北米でパリオリンピックの放送権を持つNBCユニバーサル(NBCU)がオリンピック中継史上初めて映画館でのライブ上映を展開中だ。7月26日の開会式は全米150以上のIMAX劇場で生中継された。さらに翌27日から最終日の8月11日まで、毎日13時から夕方(米東部時間)にかけて全米160以上のAMC劇場でその日の競技を上映している。 種目はさまざまだが、劇場での生中継は基本、米国代表選手が出場する人気スポーツの試合に限る。
新型コロナウイルスによるパンデミック以来、チケット売上が伸び悩む映画館にとって新たな収入源というわけだ。そこで、筆者は7月26日13時半からの「開会式IMAXライブ上映」を見にマンハッタン西34丁目のAMC内IMAX劇場に行ってみた(冒頭写真はAMCサイトのチケット販売画面から/その他の写真は筆者撮影)。
劇場ならではの臨場感
数週間前にオンラインで座席指定してチケットを購入(1人21㌦=約3,100円/以下、為替レートは8月2日現在)した時は、まだ数席しか売れていなかった。果たして最終的にどの程度の集客があったのだろうと興味津々だ。ただ、東海岸は平日の真っ昼間。西海岸ならまだ午前中だ。わざわざ足を運ぶとしたら、熱狂的なファンか代表選手に知り合いがいるか、夏休み中の学生か、旅行者か......。さすがに満席はないだろうというのが筆者の予測だった。
<30分前は劇場ロビーもまだ閑散>
さて、開始30分前の13時に映画館に到着すると、案の定ロビーはガラーンとしていた。最上階の4階にあるIMAX劇場内に入ると、最初は数席しか埋まっていなかったものの、開会式が始まるころには4割強が埋まっていた。米メディアによると、オンラインでの前売りはスローだったが、主要都市では最終的に満席に近い劇場もあったとか。チケット売上のデータはまだ出ていない(8月2日現在)。
<劇場への入り口と上映前の場内>
劇場はそう広くなかったが、急勾配のスタジアム型観客席に湾曲した巨大スクリーン。座席も広くてフカフカだ。IMAXだけあって画面から来る圧も凄まじい。上映開始前のスクリーンには、地上波NBCの開会式直前番組を流すテレビ画面をそのまま映し出しており、「おお、今われわれはテレビの生中継を銀幕で見ているのか」と少し不思議な感覚に襲われた。
<上映前のスクリーン>
スタジアム内ではなくパリの街中で繰り広げられるオリンピックの開会式も初めてなら、その劇場上映も前代未聞のこと。開会式の内容は日本の視聴者もご存じのとおりだと思うが、あれを劇場の巨大スクリーンで見るのはなかなかに一興だった。音響も当然のことながら迫力がある。冒頭、橋の上でトリコロール(フランス国旗の3色)の煙が吹き上がると、会場から大きな拍手が起こるなど劇場ならではの臨場感も味わえた。
お茶の間で「ながら鑑賞」のありがたさ
それにしても、実に5時間近い放送時間......。
ある意味「逃げ場がない劇場空間」でスクリーンに集中できる限界は、筆者なら2時間程度だ。それ以上の時間、200カ国以上からの参加国、100隻に及ぶ選手の入場ボートの行列を延々と眺めるのは、途中に編集された映像やパフォーマンスがアクセントに入るとはいえ、正直辛いものがあった。しかも、御多分にもれず劇場内はクーラーが効き過ぎで寒かった。結局、開会式中継の終了を待たず、17時過ぎには劇場を出た。したがって、大評判だったセリーヌ・ディオンのパフォーマンスも聖火の採火式も見事に見逃した。ほかにも席を立って戻ってこない人はちらほらいたが、残っている観客の方が断然多かった。彼らの忍耐強さには感服だ。
結論は、オリンピックの開会式はお茶の間での「ながら鑑賞」がベストということ。劇場での臨場感と迫力、その斬新さは大いに認めるが、それ以上に今回は自宅環境で見るテレビのありがたさをあらためて実感した。さらに付け加えるなら、全世界でのテレビ中継用に途中にパリの街のあちこちでドラマやパフォーマンスを織り込んだこの5時間というブツ切れの構成を、セーヌ川の河畔で体験した観客たちは、あいにくの雨天のなかどう感じたのだろう。ドラァグクイーンやダ・ヴィンチの絵画『最後の晩餐』を思わせるパフォーマンスをめぐる賛否両論も含めて、スタジアムではない‟開かれた開会式‟が残した課題も少なくない気がする。
NBCUのオリンピック精神が復活
とはいえ、今回の開会式、地上波NBCと配信プラットフォーム「ピーコック」の合計視聴者数は2,860万人で、2012年のロンドン大会以来最高となった(ニールセンとAdobe Analytics調べ)。スペイン語放送テレムンドの66万6,000人を加えると2,900万人を超える。
前回(2021年)の東京2020オリンピックの開会式視聴者数は、時差もあるが1,790万人と過去33年で最低だった。時差がほとんどない16年のリオ大会でさえ開会式視聴者数は2,650万人(関連記事はこちら)。もともと米国人はフランス(とその首都パリ)が大好きだということもあり、そんな影響もあるような気がする。
2022年の冬季北京大会も、大会を通して米国での視聴者数は減少した。東京、北京とアジアでの開催が続き、米国でのライブ中継には時差が大きく影響したことは否めない。パリとの時差は東海岸で6時間、西海岸で9時間あるが、それでも米メディアは一様に「パリでNBCUがオリンピック精神を取り戻した」と、その盛況ぶりを伝えている。開会式のみならず、大会が本格的に始まった翌27日(土)が3,200万人、28日(日)が4,100万人と、いずれも記録的な視聴者数が報告されている。これらは地上波NBC、ケーブルのUSA Network、E!、CNBC、GOLF Channel、スペイン語放送局テレムンドとUniverso、配信のピーコック、それにNBC Olympics.com、NBC.com、NBC/NBC SportsのアプリとNBCUの全プラットフォームを合計しての数字だ。
ピーコック、ようやく羽を広げる
今回は特にピーコックの成長が際立ち、そのホームスクリーンでのオリンピック特別仕様も評価されている。開会式はピーコック史上最高の視聴者数を上げたイベントとなった。東京大会と北京大会はサービス開始間もないピーコックに技術的な問題があったことに加え、配信か地上波かケーブルチャンネルか......視聴者がどこで五輪中継を見たらいいのか混乱したことが、視聴者数低迷の理由の一つだった。
しかし今回は、オリンピック中継の絶対的ホームとしてピーコックが前面に押し出され、格段にわかりやすくなったとの評価だ。全329のメダル競技とライブイベント、5,000時間に及ぶ中継、全試合のオンデマンド配信と、ピーコックを開けば、国に関係なく全ての試合がライブまたはオンデマンドで見られることもユーザーに情報として浸透した。ホームスクリーンには「Olympic」ハブも新設し、マルチスクリーン機能を加えて複数の試合を同時に見られるようにもしている。
ちなみに筆者はピーコックを有料契約していない。地上波NBCで昼間は各種競技を毎日生中継しており、プライムタイムもその日の録画とハイライトを報道しているので、それだけで十分満足している。当然、これらはすべて米国代表選手が出ている競技が中心。日本代表の競技をどうしても見たい場合、ピーコックを有料で加入するしかないが、配信契約をこれ以上増やすわけにはいかないので我慢している。オリンピック視聴だけを目的にピーコックに加入したユーザーも少なくないはず。終了後それらをどうキープするかもNBCUの課題だろう。
セールスも歴史的
NBCUの7月31日発表によると、今回のパリ大会の広告売上は12億5,000万㌦(約1,800億円超)で、リオ大会と東京大会の合計以上を達成したとのことだ。 しかも、このうち70%が初めてオリンピックに出稿する企業で、金額にして合計5億㌦以上。デジタル広告売上も東京大会の2倍以上で、NBCU史上最高だという。
NBCUとその親会社コムキャストは2014年、オリンピックのメディア権契約を2032年まで更新し、その対価として76億5,000万㌦(約7,780億円=当時)を支払っている。それだけに、広告売上を伸ばすことは必須で、そのためには視聴者数を稼ぐことが先決。オリンピックの場合、開会式の視聴者数でその大会全体を通したテレビ視聴状況が予測できると言われている。とすれば、パリ大会は幸先のいいスタートを切ったと言える。
開会式、初めの1時間はCMなし
広告といえば、今回NBCUは初めて開会式最初の1時間をCMなしで中継した。この「CMなしの1時間の広告主」はコカ・コーラ、デルタ航空、イーライリリー(製薬会社)、トヨタ自動車、Visa、Xfinity(コムキャストの電気通信事業部門のブランド名)で、ライブ映像の下に時々、スポンサー名がテロップで流された。
ただ、筆者の一視聴者としての印象だが、この1時間が過ぎると、その後はCMが増えた気がする。IMAX劇場の巨大スクリーンで画面の30%がセーヌ川の選手ボートの映像、残りの70%がコマーシャルに割かれ、かなりの頻度で延々とCMを見る羽目になった。お金を払って入った劇場であれをやられるのは、正直なところ辟易だ。
<NBC「ウォッチパーティ」の告知画面>
今回のパリオリンピック開催期間中、前述したようにAMCの劇場でその日の競技が生中継されている。チケットは個人でももちろん買えるが、NBCUとAMCは「パリオリンピックウォッチパーティ」と称して、「団体チケット」の購入を呼びかけている。米国代表選手の家族や知り合いが集まって劇場観戦するにはいいだろう。選手の地元映画館では意外と需要があるかもしれない。
でも筆者は遠慮したい。自宅の65インチ4Kテレビで「ながら観戦」させていただく。日本のみなさんも、おそらくそうではないだろうか。大会もいよいよ終盤。Viva TV!