近年、意欲的な作品や話題作が続々と発表されている映像ドキュメンタリーの世界。放送した番組の映画化やウェブでの配信、イベント化など、受け手に届けるための手法も多様化しつつある。ここでは4つの取り組みについて、その狙いや事業性などを聞いた。
アジアの制作者と連携
文化を通じた国際交流事業を担う独立行政法人国際交流基金。2014年に基金内に設置されたアジアセンターが、20年から昨年にかけて取り組んだ期間限定のプロジェクトが「DocCross Asia」だ。「日本における多文化共生」をテーマに、日本の放送局と東南アジアの映像制作者をマッチング。互いの地域をまたいだドキュメンタリーの共同制作や上映イベントなどを計画していた。
しかし、コロナ禍により予定は大きく変更。タッグを組んだチームの共同制作や、昨年12月の作品上映会などはいずれもリモートで行った。プロジェクトの立ち上げから実務を担ったインプレオ代表取締役の加藤成子氏は「計画とは大幅に異なる進行となったが、チームの担当者同士が時間をかけて何度もやりとりすることで、作品の厚みにつながった」と振り返る。ベトナムの制作者と組んだのは、元々海外の作り手の手法を知りたいと望んでいた名古屋テレビ・報道センターの村瀬史憲氏。現場で制作者に直接会うことはできなかったが、「さまざまなツールを活用して頻繁に交流し、理解を深められた。アジアの制作者の技量は高く、こうした交流の枠組みは今後も続いてほしい」と述べる。
プロジェクトでは、日本各地のテレビ局の多文化共生を扱ったドキュメンタリーに英語字幕を付け、ウェブ配信も実施。民放からは9番組が参加し、地域を越えた課題の共有につながった。プロジェクトの現場責任者であるアジアセンターの武田康孝氏は「文化交流や地域間のつながりのきっかけになった」と成果を語るとともに、「多くの優れた番組があるが、放送はほぼ一回のみ。放送後も長く視聴できる環境があれば」とアーカイブの整備を課題に挙げた。
映画で深く、丁寧に
TBSテレビは3月18―24日に、東京のヒューマントラストシネマ渋谷で「TBSドキュメンタリー映画祭2022」を開催する。国際情勢や政治、事件・事故からエンターテインメントまで、幅広い題材のドキュメンタリー11作品が並ぶ。
昨年3月に22作品をラインアップして初開催した同映画祭の第2弾。同社は11月にドキュメンタリーブランド「TBS DOCS」を立ち上げており、報道以外の部署が発案した企画も含まれる今回は、オールTBSによる発信となる。TBS DOCSプロデューサーで報道コンテンツ戦略室長の大久保竜氏は「ストレートニュースだけでなく、その続編を作りたいという記者の気持ちや、そのための映像素材もある。映画という手法でより深く、丁寧に伝えられれば」と語る。
昨年の映画祭は想定を超えた集客があり、収益化に成功。ただし、1作品1回の上映だったため「時間が合わず見られなかった」との声もあったことから、今回はほとんどの作品を複数回上映する。
今回は地方への展開も。3月24―27日には、RKB毎日放送の創立70周年と絡めて福岡市の西南学院大で映画祭を実施する。同大の卒業生であり、RKBで優れたドキュメンタリーを作り続けた木村栄文氏の番組も含め、計25作品を無料上映。その後は他の地域での開催も予定している。
名古屋テレビがコロナ禍の苦境で奮闘するミニシアター「シネマスコーレ」の2年間に密着した映画が「コロナなんかぶっ飛ばせ」。21年3月放送の「メ~テレドキュメント 復館~シネマとコロナ」に継続取材した映像などを加え、2月19日から当のシネマスコーレで公開を始めた(3月11日まで)。
1983年に若松孝二監督が創設し、新人の後押しや独自のイベントなどで映画文化を支えてきた同館。副支配人を主人公とした17年公開の「シネマ狂想曲 名古屋映画館革命」に続き、メ~テレは今回、支配人の木全純治氏に焦点を当てた。監督を務めたのは朝のワイド番組を担当する菅原竜太氏。「"コロナ禍の同調圧力に抗う木全支配人"という図式に再構成したヒューマンドキュメンタリー」と本作を位置付け、ミニシアターの役割や文化の多様性に迫った。
初日は全51席が満席に。「作り手のモチベーションを引き出す手段として映画化は優れている」と監督。「日常業務との兼ね合いは大変だったが、情熱を持ち続けることの大事さを再確認した」という。製作を指揮した前出の村瀬氏は「シネマスコーレへのシンパシーが企画の発端」と明かしつつ、「放送した番組を低予算で映画化する実例を作り、放送外でも見てもらえる道を開きたい」と狙いを語る。今後、東京や大阪などでの上映も予定する。
フジテレビと関西テレビが製作に名を連ねるのは、3月25日から全国公開の「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん」だ。両社が共同制作する情報番組「Mr.サンデー」の特集から生まれた本作。数々のドキュメンタリーを手掛けてきた信友直子監督が、認知症を発症した母とその介護にあたる父の日常を通じ、一人娘として、またドキュメンタリストとして家族の愛情を描く。
16年に放送した最初の特集以降、オンエアごとに反響を呼び、18年に前作を映画化。当初の単館から約100館にまで公開を広げるヒットとなった。「続編を求める声が大きかった」と、元「Mr.サンデー」プロデューサーで映画2作のプロデューサーを務めるフジテレビ情報制作センター室長の濱潤氏。前作では最小限だった製作・配給などの体制も、手応えを受けて本作では一般的な枠組みを整えた。
前作はシニア層を中心に20万人を動員。濱氏は本作について「人生の閉じ方や夫婦のあり方、なぜ人は生きるのかなど、普遍的な問題を提起している」とし、若い人にも見てほしいと語る。「今起きていることを描くのがテレビ。それを映画という形で残すのは、制作者のやりがいやチャンス、さらに優秀な制作者の呼び込みにもつながる」と映画製作の意義を述べた。