【onlineレビュー】「ディレクターの時代」を疾走した青春 濵田研吾著『俳優たちのテレビドラマ創世記』を読んで  

鈴木 嘉一
【onlineレビュー】「ディレクターの時代」を疾走した青春 濵田研吾著『俳優たちのテレビドラマ創世記』を読んで  

「onlineレビュー」は編集担当が気になった新刊書籍、映画、ライブ、ステージなどをいち早く読者のみなさんに共有すべく、評者の選定にもこだわったシリーズ企画です。今回は、フジテレビの開局時からテレビドラマの制作に携われた嶋田親一さんへの聞き取りに基づく濵田研吾さんの『俳優たちのテレビドラマ創世記』を、嶋田さんとも親交のあった鈴木嘉一さん(放送評論家)に紹介いただきます。


『俳優たちのテレビドラマ創世記』というタイトルに落ち着くまで、著者や編集者はさぞかし思案したに違いない。本書の内容を一言で説明するなら、フジテレビの開局時からディレクター、プロデューサーとしてテレビドラマの制作現場を担った嶋田親一(1931~2022)の聞き書きとなる。『徳川夢声と出会った』や『三國一朗の世界 あるマルチ放送タレントの昭和史』など放送関連の著書を持つ著者は、元編集者から嶋田を紹介されて2020年9月に初めて会い、1年半にわたり13回聞き取りをしたという。本書はその成果を基にして、多くの文献や新聞・雑誌の記事などで事実関係を補ったものだ。したがって、嶋田を語り部としたドラマ草創期の俳優たちのエピソード集であり、個人的なフジテレビ史という側面もある。

まず、私と嶋田とのかかわりを書いておきたい。嶋田は放送批評懇談会(放懇)で長く理事を務め、放懇が発行する『放送批評』(現『GALAC』)の編集長や専務理事なども務めた。親しくなったのは2012年、私が放懇の理事に選ばれてからだった。毎月、東京・新宿の事務局で開かれる理事会の後はたいてい、ギャラクシー賞の選奨事業委員長だった放送評論家の藤久ミネや専務理事の橋本隆らとともに、近くの中華料理店に流れた。理事会の議論の延長戦にとどまらず、放送界全般について談論風発し、大いに刺激を受けた。

日本演劇協会の常務理事でもあった嶋田の活動範囲や人脈は広かった。私は『演劇年鑑』で毎年、テレビドラマの回顧を書くよう頼まれ、講演を依頼されたこともある。懐が深く、いつもユーモアを忘れず、一緒にいて楽しい人だった。忘年会などの最後は必ず、「めでたきは松竹梅、福禄寿、月照り、雪舞い、花咲き匂う雪月花」の名調子で始まる嶋田の三本締めだった。多くの人に慕われた嶋田は2022年7月、うっ血性心不全ため90歳で亡くなった。

嶋田は早稲田大学文学部を中退した後、劇団新国劇、ニッポン放送を経て開局前のフジテレビに出向した。ニッポン放送ではラジオドラマから演芸番組、クイズ番組などを手がけただけに、フジテレビでは試験放送時代から単発ドラマを演出し、1959年の開局前夜祭では新宿コマ劇場から生中継をする責任者を務めた。27歳の若さだった。どんな分野であれ草創期というのは、無我夢中の試行錯誤や理不尽な苦労、笑うに笑えない珍談奇談など、後から振り返ればまぶしい輝きを放つエピソードに事欠かないが、それは本書にも当てはまる。この本を読んで、嶋田は自身の青春時代と「テレビの青春」が重なった、幸せな第一世代ではないかとあらためて思った。

初めて手がけた連続ドラマ『ありちゃんのパパ先生』は有島一郎主演のホームドラマだった。以来、岸田國士原作の『暖流』のようなメロドラマから時代劇、ヒットを飛ばした『にあんちゃん』や『三太物語』などの子ども向けドラマ、司葉子、佐久間良子、山本富士子、新珠三千代らの人気女優が主演した女性路線まで幅広く手がけた。嶋田が「わが師」と仰いだ新劇俳優の佐々木孝丸をはじめ、名優の森雅之や杉村春子、石原裕次郎や美空ひばりらのスターとの人間的なつきあい、強い信頼関係からは急成長を続けたテレビの熱気や勢いもうかがえる。

嶋田の語りには出演者だけではなく、小説家や脚本家、音楽を担当する作曲家らもよく登場する。ドラマの企画からキャスティング、演出までディレクターがこなしていたので、多忙を極めたが、それだけ権限や裁量は大きかった。

フジテレビの同僚には、名をなす3人のディレクターがいた。池内淳子主演の『日日(にちにち)の背信』で「よろきめドラマ」路線を確立した岡田太郎、斬新な殺陣を編み出して時代劇『三匹の侍』をヒットさせ、映画監督として独立した五社英雄、社会の矛盾と格闘する5人兄妹を描く『若者たち』などの社会派ドラマを作り、同じく映画監督となる森川時久だ。後に吉永小百合と結婚する岡田はクローズアップを多用し、NHKの新進ディレクターだった和田勉とともに、「アップの太郎」「アップのベン」と呼ばれた。NHK・民放各局でプロデューサー・システムがまだ確立されていなかったこの時期は、「ディレクターの時代」だったと言える。

演出家としての嶋田について、著者は「どんな企画でもそつなくこなす、器用貧乏なところもある。本人もそれは先刻承知で、『代表作がない。なんでも屋ですよ』と聞き取りの席で言っていた」と書いた後、「その物言いには、嶋田なりの自負がある」とフォローしていた。本書はテレビドラマ史に残る岡田、五社、森川の仕事だけでは語り尽くせないもう一つのフジテレビ版「テレビドラマ創世記」を描いている。

とはいえ、プロデューサーに転じた嶋田にとっては、倉本聰がメインライターを務めた『6羽のかもめ』(1974年10月~75年3月)が代表作になった。視聴率は低かったが、テレビ界と芸能界の内幕をコミカルに描き、風刺劇として評判を呼んだ。著者もその点は承知しており、4章構成のうち1章を割いている。倉本は当時、NHKの演出陣との対立によって大河ドラマ『勝海舟』の脚本を降板し、北海道に移った。倉本が『6羽のかもめ』を執筆する際、当初は「石川俊子」という渡哲也夫人の名前(旧姓)をペンネームに使った経緯や、淡島千景、高橋英樹、長門裕之、夏純子、栗田ひろみ、加東大介がふんした「劇団かもめ座」の"6羽"以外では、民放テレビ局の部長を好演した中条静夫の役柄が膨らんだ事情が興味深い。

嶋田は同じ倉本脚本、若尾文子主演の連続ドラマ『あなただけ今晩は』を最後に、ドラマの制作現場から離れた。その後は新国劇やフジテレビの関連会社「新制作」の社長、後に『笑っていいとも!』で知られる新宿のスタジオアルタ常務などを歴任した。演出一筋というスペシャリストではなく、放送界のオールラウンドプレーヤーとして生きた生涯だった。

(文中敬称略)


俳優たちのテレビドラマ創世記
濵田研吾著 国書刊行会 2024年6月30日発行 2,860円(税込)
四六判/384ページ ISBN978-4-336-07650-2

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