テレビは性の多様性をどのように伝えてきたか~「子どもとメディア」③

加藤 理
テレビは性の多様性をどのように伝えてきたか~「子どもとメディア」③

昨年の「NHK紅白歌合戦」は司会を紅組と白組に分けず、「Colorful~カラフル~」をテーマにしていました。さまざまな色が現れる画面越しに、現代社会の課題である多様性を認め合う社会の実現に思いを馳せた方も多かったと思います。

性の多様性は、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーそれぞれの頭文字を取ったLGBTで表現されてきました。これらに、クイアやクエスチョニングのQをつけてLGBTQ、さらにXジェンダーやアセクシュル、パンセクシュアルなどを反映させたLGBTQ+という表記をすることもあります。

さらに、近年はLGBTに代わってSOGIという言葉で表現されることもあります。SOGIは、「Sexual Orientation and Gender Identity (性指向と性のアイデンティティ)」の頭文字をとった表記です。多様なセクシュアリティを表現しようとするよりも、誰もがそれぞれのセクシュアリティを持っていることを尊重しようとする表記です。

社会的な関心が高まる前から、性の多様性をテレビが取り上げてきたことにもあらためて注目しなければなりません。

1993年に放映されたフジテレビの『あすなろ白書』では、西島秀俊さんが同性愛者の青年を演じていました。このドラマは、若者たちが主人公のドラマに同性愛者を登場させた嚆矢(こうし)だったかもしれません。

2001年のTBSの『3年B組金八先生』第6シリーズでは、上戸彩さんが性同一性障害の生徒役を演じました。このドラマによって、「性同一性障害」という言葉が社会に広く認知されるようになったことは特筆されます。また、自分のセクシュアリティに悩む人がいること、そしてその悩みによって学校生活の中でさまざまな葛藤と軋轢(あつれき)の中で苦しんでいることに、社会の目を向けさせる契機にもなりました。性の多様性の問題を先取りして提起した、社会的な意味を持つドラマでした。

08年に放映されたフジテレビの『ラスト・フレンズ』も、性同一性障害の登場人物を含む青春群像劇として印象的でした。長澤まさみさん演じる中学・高校時代の同級生に対して、友情とは異なる感情を抱く女性を上野樹里さんが好演していました。

テレビが「隠れたカリキュラム」に

多様な性の理解の推進にテレビが大きな影響を及ぼす一方で、テレビが偏見を助長し、差別を生み出す「隠れたカリキュラム」になってきた事実にも目を向けなければなりません。

17928日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP』に登場した保毛尾田保毛男というキャラクターが社会問題になったことは、まだ記憶に新しいと思います。このキャラクターが性同一性障害の人々を傷つけたことに対して、放送直後から厳しい批判がなされました。当該局はすぐに謝罪しましたし、ここで批判を繰り返すことはしませんが、社会が変化していることに鈍感であることと、社会問題への知識と認識が不足していることを指弾された事実は、メディアに関わる人間としては恥ずべき出来事としてとらえるべきだ、ということだけは指摘しておきます。

この事例以外でも、「オネエ」と呼ばれるセクシュアルマイノリティの方をいじって笑いを取る、ということがテレビの中に溢れていました。セクシュアルマイノリティを「オネエ」と一括りにすること自体、セクシュアルマイノリティの方々の人格を無視した行為であり、自らの無知を顧みない行為だったと言わざるを得ません。オネエと一括りにされた人々の中には、ゲイの方、トランスジェンダーの方、バイセクシャルの方、さらにM to F(Male to Female)、その逆のF to Mなど、多様なセクシュアリティの方がいます。それらを一括りにオネエと呼んで放送してきたことは、一人ひとりの人格と人権を尊重しない行為であり、メディアに関わる人間の行為として恥ずべきことだったのではないか。民放連「放送基準」第1177には、「性的少数者を取り上げる場合は、その人権に十分配慮する」とありますが、この基準に抵触していることをどれくらい真剣に考えてきたでしょうか。

保毛尾田保毛男が復活する2年前の15年4月には、文科省が「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細かな対応等の実施について(教職員向け)」の通知を各県の教育委員会に発出しています。また同年11月には、世田谷区と渋谷区で「同性パートナーシップ」が制度化され、その後中野区や横浜市など、多くの自治体が続々とこの制度の導入を行っていきます。

こうした社会の動きにもかかわらず、発信者が自らの認識と見識をアップデートできずにいることは、メディアに関わる人間だけの問題ではありませんでした。子どもたちに多様性を尊重することを伝えるべき学校の教職員も同様です。文部科学省が通知を発出した後も、LGBTという言葉すら知らない教職員が多数存在し、悩みを抱える児童生徒の心を教師が傷つけてしまう事例が報告されてきました。

秀逸な作品も増えるように

多様な性のあり方への社会的な認知が進む中で、報道番組の中の特集を中心に、最近ではこの問題をテレビの中で目にする機会が増えるようになりました。

同性愛を取り上げたドラマでは、テレビ朝日の『おっさんずラブ』が話題になりましたが、高校生が主人公のNHKの『腐女子、うっかりゲイに告る。』は、セクシュアルマイノリティとして生きることの辛さが切実に描かれた作品として秀逸でした。

民放では、テレビ東京が20194月から放送開始した『きのう何食べた?』は、内野聖陽さん演じるケンジと西島秀俊さん演じるシロのカップルの日常を描きながら、親に理解されない苦しみや、隠して生きていくことの不自由さ、老後の不安、相手への嫉妬など、2人のそれぞれの内面を繊細に描いていました。2人の日常を描きながら、「ゲイ」が決して特別な人ではなく、普通の人々と同じようにさまざまな感情を持ち、幸せになるために懸命に生きていることを描いたドラマでした。同じテレビ東京の「IS~男でも女でもない性~」は、身体的に男女の性の区別が難しいインター・セクシュアルが主人公のドラマで、その意味で意欲的な作品だと感じました。

20211月に放送されたテレビ東京『ザ・ドキュメンタリーLGBT~自分らしく~▽コロナ禍で不安と向き合うゲイ当事者』は、自分らしく生きることを願うセクシャルマイノリティ当事者の「心」と向き合った半年間の記録で、制作者の問題意識と伝えたいことがストレートに伝わる番組でした。

ごく当たり前な社会の実現に向けて

性の多様性の問題とテレビについて述べてきましたが、今後期待することについて最後に触れたいと思います。それは、「SOGI」という言葉に込められた意味を大事にした番組の制作です。LGBTという用語で表される多様な性を紹介することのほかに、さらに一歩先に進んで、誰もがそれぞれのセクシュアリティを持っていることを尊重する認識と姿勢と問題意識を、番組をとおして社会に発信していってほしいと思います。

ドラマの場合、セクシュアルマイノリティを主人公にする作品だけでなく、多くの登場人物の一人としてゲイやレズビアン、トランスジェンダーの行動や感情がさりげなく描かれるドラマも望まれます。私たちの日常が、多くの人々との関わりの中で成り立っていることは言うまでもありません。私たちが日常で関わる人々は、セクシュアルマイノリティの方も含めて、多様な人々が共存し、みなそれぞれのセクシュアリティを持っているのです。そうした状況を全ての人々が当たり前のこととして理解し、違和感なく受け入れながら暮らせる社会の実現に、テレビが関わってほしいと願っています。

筆者は大学の講義の中で、教育学を学ぶ多くの学生と学校における性の多様性の問題を考えることがあります。受講生の中には、大学時代を謳歌し、自分らしくのびのびと生きている学生がいる一方で、セクシュアルマイノリティであることを隠しながら、一人で悩みを抱え、かけがえのない大学時代に自分らしさを押し殺しながら鬱屈した中で過ごす学生たちもいます。そうした学生たちの悩みと苦しみを共有する日々の中で、その悩みを解消し、不自由から解放してくれる力をテレビに期待したいと願っています。

多様なセクシュアリティの人々と関わって生きていることが特別なことではなく、ごく当たり前のことだと感じられるようになる社会の実現に向けて、テレビが持つ可能性は決して小さくないはずです。

最新記事