北の演劇人、その最期の月日
「まだ撮影してても大丈夫ですか?」。 ディレクターの問いかけに、病床の俳優は親指を立て、こう答えた。「最期まで撮れ。愉快に撮ってる視点を忘れずに」。テレビ朝日系列のテレメンタリーPlus『生ききる~俳優と妻のダイアローグ~』(北海道テレビ〔HTB〕制作、2025年7月13日放送/冒頭画像)のワンシーン。沼田博光(HTBディレクター)と斎藤歩(俳優、劇作家、演出家)のやりとりだ。
沼田は、40年来の友人である斎藤が、末期の尿管がんであることを知り、カメラを回し始める。その記録は、テレビ朝日系列「テレメンタリー2025」で『生ききる~俳優と妻の夜想曲~』(2025年2月22日放送)として放送された。6月11日、斎藤歩逝去、享年60。「最期まで撮れ」の言葉どおり、沼田は、息を引き取るまでカメラを向け、完結編というべき『俳優と妻のダイアローグ』が生まれた。
斎藤の妻、西田薫も俳優である。斎藤の病状が悪化するなか、三谷幸喜主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」から、全国公演のオファーを受ける。妻と夫、互いの本音を明かしたのち、西田は旅立ち、札幌の自宅に斎藤がひとり残った。ともに演じる仕事を全うするがゆえの"俳優の業"が浮かぶ。
斎藤は映画、テレビドラマにも出ているが、北海道を拠点に活動する演劇人であり、東京住まいの筆者には馴染みが薄い。それだけに先入観を抱くことなく、この番組を新鮮に受けとめた。いっぽうで、俳優として老いの季節を迎えられなかったことに、一抹のさびしさ、喪失感のようなものも覚えた。一期一会のようなドキュメンタリーとの出合いが、そこにある。
俳優の老い、そこに宿る思想
ドキュメンタリーの作り手にとって、「俳優と老い」は、こころ惹かれる題材なのだろう。古いところでは、NHK特集『老優たちの日々』(NHK総合、1986年6月15日放送)がある。戦後の日本映画全盛期を支えた3人の俳優(浜村純、加藤嘉、花沢徳衛)の人生と老いを見つめ、2021年に再放送(NHK BS)されたさい、多くの視聴者の共感を呼んだ。
今年も『生ききる』のほかに、俳優の老いをテーマにしたドキュメンタリーが、相次いで放送(公開)された。
▶『妻亡きあとに~近藤正臣 郡上八幡ひとり暮らし~』(NHK BS、3月20日放送)
▶『後ろから撮るな 俳優織本順吉の人生』(かわうそ商会、3月29日公開)
▶時をかけるテレビ『斬られ役~大部屋俳優 58歳の心意気~』(NHK総合、6月27日放送)
▶テレメンタリー2025『老いて、輝く~99歳の看板俳優~』(瀬戸内海放送、7月5日放送)
俳優の実像に迫るこれらの番組に、"役者の仮面"を剥いで面白がるような作り手の意図は感じられない。日常を丹念かつ奇をてらわずに取材し、誰にもおとずれる老いを映し出す。そこには、それぞれの俳優が抱く、演者の思想が宿る。
『妻亡きあとに』の主人公は、1970年代に青春ドラマでスターとなった近藤正臣である。8年前、妻とふたりで岐阜県郡上八幡に移住した近藤は、連れ合いを看取り、今はネコといっしょに暮らす。近年、俳優業をセーブするその姿を、番組は真摯な目線で伝えていく。
『後ろから撮るな』は、NHK BSで放送されたドキュメンタリー番組(2017~20年)を再編集し、劇場映画として公開された。監督・撮影の中村結美(放送作家)は、織本順吉の長女である。戦後の新劇からキャリアをスタートさせ、映画、テレビのバイプレーヤーとして名を馳せた織本も、老いには抗えない。台詞を覚えられなくなり、大役を降板せざるを得なくなる。
『斬られ役』は、東映京都撮影所の大部屋俳優・福本清三(当時58歳)にスポットを当てた「にんげんドキュメント」(NHK総合、2001年5月24日放送)の再放送である。幾多のテレビ時代劇で、名もなく斬られ続けてきたベテランの芸、人となり。そこには、スターの引き立て役に徹する、大部屋俳優の誇りと悲哀が見えかくれする。
『老いて、輝く』は、岡山を拠点に「老いと演劇」を掲げて活動する劇団OiBokkeShi(「老い」「ボケ」「死」をかけた造語)の俳優、岡田忠雄の日々を描く。認知症の妻を介護し、看取ったのち、自身も介護を受けながら舞台に立ち続けた。
俳優の仕事は、体力と気力と場さえあれば、死ぬまで続けられる。福本は、迫りくる老いと大部屋という立ち位置に不安を抱えながら、斬られ役への揺るがぬ愛情を語る。99歳の岡田は、周りの支えを受けながら、ベッドに横たわったまま、役を演じきった。
いっぽうで、仕事をやめざるを得なくなる場合もある。斎藤はこころざし半ばで病に倒れ、自らの限界を知った織本は現役を退いた。近藤が表舞台から距離を置いたのは、長年連れ添った妻を亡くした喪失感が大きい。
隠しきれない俳優の矜持と色気
前述のドキュメンタリーを観ながら、不思議な感覚に陥ってしまった。素顔と日常、つまり"実像"であるはずなのに、本人が本人を演じている"虚像"のように錯覚してしまう。
思い出すのが、『後ろから撮るな』の試写会であいさつした、中村結美の言葉である。「父の最初で最後の主演映画です」。カメラを向け、ときには厳しい言葉を吐く中村に対し、頑なになった織本は激昂する。果たしてそれは素なのか、撮影を意識しているのか。この作品のポスターやチラシには、こう印刷されていた。「名脇役が 最後に演じたのは "自分自身"か」。
実像と虚像の揺れ動きは、ほかの番組も同じである。『老いて、輝く』の岡田忠雄は、ベッドに横たわりながら取材に応じる。カメラに向ける視線は鋭く、品と色気を醸す。『生ききる』では、自宅で夫の人柄を語る西田薫と少し離れて、斎藤本人が座っている。その佇まいには、妙な存在感が満ちていた。『斬られ役』のエンディングでは、さっそうと撮影所をあとにする福本清三の後ろ姿が絵になる。
『妻亡きあとに』の近藤正臣は、劇中の主演者そのものだ。浴衣姿の近藤が、夏の風物詩「郡上おどり」を眺めている。その音色をバックに、亡き妻の思い出を語る横顔。そこにいるのは、市井の人であって、「俳優 近藤正臣」ではない。演じる仕事をセーブし、地域の人たちとつかず離れずの関係を保ち、悠々自適に暮らしている。にしては、二枚目のオーラがあり過ぎる。「山田太一か、倉本聰ドラマのワンシーンでは?」とつい思ってしまった。
老いの素顔をさらしても、俳優の矜持と色気は隠しきれない。意識しなくても、つい溢れ出てしまう天分か。ディレクターをはじめとする作り手は、それを百も承知である。実像と虚像が交錯する映像を見せ、視聴者を惹きつける。その後味は心地いい。俳優の老いをテーマにしたドキュメンタリーの魅力なのだろう。
(文中敬称略)
【編集広報部注】
▶『生ききる~俳優と妻のダイアローグ~』はYouTubeの「ANNnewsCH」から配信でご覧になれます。https://youtu.be/cUBTjsglA60?si=RTN2fKRR4TuhPAR6
▶NHK特集『老優たちの日々』は横浜の放送ライブラリーで視聴できます。詳しくはこちら。
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