電波を遠くに届けるためには、途中で「増幅」しなければならない。弱くなった波をはっきりさせて再発信する。そうしなければ、せっかく作った番組も視聴者に届く前に空中で消えてしまう。放送には欠かせない手順だ。戦争や災害など歴史の教訓を未来に伝える行為は、それに似ていると思う。
今年の9月1日は、関東大震災から100年の節目。多くの番組で、100年前の大災害が掘り起こされた。もはや体験した人がいなくなり、消えてしまいそうな災害教訓をどう「増幅」して未来に伝えていくか。ねつ造や脚色は許されない。その時大きな力になるのは、先人たちが残した写真やフィルム、手記などの史料だ。
そして私たちもまた、報道のために日々災害現場を「取材」している。その映像は、未来の災害伝承に生かされる。私の勤務する朝日放送グループでは、阪神・淡路大震災から25年の節目に、膨大な取材映像を特設ウェブサイト「激震の記録1995 阪神・淡路大震災取材映像アーカイブ」で公開した。大きな反響があり、今年開設したeラーニングも含めて、防災教育・防災啓発活動に活用いただいている。
映像に映り込む被災者との肖像権トラブルに怯え、使うことを半ば諦めていた素材が、CSR(企業の社会貢献)活動の一環として生き返った。そして、そうした映像素材の存在を再認識した若い世代の記者やディレクターが、震災のことを積極的に取材してくれるようになったのも新たな発見であった。番組を作って放送することも大切だが、すでにある映像素材を「見える化」し、活用しやすい形にしておくことも、災害を未来に伝えるために必要な「増幅」作業だ。
100年前の手記との出合い
1度目よりも2度目の揺れが大きかった2016年の熊本地震。気象庁は「100年ほどの地震観測史上、経験則にない地震」だったと会見した。それは本当か?という疑問から、テレメンタリー『二度目の激震』を制作した。歴史をひもとくと、江戸時代の日光での地震や、あの関東大震災でも同じように「複数回の激震」「二度目のほうが大きい地震」が起こっていたことがわかった。
関東大震災研究の第一人者、名古屋大学特任教授の武村雅之さんを取材したとき、「二度目の強い揺れ」の様子を書いた一冊の本を紹介された。タイトルは『大震の日』。関東大震災を経験した若者たちの手記を集めた本だ。インターネットの古書店で申し込むと、わら半紙に印刷された粗い装丁の本が送られてきた。中味を見て驚いた。古い漢字と旧仮名遣いの文体だが、情景を描写する筆力が凄まじい。それもそのはず、書いているのは日本の最高学府「東京帝国大学」に進もうとする、旧制第一高等学校の生徒125人。当日朝の情景から激震が襲う瞬間、変わり果てた町の様子や心の動き、さらには地震を受けて変わった思想や考え方まで......文章にムダがなく読み応えがあった。
家屋が倒壊し、火災が起こり、交通が途絶した中、知人の安否が心配で右往左往している。水や食料が足りなくなる不安。大きなビルが想定外の形で壊れ、避難場所は大混雑している......前述の「阪神・淡路大震災の取材映像アーカイブ」と、起こっていることは違わない。電話が登場し、ビルやマンションが増え、電気やガスが一般化して世の中が進歩したように見える現代と比べても、地震が襲った被災地の様相はほとんど同じだ。
一つ違うとすればトイレ環境だ。阪神・淡路のアーカイブでは、避難所のトイレ環境はどれも悲惨だ。しかし、関東大震災の手記に「トイレに困った」という記述は出てこない。水洗トイレが普及して、平時の暮らしが衛生的になったばかりに、災害時の反動が大きくなったのに違いない。近代化すれば災害時の困りごとが少なくなるなどということはない。むしろその逆だ。
手記の中には、区役所からの情報として「以後強震なし」などと、根拠のない情報が電柱に貼りだされたとある。情報は錯綜し、確認が不十分なまま拡散されている。ネット上の膨大な情報にさらされる現代のメディアにとっても他人事ではない。過去に起こったことは、未来にも絶対起こる。
プロボノ活動で翻刻
『大震の日』の序文にはこんな記述がある。「あの地震の作文を集めて本にしておいたら、後世のために非常に参考になろう、千人ほどの青年が色々な場所であの災難に遭い、あるいは聞いたのをそのままに書いたのだから」。にもかかわらず出版元の「六合館」は消滅し、本は絶版になっていた。こんなに貴重な手記が再刊されないのはあまりにもったいない。居ても立ってもいられなくなり、休日を使ってチマチマと古い漢字や仮名遣いを直す作業を始めた。読みこなすのには、文化財担当記者の経験が生きた。ただ、関西の局でこれを番組にするには力技が要る。思い悩んで旧知の出版社に相談したら、「本になるんじゃないか?」と言われた。
ところが、大きな問題があった。執筆者の没年を調べてみると、ほとんどの方は亡くなられてからまだ70年経過しておらず、手記の著作権が残存していることがわかった。錚々たる執筆者の中から、手がかりのある数名のご遺族にコンタクトを取ろうと試みたが、たどり着くことができない。業界事情に詳しい弁護士さんに相談に行くと、「出版社のホームページ等であらかじめ告知して、権利者に申し出てもらうようお願いするやり方で出版してもよいのではないか。多くの権利者の方は、出版の意義を理解してくださるだろう」とアドバイスされた。「なんとしても伝えよう」そんな心意気で、出版社の社長はリスクを承知で復刻を決断した。さすがに、放送局に勤める筆者がこの本で対価をもらうわけにいかない。「プロボノ活動(専門知識を活かしたボランティア活動)」を人事に申請し、個人として翻刻作業を担うことにした。
作業開始から1年。100年前の若者たちが書いた汗と涙の手記が『一高生が見た関東大震災 100年目に読む、現代語版 大震の日』(西日本出版社、税込2,640円)としてよみがえった。わかっているだけで国内に20数冊しかなかった『大震の日』は4,000冊に増えた。200倍に「増幅」できたから、100年後くらいまでは確実に伝えられるだろう。少しホッとした。
数百年後に災害を伝えるために
リアリティのある災害伝承のためには、報道機関が取材した映像や経験者の手記は欠かせない。しかし、震災アーカイブの公開と今回の手記の翻刻作業に携わって、「肖像権」と「著作権」が災害伝承の大きな障害になっていることを痛感した。コンプライアンスを重視する社会の構造がその利用を妨げているとしたら、損失は計り知れない。災害国ニッポンで生きるために必要な基本情報として、過去の教訓が含まれた著作物や映像資産をしっかり活用できるよう、法的な基盤を整えたり、社会の理解を醸成することも必要だと思う。100年後のメディアが過去の災害を正しく振り返ることができるよう、さまざまな手法で「増幅」して、伝承のバトンをつなぎたい。伝えたい相手は数百年後にもいる。