盟賞の特別表彰部門青少年向け番組では、「げんきカレー」と呼ばれる助け合いシステムがある奈良県橿原市のカレー店を取り上げた、テレビ大阪の『やさしいニュース』が優秀賞に選ばれた。見知らぬ子どもたちのためにお金を支払う大人たちの思いによって、地域の子どもたちは無料でカレーを食べることができる。そうした社会の温かさを伝えた番組だった。
審査講評では、「タイトルの『やさしい』には、『分かりやすい=易しい』と、弱い立場にある人に寄り添い、社会の問題点をあぶり出したいという意味の『優しい』を含んでいる。地域で子どもの育成を支える取り組みを取材したことに加え、子どもにも分かりやすいニュース番組をレギュラー放送し続けている姿勢が評価された」と書かれていた。
『やさしいニュース』はテレビ大阪のYouTubeチャンネルでも過去に放送された回を視聴することができる。阪神・淡路大震災発災から30年がたつ時間の長さに伴う課題を、震災未経験の若い役者が震災を舞台化した公演に挑む姿を通して伝えようとした「繋ぐ30歳」、吃音症状のある学生が教員採用試験に挑戦する姿を通して、さまざまな子どもたちにとって過ごしやすい環境を作ることに貢献したいという願いを伝える「辛い経験してもなお」、月経にまつわるトラブルを軽減する低用量ピルを負担することを決めた会社を取り上げ、女性の苦しさとつらさを知ることの重要性を訴える「想像絶する痛み?」など、優しさと易しさに溢れたニュースが並んでいる(リンクはいずれも外部サイトに遷移します)。
これらのニュースは子どもたちが視聴しても理解できる内容であり、題材は他の情報番組では取り上げないような独自の視点からのものが多く、子どもたちにも視聴してほしい内容となっている。
子ども向けの情報発信のあり方を考える
子ども向けのニュースでは、NHKの『週刊こどもニュース』(1994~2010)がよく知られていた。日常のニュースを子どもやお年寄りにもわかりやすく伝えるニュース情報番組だった。
『週刊こどもニュース』の放送終了によって、テレビから子ども向け情報番組が消える一方で、新聞の世界では「小学生新聞」「子ども新聞」などの名称で子ども向け新聞の発行が続いている。朝日、読売、毎日のいわゆる三大紙をはじめとして、主だった地方紙もほぼ全て子ども向け新聞を発行している。
これらの新聞のサイトには、「新聞を読む習慣がお子さまの学力の土台を作ります!」や「読解力アップで学力向上!」「テスト対策や受験対策にも役立ちます」「読者の4割は中学受験を意識している読者です」のように、子どもの学力向上や受験に資することをうたい文句にした宣伝が多く見られる。これらの宣伝内容を見ると、購読促進のための苦肉の策かもしれないが、子どもたちに情報を提供するという本来の目的を見失っているのではないかと思わざるを得ない。購読を検討する家庭でも、子どもたちが情報にアクセスする権利の大切さには目を向けず、学力の増進を願って子どもたちに新聞購読を強いてしまうのではないか、ということが懸念される。
1989年に国連総会で採択された、「児童の権利に関する条約」(日本は1994年批准、通称「子どもの権利条約」)では、第17条に「締約国は、大衆媒体(マス・メディア)の果たす重要な機能を認め、児童が国の内外の多様な情報源からの情報及び資料、特に児童の社会面、精神面及び道徳面の福祉並びに心身の健康の促進を目的とした情報及び資料を利用することができることを確保する」と、子どもたちが情報にアクセスする権利について明記している。テレビ、ラジオ、新聞といった日本のマス・メディアは、この条文をどれくらい意識しているだろうか。子どもたちに情報を伝える意義を感じながら、積極的に伝えなければいけないという認識を、放送局や新聞社はどれほど強く感じているのか、現状と照らし合わせると心もとなさを感じてしまう。
求めたい子どもの目線の高さ
ところで、老若男女、多様な民族、多様な性自認、さまざまな障害のある人々など、多様性の時代と言われる社会の中で、発信される情報の多くは、誰の目を通して誰の手によって発信されている情報であろうか。女性の生理について発信した『やさしいニュース』のように、女性目線を大事にした情報も存在するだろうが、男性プロデューサーが企画し、男性記者が取材して発信している情報が多いのではないだろうか。
日本のマス・メディアで情報を発信する人の中で、子どもはどれほど意識されているだろうか。障害者の目線で発信される情報がどれほどあるだろうか。外国人の目線で発信される情報はどれほどあるだろうか。
子ども目線で情報が発信されるとしたら、どんな情報が発信されるだろう。試みに、子どもの目線の高さになってあたりを見回してみると、見える景色が全く異なることに驚かされる。満員電車で背の高い大人たちに囲まれる子どもは、どのような恐怖や圧迫感、息苦しさに直面しているだろうか。
左利きの人が情報発信するとしたら、駅の改札や自動販売機のコインの投入口が右側にしかないことをどのように発信するだろうか。車いす使用者は、健常者は気づかずに歩いている街の中にあるわずか数センチの段差をどのように伝えるだろうか。こうした多様な目線による情報発信が、より豊かな社会の創生につながっていくのではないか。
子どもの真に主体的な発信に向けて
子どもの目線で見えることを発信しようとする動きも少なからず存在する。その例に「子ども記者」による取材活動がある。2023年発足したこども家庭庁で、各地の子ども新聞から派遣された子ども記者たちが、小倉將信大臣や、加藤鮎子大臣にさまざまな質問を行う記者会見の様子は、多くの局が報道していた。
日本と海外に広く目を向けると、子ども記者たちの活動が広い範囲にわたって行われていることが確認できる。1975年に、社会的弱者である子どもの声が世の中に届くことの重要性を痛感していたニューヨークの弁護士が、自宅を拠点にスタートさせた「チルドレンズ・エクスプレス」は、8歳から18歳までの子どもたちが、ジャーナリズム活動を通して自分の考えを発信する団体である。自分たちの身近な問題についての考えを、メディアを通して社会に発信している。
このほかにも、木曜日の読売新聞「KODOMO伝える」面の記事を、首都圏の小・中・高校生のジュニア記者が書く「ヨミウリ・ジュニア・プレス」の活動、9歳から18歳までの子ども記者によるメディア・通信社で、子どもを含めた声なき声を世界に伝えるために記事を配信する「VOICE(ボイス)」などが存在する。
アメリカの心理学者ロジャー・ハートは、『子どもの参画 コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』(2000年、萌文社)の中で、子どもの参画の様子を8段階に分けた図を示して、「子どもたちの参画のはしご」として説明している。はしごの最下段は「操り参画」とされ、大人が意識的に自分の言いたいことを子どもの声で言わせる場合が例としてあげられている。操り参画と類似の形は「欺き参画」と呼ばれている。これは大人も参画しているにもかかわらず、子どもによって行われたものと思わせようとするものである。
さまざまな自治体で行っている「子ども議会」にしばしば感じることがあるが、子どもたちが行っているように見えている活動の中には、大人による操り参画や欺き参画が混在している場合が多い。生徒の自主的な運営をうたう学校行事の中にも、先生たちのお膳立ての上に成り立っている操り参画が多く見られる。
ここまで述べてきたように、日本のマス・メディア、特にテレビは子どもに向けた情報発信がきわめて少ないのが現状である。スポンサーの理解が必須で簡単に実現できることではないだろうが、子どもの権利条約17条を具現化するためにも、子ども向けに発信されたり、子どもも理解できたりする優しく易しい情報を増やしていくことは、多様性の社会の実現の一翼を担うマス・メディアにとっての責務でもあろう。
さらに、大人主導による操り参画ではなく、子どもが主体的に行動して子ども目線から見える世界やその中の課題を情報として発信していくことが、日本の社会で日常化されてごく普通のことになっていくことを望みたい。こうした認識が具現化された情報番組が誕生していく時、多様な人々が暮らしやすい、優しく易しい社会が目の前に広がっていくのではないだろうか。
そこに向かって歩を進めている番組として、『やさしいニュース』にこれからも注目していきたい。