東京オリンピックが遺した"3つのこれから"~塚田祐之の「続メディアウォッチ」①

塚田祐之
東京オリンピックが遺した"3つのこれから"~塚田祐之の「続メディアウォッチ」①

コロナ禍、1年延期、無観客......。異例ずくめの東京2020オリンピックが閉幕した。開催か、中止か、延期か。最後まで世論が大きく割れた中での開催となったが、205の国や地域、そして難民選手団、合わせて約1万1,000人の選手が参加。開会式の入場行進は2時間に及んだ。

新型コロナウイルスの感染拡大で分断された世界のアスリートたちが、久しぶりに一堂に会した大会となり、数々のドラマが誕生。競技に立ち向かう選手たちの姿に共感や感動が広がった。

しかし熱戦が続く一方で、新型コロナウイルスの感染者が急増。大会期間中には世界の感染者は2億人、日本でも100万人を超えた。東京では新規感染者が1日で5,000人を超える日もあり、医療機関の逼迫から自宅療養を余儀なくされ、不安な日々を過ごす感染者も1万8,000人に達した。

こうした困難な状況の中で開かれた東京オリンピックは、何を遺したのか。"3つのこれから"の視点で放送の役割を考えたい。

オリンピック放送のこれから

ステイホーム、自宅観戦が強く求められる中で、テレビが主役となった。開会式の世帯視聴率は56.4%(ビデオリサーチ)を記録。中継録画番組を含めのべ7,326万8,000人もの人々が開会式を見たと推計されている。 

自国開催で試合が見やすい時間に行われたこともあり、多くの競技で視聴率が20%を超え、テレビの注目度が高まった。今回、地上波民放は5系列が日替わりで、日本選手の活躍が期待される注目種目を中心に長時間の生放送を実施。チャンネルの選びやすさと同時に、コロナ禍の中、別のチャンネルでは通常番組が見られる安心感もあった。

NHKには、感染者の急増とともに定時ニュースを求める視聴者の意見が寄せられ、休止予定だった『ニュースウオッチ9』等が一部復活となったという。また、閉会式の途中では、台風9号が九州に上陸、急きょマルチ編成に切り替わった。何を優先して、ライブで同時に多くの人々に伝えるのか。オリンピックと緊急報道、テレビの強みをどう発揮するのかが試された。放送とともに、「NHK+」や民放の「gorin.jp」等、ネットでのライブや見逃し配信が進み、多くの利用者を集めた。テレビとスマホを併用した多様な観戦スタイルが広まる契機となった。

一方でスポンサー企業の新たな動きが相次いだ。トヨタ自動車は「いろいろなことが理解されない五輪になりつつある」として、国内では五輪関連のテレビCMを放送しない方針をとった。日経クロストレンドが、企業のマーケター400人に調査した結果でも、五輪の公式スポンサー企業の76%が「宣伝・販促がしづらくなった」と答えている。コロナで人々の動きやインバウンド需要も消え、旅行業、飲食業をはじめ大きな打撃が続いている業界も多い。

収入の約7割がテレビの放送権料という国際オリンピック委員会(IOC)。開催規模も大きくなる中で放送権料の高騰が続いている。東京大会が終わり、今回の経験を踏まえ、スポンサー企業が今後どう動くのか。テレビの公共性と経営的な視点から、視聴者にこれからもオリンピック放送をどう伝え続けられるのか。民放にとっても放送業界にとっても、これからの課題が浮かび上がった大会だったと思う。

アスリートのこれから

開催の1年延期がアスリートたちに大きな影響を与えた。練習期間が延びたことで成長しメダルを手にした選手もいれば、一方で厳しい試練の中で選手生命を終えた人もいる。世界的なコロナのまん延で多くの国際大会が中止され、試合の場も限られてきた。五輪開催に賛否両論がある中での悩みもあった。

今回、日本が獲得した金メダルは27、総メダル数も58と史上最多となった。特に大会を通じて印象に残ったのは、10代の若い日本人選手の活躍だ。スケートボードでは12歳の銀メダリストも誕生した。インタビューでもきわめて自然体で「楽しみ」「仲間への思い」を率直に答える姿が印象的で、これまでの"メダル至上主義"とは違う、新しいアスリート世代の誕生の感を強くした。

挑み続けるアスリートたちのこれからを伝え続けること。そして、スケートボードやスポーツクライミング、サーフィンなど今回の新競技で広がった視聴者の関心にもどう応えていくか。テレビスポーツのこれからに、新たな発想や挑戦が求められる大会だったと思う。

日本型プロジェクトのこれから

「呪われたオリンピック」。海外メディアは東京大会をこう表現した。新国立競技場のデザインコンペのやり直し、盗用疑惑でエンブレムの白紙撤回......。開幕直前になっても開会式の楽曲制作者の辞任や、演出担当者の解任などが相次いだ。

東京五輪の開催意義の説明も「復興五輪」から「コロナに打ち勝った証し」、さらには「安全・安心の大会」へ。「安全・安心の大会」は開催の大前提であって、すべての基本であるはずだ。何も意義を説明していない。"ほぼ無観客で実施"という決定も時間ばかりが過ぎた。

政府からも、東京都からも、大会組織委員会からも、国民が納得できるメッセージの発言がなかった。だれが責任を持って、オリンピックのような大規模なプロジェクトを遂行したのか。一方で、明確な大方針が示されない中で、現場はボランティアや医療関係者をはじめスタッフの皆さんがさまざまな想定のもと、多大な努力で大会の運営を成し遂げた。国内外の選手からは、SNSで感謝の言葉が続々と投稿されている。草の根のちからが結実した大会でもあった。

終戦から76年の夏。あの戦争への道筋と今回の紆余曲折は重なって見える。新型コロナ対策やワクチン接種の混乱も同様だ。リーダーが見えない。きちんとした明確な説明がない。こうした「日本型プロジェクトのあいまいさ」を克服することが、日本のこれからに活かすべき東京五輪のレガシーだと考える。そのためにも、東京五輪の組織や運営、方針決定のプロセス、そして膨れ上がった大会経費の実態等を、具体的に検証し、伝えていくことがその第一歩につながる。放送が果たすべき役割はこれからだ。

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