9月1日は防災の日。特に今年(2023年)は1923年の関東大震災から、ちょうど100年の節目です。これにちなんで、今回は震災とメディアの関係について、民放連研究所の調査データなども用いながら考えてみたいと思います。この100年でメディアの世界は大きく変わりましたが、震災時にメディアが果たす役割はどう変化しているのでしょうか?
関東大震災による経済被害額は、
阪神・淡路と東日本合計の8倍相当
関東大震災の死者・行方不明者は、合計で10万5,000人程度と推計されていますが、その87%は火災による焼死とされます。その日の関東地方は、日本海を北上していた台風が引き込む南からの強風が吹いており、木造住宅の密集地であった東京下町などを中心に、瞬く間に火災が広がりました。大火災は翌々日まで続き、当時の東京市(東京15区)の総面積の43.6%に延焼したそうです。一方、震源地(相模トラフ)により近い神奈川県では、地震による建物の倒壊や地滑りによる死者が計7,000人近くに及び、逗子、鎌倉、藤沢では津波による犠牲者もあったそうです。しかし、神奈川でも死者・不明者の75%程度は火災によるものであり、関東大震災の人的被害は圧倒的に火災由来と言えます。
また、関東大震災の経済被害総額は、当時のお金で55億円と推計されましたが、これは当時のGDPの実に37%に当たる水準です。これを現在に置き換えれば、2022年のGDP(名目)の37%は208兆円になります。阪神・淡路大震災の経済被害額は9兆6,000億円、東日本大震災は16兆9,000億円と推計されていますので、大雑把な計算でこの両大震災合計の約8倍の被害額になります。人的被害もそうですが、関東大震災がいかに巨大な被害を大正末期の日本にもたらしたのかがわかります。
あり合わせの活字で手刷りの号外を発行
1923年当時、まだラジオ放送は日本で開始されていません。1920年、世界最初の"放送"が米国で開始されましたが、日本でラジオ放送が始まるのは1925年です。1923年当時、既に日本でラジオ放送を開始すべく既に実験などが開始されていましたが、関東大震災時に利用できたマスメディアは新聞だけでした。
当時、東京にあった16の新聞社のうち、13社は火災で社屋が消失し、残った3社も活字が揺れでバラバラになり、動力が失われ、印刷機も使用できなくなりました。そんな中、東京日日新聞(現在の毎日新聞)と報知新聞は、辛うじて使用可能だった活字だけを使って版下を作成し、それを手刷り印刷して、発災日9月1日の午後には号外の第一報を出しました。両紙ともその日は複数の号外を出し、東京日日は前橋の上毛新聞の設備を借りて翌2日には、通常紙面の2分の1ページ大のもの1枚を"朝刊"として発行し、10万部印刷したうちの5万部を東京、千葉で配布。同じく上毛新聞の設備を利用した報知は2日には東京を重点に数万部の号外を発行したそうです(日本新聞協会、『日本新聞百年史』、1962年より)。
発災直後から2紙の号外があったとはいえ、部数はそれぞれ数百部程度で、被災者に配布するというより、掲示されることが主だったようです。9月1日午後5時過ぎに発行された東京日日の2号号外は、「......東京市内は出火、倒壊家屋無数にて死傷者算なく惨状言語に絶する......」との書き出しで始まり、当時の被害状況をかなり事細かく伝えています。翌2日の同紙朝刊では「強震後の大火災/東京全市火の海と化す」との見出しに続いて、「日本橋、京橋、下谷、浅草、本所、深川、神田殆ど全滅死傷十数万」とありますが、これはその後判明した事実と大きくは食い違っていません(毎日新聞社、『毎日新聞百年史』、1972年より)。
朝鮮人暴動流言とメディア
ところで、発災の直後から、関東地方の各地を中心に中部地方の一部などでも"朝鮮人暴動"のうわさが、恐らくは同時多発的に流布され、瞬く間に拡散されました。「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「各地で火をつけて回っている」「凶器を手にして集団で日本人を襲っている」などといったものです。これらは全て根拠のない"流言"と判明していますが、それを真に受けた一部の住民により、各地で朝鮮人ないしは朝鮮人に間違われた日本人への暴行や虐殺が行われたとされています。
大災害時にこのような根拠のない流言が流布するのは、程度や内容の差は極めて大きいですが、最近の東日本大震災や熊本地震でも見られたように珍しくない現象です。ですが関東大震災では、それを打ち消すことができるメディアが存在していなかったことが、惨事が起きた要因のひとつになったと考えられます(もちろん、当時の世情や震災時の心理状態の影響が大きかったことは間違いありませんが)。
当時、コミュニケーションの手段としては、電話が普及していましたが、電柱の倒壊で使用不能でした。電報も使えず、情報伝達手段は、口頭か貼り紙くらいしかありませんでした。つまり、こうした流言を打ち消す手段はほぼなかったのです。このような流言を受けて、当初、警察は各地の警察署に朝鮮人暴動に警戒するようにとの通達を出していましたが、事実関係が判明してきた2日頃からは、散発的にそれを打ち消し始め、内務省は新聞社に対して「朝鮮人に対する記事はとくに慎重にご配慮のうえ、いつさい掲載せざるようご配慮わずらはしたし(原文ママ)」との通告を出しました(毎日新聞社、同)。2日には東京と周辺に戒厳令が出され、翌3日には神奈川、4日に埼玉、千葉へと拡大されており、政府による新聞への検閲が導入されました。
東京に限らず、一部の新聞は、当初の警察による通達の影響もあってか、こうした根拠のない流言をほぼそのまま紙面に掲載したことがあったようです。これが流言の流布にどの程度拍車をかけたのかは不明ですが、未曾有の大混乱で情報が錯綜する中、真実を見分けることがいかに難しかったのかがわかります。
どんな状況でも頼れるメディアが必要
関東大震災では、火災から避難する際、頼りになるのは口コミの情報と自分の判断だけでした。雑多な口頭からの情報と火の手の方角、風向きだけを頼りに逃げまどい、火災で10万人近くの人が命を落としました。その時使用可能な情報伝達手段があれば、そして信頼できる情報を提供してくれるメディアがあれば、火災による死者をもっと少なくし、流言による虐殺を防げた可能性は考えられます。
その後、その教訓もあってか、日本のラジオ放送は急速に現実化し、翌24年にNHKの前身の一つである社団法人東京放送局が設立。震災から2年を待たない25年7月に中波放送の本放送を開始しました。
東日本大震災とラジオ
ここで話は一気に約90年後に飛びます。民放連研究所では、大規模災害時のメディア利用行動とメディアが果たした役割に関する調査を、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震、2018年の北海道胆振東部地震について実施しました。
図表1は2011年夏に、東日本大震災の被災地(岩手、宮城、福島の沿岸部限定)で実施したインターネット調査(回答2,268人、当該地域の性年齢構成で割付)と、同時期に仙台、名取、気仙沼、陸前高田の仮設住宅に避難している人を対象に実施した訪問聞き取り式調査(回答各125人、計500人)の結果からの抜粋です。この調査では、避難時の情報、被災情報、安否情報、生活情報に分けてメディア別の接触有無と有用度を発災からの期間別に聞いていますが、それらすべてを合わせた総合評価としての有用度を聞いた設問の結果をお示ししています。仮設住宅での調査では、ラジオと家族・隣人・友人等が全期間で他のものより明確に高く評価され、ネット調査では全期間でまずラジオ、次にテレビと家族・隣人・友人等になります。特に、ネット調査でのラジオの評価は突出しています。
<図表1. 東日本大震災でのメディア・情報手段の総合的な有用度(2011年8~9月)>
信頼度でもラジオ
仮設住宅への避難者は高齢の方が多く、スマホの普及率が低かった当時はまだネット系メディアの接触率自体が非常に少なかったのですが、ネット調査ではネット系を含む全てのメディアへの接触と評価を同列に比較することができます。図表2にネット調査で各メディア・情報手段の総合的な信頼度を聞いた設問の結果をお示しします。信頼度で高く評価されているのはここでもラジオで、テレビ、新聞、周りの人との会話が続きます。逆に、信頼できなかったとの評価はどのメディアについても高くはないのですが、特にラジオおよび周りの人との会話ではほとんどなかったのが特徴的です。
<図表2. 東日本大震災でのメディア・情報手段の総合的な信頼度:ネット調査(2011年8~9月)>
"ラジオがなければ
精神的にどうなっていたか考えると怖くなる"
このように東日本大震災では、ラジオが突出して有用なメディアと認識されていました。この背景には、地震直後に発生し、復旧までかなりの時間がかかった広範囲の停電があります。車載テレビは避難時からその後まで利用されていたようですが、携帯のワンセグ機能は、バッテリー残量を気にしてあまり利用されませんでした。防災無線は、多くの地域で地震で機能しなくなり、沿岸部ではその後の津波で流失しました。新聞は、避難所に壁新聞として掲示されたり、号外が発行されたところは多くあったようですが、当然ですが、いつでもどこでも、また最新の情報がタイムラグなく利用できたわけではありません。通信回線は、固定回線は言うに及ばず、携帯回線もアンテナの損壊、電源喪失が膨大に発生し、復旧に時間を要しました。また、発災直後に広範囲で輻輳が起き、電波があっても(特にネットは)使用不可能になっていたことも知られています。避難時および発災直後の期間は、被災地では会話・口コミを除けば、ラジオがほぼ唯一と言っていい情報手段でした。
東日本大震災の被災地におけるラジオのあらゆる分野での有用性の認識、高評価は、事前の予想を超えていました。停電が長い期間続いたことが、ラジオがよく利用され、高く評価されたことの最大の要因ではありますが、信頼度や安心感については、ラジオが持つリスナーとの距離の近さやリスナーに直接語りかけるような臨場感、密着感、放送を通じたコミュニティの形成機能などが、ラジオへの高い評価を生みだした背景になっていると考えられます。ネット調査の自由回答欄では、"ラジオに物心両面で救われた" "ラジオがなければ精神的にどうなっていたか考えると怖くなる"といった趣旨の回答が多くみられたました。ラジオが持つ心理的な効用は、災害時にはいっそう大きく働くと言えます。また、ネットユーザーへの調査では、仮設調査以上にラジオへの評価が突出して高かったことにも注目すべきでしょう。これは、震災前にはあまりラジオに接触することがなかったネットユーザーの多くが、震災を契機としてラジオの効用を認識したものと推測することができます。
東日本大震災の被災地で
ネットメディアは活躍したのか?
これまで見たように、被災地では通信系の情報手段は、固定・携帯電話、SNS/インターネットを問わず、津波からの避難やその後の避難所での生活、自宅での生活に対して、少なくとも1週間後頃までの期間では、あまり貢献できませんでした。また、通信系の情報手段は信頼度の面で、有用度以上に評価が低かったことは特徴的です。図表2にあるように、ネット系のメディア・情報手段では、メールを除いては軒並み、「信頼できなかった」との回答が「信頼できた」との回答と概ね同程度かそれ以上です。ラジオ、テレビ、新聞といったマスメディアでは、「信頼できなかった」との回答はかなり少なかったのと対照的です。大規模災害時には、常日頃から、提供する情報への信頼感を醸成しているメディアが果たす役割が非常に重要であることがわかります。
熊本地震ではネットメディアへの評価が急上昇
2016年4月に発生した熊本県を中心とする地震についても、東日本大震災と同様の設問でのネットユーザー調査を実施しました。調査対象は揺れが大きかった地域に限定して熊本、大分の計24自治体で地震から約1カ月後に実施。回答者は、対象地域の性年齢構成で割り当てた1,190人です。
熊本地震では、東日本大震災と異なり、大部分の地域で発災直後から多くのメディアが利用可能でした。図表3は、全ての情報を合わせた有用度の総合評価です。どの期間でも1位から5位までの順序は全く同じで、テレビ>地震関連ウェブサイト>周りの人>携帯通話>ソーシャルメディアの順です。特にテレビは全期間を通じて、約8割を超える人が役に立ったと評価しています。東日本大震災時のネット調査の同じ設問では、ラジオへの高評価が抜きん出ており、これにテレビ、周りの人、新聞が続いていましたが、熊本地震では、停電が限定的でテレビが使用可能でしたので、テレビの有用度が高く評価されたのは当然ではあります。
注目すべきは、ネット系情報伝達手段への高評価が比較的多くなっていることです。これは停電が範囲、期間とも限定されていたことに加え、通信インフラの頑健性向上やバックアップ体制の確保、輻輳を防ぐための対応などにより、インフラの被害が比較的軽微で済み、輻輳もなかったことが大きく影響していると考えられますが(もっとも東日本大震災と熊本地震では地震自体の規模に加え、津波の有無という大きな差異もあります)、東日本大震災から5年がたち、地震関連情報を提供するウェブサイトの利用が拡大し、提供される情報自体も充実、信頼度も向上していたことが無関係ではなかったと考えられます。
<図表3.熊本地震でのメディア・情報手段の総合的な有用度:ネット調査(2016年5月)>
災害関連サイトの信頼度はテレビ、ラジオに匹敵
次に、熊本地震の発生後1週間程度の期間におけるメディア・情報伝達手段別の情報の信頼度では、テレビ、地震関連ウェブサイト、ラジオ、周りの人との会話が8割を超える人から信頼できたと回答されました(図表4)。この4手段の間の差はあまりなく、ほぼ同程度の信頼率と言えます。ここで注目すべきは、地震関連ウェブサイトの情報が信頼できたとの回答者の割合が新聞のそれを若干上回り、テレビ、ラジオに匹敵していることです。少なくともネットユーザーについては、地震・災害関連サイトは、よく利用され、有用性が評価されているだけではなく、マスメディアに比べても遜色のない信頼を得たことがうかがわれます。
<図表4. 熊本地震でのメディア・情報手段の総合的な信頼度:ネット調査(2016年5月)>
ソーシャルメディアが情報源としても機能
スマートフォンが緊急地震速報を受信する端末として確立し、ウェブ系災害情報メディアがその存在感を大きく増したのが熊本地震時のメディア利用の特徴であったと言えます。総合的には最も高い評価を受けたテレビも、熊本地震では自社のデータ放送、自社ウェブサイトの活用だけでなく、災害関連サイト・アプリへの情報提供、ソーシャルメディアの活用などを通じて被災者への情報提供に努めました。ソーシャルメディアは放送局からの情報提供だけでなく、被災者から放送局への情報提供にも利用されました。放送事業者はソーシャルメディアから寄せられた情報、そこで得た情報を報道機関としてチェック、精査して伝えました。こうしたことが本格的に行われるようになったのは熊本地震からと考えられます。
最も重要なのはメディアと被災者の信頼関係
関東大震災時には、信頼でき、かつどこでも利用可能なメディアが存在しませんでした。そうしたメディアがあった東日本大震災や熊本地震では、メディアが避難時に活用されただけでなく、その後の被災情報、生活情報の提供や根拠のない流言の打ち消しにも寄与しました。
もちろん、メディアの対応に問題がなかったわけではありません。例えば、東日本大震災での津波からの避難では、ラジオやテレビは避難行動に関わる呼びかけを効果的に行うことができたのか? 被災者のニーズが常に最も高かった安否情報や生活関連情報を充分に提供できていたのか? 被災者の心情や心理状態をよく考慮しない番組や表現・取材方法はなかったのか? などについては、メディアが自ら検証を行い、次の大規模災害へ向けた備えとする必要があります。
具体的には、テレビ、ラジオによる津波からの避難の呼びかけについて、パニックを恐れて穏やかな表現に終始したことが、避難者の危機感を薄めたのではないかとの反省は、直後より民放、NHKを問わず共有されており、これについてはその対策が講じられています。また、テレビについては、本稿でご紹介したネット調査の自由記入欄で、"直後の時期は別として、しばらくするとテレビが伝える内容は東京発の情報が多くなり被災地のニーズとのかい離が大きくなった"といった意見や、"精神的にダメージを受けている時期に繰り返し津波の映像をみせられ気分がさらに落ち込んだ"といった意見が多く見受けられました。加えて、調査結果からも地元に根ざしたローカル放送局が得意とする生活関連情報への被災者のニーズはかなり高いのですが、テレビ、ラジオはこうした情報を充分に届けることができたのでしょうか?
放送事業者は、被災者が求める情報を質・量の両面でさらに充実させるための体制を平時から準備しておく必要があります。そのためには、自社やネットワークだけでなく、エリア内の他メディアやネットメディアとの連携も必要不可欠になります。そして、メディアが災害時に充分に機能するには、普段の活動で醸成されたオーディエンスとの信頼関係が最も重要なのは論を待たないでしょう。これはメディアの種類を問わず、また、時代を問わず言えることです。