作り手の思いに触れ、番組の魅力を違った角度から楽しむシリーズ企画「制作ノートから」。第7回はRKB毎日放送の小山雄亮さんに、『タダイマ!』(RKB毎日放送で月~金、15:40~19:00放送)内で、この夏取り組まれたオリンピック特別企画「パリからタダイマ!」について執筆いただきました。(編集広報部)
社内チャレンジ企画に応募!動機は「パリに行ってみたい!」
きっかけは、社内で募集されていた「チャレンジ企画」。企画概要や予算、社内外に与える影響やメリットを経営陣にプレゼンをする。テレビ、ラジオの番組だけでなく、イベントなど何でもOKという、制作心を駆り立てられるものだ。
私は夕方の情報番組を長く担当している。4年に一度の五輪は福岡・佐賀ゆかりの選手を中心にお伝えしていて、毎回、視聴者にも好評だった。一方、選手のことを最もよく知る家族やコーチは現地に行っていて、なかなか取材ができず、やきもきしていた。「だったら現地まで行ってみよう。しかもパリだし......行ってみたい」と考えたところから始まった。
社内プレゼンは順調に進んだが、4月の改編時期と重なったこともあり、最終的に行くことが決定したのが6月上旬。開会式まで2カ月を切っている。そこからホテルやコーディネーター(通訳)を決め、パリ市に申請した取材許可証もギリギリに発行された。あとは「行ったら何とかなる(する)」というローカルらしいマインドで、渡仏した。
6人のスタッフで毎日中継とVTR取材を担当
今回、現地に派遣されたのは私を含め6人。アナウンサー、スポーツ部のディレクター、報道部記者、技術担当、カメラマン。期間はパリ五輪全日程。滞在はおよそ3週間となった。
<パリに行った6人のスタッフ>
競技場内の取材ができるパスは、そもそも取得できないため、私たちの取材範囲は、競技場の外やパリの街のみ。そのなかで日々の放送を展開していった。概要は以下の通り。
★RKB『タダイマ!』月~金、15:40~19:00(※16:50~18:15 は『N スタ』)
オリンピック期間は毎日中継し、合計11日間。枠内で多い時は4チャンスの中継を実施。
- ①15:40~16:20 頃 オリンピック特集コーナー 約35分
- ②16:48~16:50 頃 ミニコーナー(視聴者の疑問に生で答える)約1~2分
- ③18:25~18:35 頃 オリンピック特集コーナー 約10分
- ④18:58~19:00 頃 ミニコーナー(視聴者の疑問に生で答える) 約1~2分
メインは、チャンス①の35分枠。番組の月曜レギュラーコメンテーターで、元競泳選手、オリンピックメダリストの松田丈志さん(=冒頭写真中央)がパリに行かれていたこともあり、毎日出演していただいた。アナウンサーとの2人展開で(1)中継場所紹介、(2)前日の試合振り返り(主にエリアゆかりの選手とメダリスト)、(3)競技とは直接関係のないパリの街ネタ企画VTR、などを展開した。
チャンス②~④はアナウンサー1人で中継。現地コーディネーターに出演してもらう日を設けるなど、パリの最新情報をいかに鮮度良く出せるのか、スタッフ全員で模索した。
<マルシェ(青空市場)での中継>
エッフェル塔に凱旋門......毎日、異なる場所から中継
渡仏前に最も危惧したのが規制の厳しさ。中継がどこでできるのか不安だったが、訪れると非常に寛容だった。そのため中継は、「同じ場所で絶対にしない」と2日目に決め、1~2分のミニコーナーでも移動し、内容と背景にこだわった。2カ所のリレー中継も実施した。エッフェル塔に凱旋門、おしゃれなマルシェまで......"どこでも画になる"パリでしかできない放送となった。
意外とあった!ローカルとパリをつなぐ街ネタ
企画VTR14本、家族や関係者取材を7競技行い、放送を盛り立てた。選手の家族や関係者への取材は、現地(競技直後)でしか撮れない"熱"や"思い"があり、番組に厚みを持たせた。
街ネタ企画ではパリ五輪で推進されていたSDGsに関連し、「パリ市内のシェアサイクル」や「レガシー問題」を現地で切り口を見つけ、放送した。
また、福岡や佐賀に関連する企画も多く展開。「福岡発のコンポスト。生ゴミのたい肥化が義務となったパリで活用」「博多発のうどん店やラーメン店が大人気」「有田焼を広めようとするフランス人」などなど......放送が追いつかなくなるほど、たくさんの話題を発見した(リンクはいずれも外部サイトに遷移します)。
多いときで1日、2万5,000歩を歩いた。まさに足で情報を探し、スタッフ間で共有、分担しながら企画を作っていった。なぜ? を追求する大切さをあらためて感じた。
<福岡とパリをつなぐ企画もたくさん=㊧、暑さ厳しく......取材の合間はアイスタイム=㊨>
懸念を払拭......2つの大きな存在
異国の地でローカル局に何ができるのか......? 競技場内は取材NG、行く意味は本当にあるのか......? 社内からも出たさまざまな懸念を払拭してくれたのは、2つの存在だった。
1つ目は、コメンテーターの松田丈志さん。元オリンピアンということもあり、選手目線の解説はもちろん、自身の交友や独自取材で得た情報は、競技を深掘りし、新たな視点となった。また、柔らかい話題にも対応いただき、まじめで楽しく、分かりやすいコーナーに格上げをしてくれた。
2つ目は、コーディネーター。現地でジャーナリストとして活躍するチームから1日1人、大学職員から1人、毎日2人の日本人が同行してくれた。とにかくお二人とも行動力があり、スタッフが疑問をつぶやくと、コーディネーターがすぐに調べてくださり、企画のアイディアや道標となった。視聴者から五輪にまつわる疑問を放送中に募集し、生で答えるミニコーナーは、お二人の活躍なくしては実現しなかった。犯罪や危険な目に遭うこともなく、取材や中継を円滑に実施できたのは、間違いなく優秀なコーディネーターのおかげであった。
<お世話になったコーディネーター(写真中央のグリーンの洋服)>
ローカル局がわざわざパリに行って得たものは
この企画で得たものは、取材をした方たちと特別な関係を築けたということ。現地で、同じ目線、同じ熱を持って、一緒に応援をした時間は、取材という枠組みを超えて非常に濃いものとなった。これを機に、4年後に向けて取材を続けていきたいとあらためて感じた。
そして意外と、現地とローカルをつなぐ話題がたくさんあるということ。パリという土地柄もあるかもしれないが、身近にグローバルに活躍している人や企業があり、それをローカルの視聴者に伝えることができ、大変有意義であった。
最後に、スタッフの大きな経験と自信につながったということ。今回、パリに行ったスタッフの半数は20代。7時間の時差をものともせず、取材に中継にと奔走してくれた。取材の楽しさや喜びを肌で感じ、あらためてメディアの仕事のやりがいを見つけてくれたと思う。彼らの経験が、会社にとって一番の財産になるのではないか。
「行ったら何とかなる(する)」というマインドは、挑戦が必要なローカル局にとって、悪くないのかもしれない。